シングルマザーふたりが、一緒に子育てする「共同ママ」に。ママが2人いる家族が最高だった。

母親は同志。私たちはこうやって家族になった
ティア(左)と筆者。ティアの家に引っ越した日。
ASHLEY SIMPO
ティア(左)と筆者。ティアの家に引っ越した日。

親友のティアと知り合ったのは10年前。その間に私たちは、結婚し、転職し、母になった。

今年はお互いに、大きな変化があった。ティアは離婚し、同棲していた彼との間に問題を抱えていた私は、別居を決めた。

それはつらい経験ではあったが、それでも私たちは生活のため、やるべきことをやらなければいけなかった。ただでさえ、ニューヨークでアパートをみつけるのは大変だ。そこに子供がいても大丈夫な場所という条件が加わると、住居探しはまるで高価な干し草の山の中から高価な1本の針を探すくらい困難なものになる。

互いのことを話しているうちに、ティアと私は「一緒に住む」というアイディアを思い付いた。それは衝撃的なものだった。でも、一緒に住むことでお互いの生活が少し楽にできるかもしれない。

ティアには3歳と13歳の男の子がいて、私は5歳の男の子がいる。ブルックリンにあるティアのアパートにはベッドルームが3つあり、私たち全員が住めるだけの広さがあった。

私たちは、一番大きなマスターベッドルームを男の子たちの部屋にし、半分を13歳の男の子のスペースにした。思春期真っ只中の彼も、これで少しはプライベートな空間を持てる。

ティアと私は、残りの小さなベッドルームをそれぞれの部屋にした。食費、家賃、光熱費、それにNetflixまで、生活にかかるお金は全て分担することで合意した。それに子育てが大変な時には、互いの一番の味方となり助けあう約束もした。

共同生活のやり方を決めた後、私は入居の約1カ月前に引っ越しする日を決め、荷物を詰めて業者を手配した。ティアは私のためにベッドルームを片付けてくれた。3歳と5歳の男の子は、それぞれミニカーとバットマンの車の形をしたベッドを使っていたので、私たちは複雑なテトリスをするようにベッドの配置を考えねばならなかった。

全てが終わった時には、自分たちの部屋でレスリングをしている子どもたちを残し、ティアと私は裏庭で共同生活の始まりを祝うテキーラを飲んだ。

私たちの共同生活は、単なるルームメート以上の関係だ。だから私たちは、誠実な態度でお互いを良く知ることを心がけた。そして何かをする時には、余裕がある方が担当することにした。

例えば私が、幼稚園の終業式からサマーキャンプまで2週間息子の世話をするのが難しかった時には、ティアが息子を数時間彼女の職場に連れて行ってくれた。その間に、私は仕事をすることができた。

一方、ティアが長時間働いてゆっくり休みたい朝は、私が子ども達の朝食を作る。私は仕事に遅れそうな時は、ティアの車を使って息子を学校に送る。

私たちは、ありとあらゆる面でお互いを助け合っている。助けてくれる人がいつも家にいるから、高いお金を払ってベビーシッターや知らない人を雇わなくてもいい。

シングルマザーにとって、1日で一番大変な時間は平日の午後5時~8時。慌ただしく仕事を終わらせた後、子ども達に食事をさせ、お風呂に入れ、寝かしつけなければいけない。でも、どちらかが子ども達に食事をさせている間に、もう一人が大事なメールの返信ができる。これはすごく助かる。

うちには二人の親がいる。高くで不便な手段を使わなくても助けてくれる人がいるのは、ニューヨークのような眠らない都会では、天からの助けのようだ。

新しい部屋で、男の子たちのベッドの配置を考える
ASHLEY SIMPO
新しい部屋で、男の子たちのベッドの配置を考える

人生は、次から次へといろんな問題が起きる。離婚した友人の一人は、子どものお迎えや、家事、子育てへの姿勢を巡ってパートナーと論争をして疲れ切っていた。私も自分の人生に問題があった時には、虚無感に圧倒されそうになりつつ、自分のキャリアや人間関係構築もしなければいけなかった。

その一方で、私は大好きな親友と一緒に住み、自分の感情をうまくコントロールすることもできた。感情のコントロールがうまくいったことは、その後の生活を軌道に乗せる助けにもなった。

支え合えることは、すぐにお互いにとっての救いとなった。自分の時間が持てるようになった私は、うまく人生のバランスを取れるようになったし、ティアを助けられるようにもなった。

例えば、ティアが3歳の子どもの世話で疲れた時には、私が子どもの面倒をみて、その間に彼女は一晩ワークショップに行くことができた。子どもを見て欲しいとお願いしてもらう必要はない。私も母親だから、3歳の子供が一緒だと、ほとんど何もできないということを知っている。

それに何といっても、息子たちに兄弟のような絆が生まれたのが良かった。彼らは妥協の仕方を学んだし、掃除や食事の準備など、家事を助けてくれる。もしティアと私が別々に暮らしていたら、こんな風にはならなかっただろう。

シングルマザーは偏見を持たれがちだ。ストレスが溜まっていて、疲れていて、正当に評価されない存在で、いつも機嫌が悪いと思われている。そう思われているし、私たちシングルマザーもどこかでそれは事実だ思っていて、社会からのプレッシャーを感じながら、何とかそれを解決しようとする。なんだかいつも、核家族を作るのを失敗したことを謝っているように感じる。シングルマザーは、大変な時は助けを求めるのではなく、普通の人より頑張らなければいけないと思ってしまうのだ。でもこれは、女性だったら慣れていることだ。女性は常に頑張らなきゃいけないと思い、母親になると心と体の健康を犠牲にして子育てする。

シングルであるかどうかに関係なく、協力は母親にとって必要なものだと思う。母親は毎日起きる出来事に対応しなければいけないし、言われていないことを感じ取る。

でも、私たちの"共同ママ"では、お互いへの説明は必要ない。ティアは、息子にテレビを見せている間に一人で自分の部屋にいる理由を説明しなくていいし、私も自分をケアしてくれる人が必要な時にボーイフレンドの家で一晩過ごすことを、説明しなくていい。

これは、世の中が私たちに与えてくれない時間だ。そして私たちには、その時間が必要なのだ。

共同ママは、協力関係の上に成り立っている。お互いに責任を持たなければいけないし、パートナーとしてのコミュニケーションが求められる。同じ方向を向きながら、一線を越えないよう相手に敬意を払い、自分が何ができて何ができないのか、何を必要としているのかを正直に伝える必要がある。

平均家賃が3000ドルを超えるニューヨークのような大都市で、シングルマザーが部屋を借りて暮らしていくのは不可能に感じるけれど、単なるルームシェアだとなかなかうまくいかない。ルームメートは自分の子供にどう接するだろう?子供はその人に、どう反応するだろう?

私がシングルマザーとして初めて一緒に住んだルームメートは、子供のいない女性だった。彼女は私の息子を、まるで自分の子供のように可愛がってくれた。それでも私は、息子がいつもよりうるさい時や、リビングで暴れた時、床に何かをこぼした時には、謝らなければいけないように感じた。でもティアはそんなことに、動じたりはしない。

私たちの共同ママは、うまくいっている。もちろんちょっとした問題が起きたこともあった。引っ越して来た時、無秩序に混乱する部屋を眺めて私たちは一体何をしてしまったんだろうと思ったこともあった。

5人毎朝同じタイミングで家を出るのに、バスルームは一つしかない。子ども達には、以前には自分のものだったおもちゃを一緒に使わなければいけないと、定期的に言わなければいけない。

アーモンドミルクが好きなのは誰で牛乳好きなのは誰なのか、ターキーベーコンが好きなのは誰でポークベーコンが好きなのは誰かをといった好みを何度も確認しなければいけない。

どの子が何時に学校から帰るのか確認しなければいけないし、どっちのお母さんがどの子供の送り迎えをするのか、今日の買い物担当は誰か、来週床掃除をするのは誰なのかを把握しなければいけない。

共同ママは、かなりきちんと計画しなければうまくいかないと、私たちはすぐに気づいた。しかし何より大切なのは、お互いの貢献や、母としての経験、女としての経験に敬意を払うこと。ティア無しで、私はそれはできなかった。いま、彼女との生活にとても感謝している。

ハフポストUS版から翻訳しました。

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