「こんな成績で行く高校があると思っているのか」
「内申書に響くぞ」
「お前みたいなのは学校の恥」
「こんなのもわからないのか馬鹿か」
いずれも文京区立中学校で子どもが先生から言われた言葉で、保護者の方からご相談をいただいたものです。
「平成29年度 体罰等実態把握調査」の結果が文京区議会文教委員会で報告されました。
しかし、小学校の暴言は3件あるものの、中学校は0件。
前述した発言は、教員の「児童・生徒に恐怖感や侮辱観、人権侵害等の精神的苦痛を与える不適切な指導」に該当し、学校での「暴言」の定義に十二分に入るものです。
教育委員会に、この調査の中であがった数字がすべてだと思っているのか、認識を尋ねたところ、「この数字がすべてではないと思っている」とのことでした。
この調査では児童・生徒へのアンケートは記名式です。
先生から罵られたり、威嚇されたり、人格を否定されたり、馬鹿にされた子どもが、記名式で訴えられるとは、とても思えません。これは、文京区に限らず東京都全体の実態数にも言えることだと思います。
東京都から送られてきた様式に従っているとのことですから、文京区として都教育委員会に対して無記名式でのアンケートを要望していくよう提言しました。
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数年前よりも、先生たちの暴言によって追い詰められている子どもが増えてきている印象を持ちます。指導という名の下の先生の暴言によって、不登校になっている子どもも少なからずいる現状があります。「胸ぐらをつかむ」といった指導をする先生もまだまだいます。
先生側の考えでは「指導」の一環であっても、受ける側の児童・生徒が「指導を受けている」と感じられない。「肉体的苦痛」や「精神的苦痛」と感じる。そこに大きなギャップがある気がしてなりません。
「指導」には一律の型があるわけではありません。時と場合、児童・生徒一人ひとりの性格や考え方に合わせて、柔軟に対応すべきものです。が、一定のルールはあるのです。脅したり、威嚇したり、相手を否定することは絶対にあってはなりません。
その上で例えば、「Why」つまり「なぜ?なんのために?」が一番に気になる子もいれば、「What」=「それ(そのこと)はなに?」や、「Who」=「(先生は)どんな人?」が何よりとても気になる子どももいます。そこが腑に落ちていない子に「How」=「こうするのだ」といくら厳しく指導しても、納得がいかず動けないのは当たり前です。これは大人も同じでしょう。
こういった「個に合わせた指導」は、一見すると時間や労力がかかり、長時間労働等、教員の過大な負荷が社会問題になっている昨今、「そんな余裕はないだろう」とお感じになる方も多いと思います。しかし、考えてみてください。児童・生徒、個々に合わない指導、つまり適切でない、有効でない指導は、何度繰り返してもいっこうに実を結ばず、それこそ時間と労力を消費するばかりです。ひいては、児童・生徒に「苦痛」を与えてしまい、教員も児童・生徒もお互いに不幸な結果を招きかねません。
言うまでもなく、「指導」は「目的」ではなく「手段」です。であれば、その方法はいくつもあって、その都度最も有効な方法を選択する必要があるわけです。ケースバイケースで最適な手段を幾通りも選べるようなスキルをより多く持つことが、教員に求められていると感じます。
いっぽうで、体罰等を繰り返すような教員は、指導方法の選択肢が極めて少ないのではないかと思えてなりません。場面や「個」に合わせて、最も有効な「手段」としての「指導方法」を選択して実行できるような「個に合わせた指導方法の最適化」は、指導力として不可欠です。これを学校全体で底上げしていくことが、体罰等をなくしていくことであり、ひいては、教員の過剰労働を軽減する近道でもあると考えます。そのためにも、体罰や暴言等を「選択してしまう」教員に対して、校長等の管理職がどのような指導・育成をしているか、検証が必要だとも考えています。