31歳のときに大手広告代理店で積み重ねたキャリアを捨て、未経験だったのにプログラマへと挑戦した男。それが、AID-DCCの鍛治屋敷圭昭さんだ。プログラマ歴2年にも関わらず、国内外のアワードを受賞している鍛治屋敷さん。一体、何が彼を突き動かしたのか。広告代理店時代の葛藤、そしてプログラミングへの想いに迫る。
このまま広告代理店にいていいのか?
就職企業ランキングにおいて、未だに根強い人気を誇る広告業界。スケールが大きく、華やかでクリエイティブな印象の強い仕事に憧れを抱く若者も少なくないだろう。
しかし、なかには例外もいる。「自分はこのまま広告業界にいていいのか?」と、大手広告代理店を飛び出したのが国内外で数多くのアワードを受賞するクリエイティブカンパニーAID-DCCで活躍する鍛治屋敷圭昭(かじやしきよしあき)さんだ。
広告代理店でマーケター、ディレクター、さらにはプロデューサーと積み重ねてきたキャリアを捨てて選んだのが、なんとプログラマ。華々しい経歴を捨て、ゼロから新たな道を歩み始めた男だ。その思い切った決断の背景には何があるのか。
さらに、驚くべきはプログラマ歴2年程度にも関わらず、手がけたプロモーション施策がすでにカンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル 金賞など数多くのアワードを受賞している点。全くの未経験だった鍛治屋敷さんをそこまで魅了し、没頭させたプログラミングの魅力とは一体何なのだろうか。
【Profile】
株式会社エイド・ディーシーシー
鍛治屋敷圭昭 Yoshiaki KAJIYASHIKI
愛知県出身。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。2007年に新卒で広告代理店 大広へ入社。マーケター、ディレクター、プロデューサーなどを経験し、2014年にAID-DCCへ。現在は、同社のディベロッパーチームのリーダーとしてメンバーのマネジメントなども手がける。
“代理店おじさん”になりたくない!
― 広告代理店では、どのような仕事を?
入社してから4~5年は、消費者調査や企画の戦略部分を担当していました。いわゆるマーケターです。その後、新設されたデジタルをベースにしたコミュニケーション戦略を考える部署で制作ディレクターとプロデューサーを経験しました。
当時って電通がコミュニケーション・デザイン・センターを設立したタイミングで、僕がいた会社もデジタルの活用に力を入れ始めていたときだったんです。「じゃあ誰をアサインするか?」って話になったときに声がかかりました。
僕自身は学生の頃からインターネットやWebサービスが大好きで、Twitterも初期からヘビーユーザー。いつの間にか社内でも“ソーシャルメディアに詳しいヤツ”というポジショニングができていて、マーケターの部署にいながらもデジタル関連の仕事のときは呼ばれていたんです。だから、自分のなかでは自然な異動でしたね。
― めちゃめちゃ順調じゃないですか。なぜ辞めようと思ったんですか?
先に言っておきますけど、ケンカ別れじゃないですよ(笑)。
マーケターの頃から抱いていた感情なんですけど、僕にとって広告代理店の仕事って企画が進んでいくにつれて徐々に手応えが薄まっていく感覚があったんですよね。“企画は自分でも、つくるのは別の人”みたいな。広告マンとしては失格かもしれないけど、自分の仕事として実感が湧きづらいことも多々ありました。
特にデジタル領域の場合は前例のない企画が求められるけど、「どうやったらつくれるか」とか「どこまでOKで、どこからがNGか」とかを知らないと頭でっかちになるだけ。自分で手を動かせないのに企画し続けることに限界を感じ始めたんです。あ、このままじゃ“代理店おじさん”になるだけだって。
― “代理店おじさん”とは??
念のためお伝えしておくと、広告代理店で働いている人を押しなべて指しているわけではないです(笑)。前職の先輩で尊敬できる方がたくさんいましたし、仕事の基礎や取り組み方を叩き込んでくれたのは間違いなく彼らですし。
そのうえで敢えて“代理店おじさん”と呼んでいるのは、勝手なイメージですけど「口が上手くてエラそうなことは言うんだけど、実際は何もつくれないし、何もわかってないぞ」と現場に思われるような人たちですね。そういう働き方を否定するつもりはないけど、僕はそうなりたくはなかった。それよりも“自分の手を動かす仕事がしたい”と。そこで辿り着いたのがプログラマという仕事でした。
会社にも「プログラミングの部署を立ち上げるならそこでがんばりたい」と伝えたのですが、残念ながら答えはNO。「じゃあ仕方ないね」という感じで、円満退社しました。
AID-DCCと出会い、プログラミングが“超楽しいもの”に変わった
― もともとプログラミングの経験はあったんですか?
イヤ、全く。大学の授業は、いつもコピペで済ませていたので(笑)。全くの素人だから本を読んだり、後輩とプログラミング合宿に行ったりして我流で知識を身に付けていました。
― なぜWeb制作会社のAID-DCCへ転職したんですか?プログラミングの仕事をするなら、自社サービスを保有しているスタートアップも候補だと思うんですが…。
他のスタートアップという選択肢そのものがなかったんですよね。そもそも当時31歳で未経験のプログラマを採用してくれるところなんてそうそうないじゃないですか。
僕の場合は、広告代理店の先輩がAID-DCCの当時のクリエイティブディレクターと高校の同級生だったんですね。飲みに連れてってもらえる機会があったので、そこでプログラミングへの想いをかなり熱く語ったんです。そうしたら「とりあえず、うちに遊びに来てみれば?」って。メチャメチャ嬉しくて、それからは会社にヒミツで退社後にときどきAID-DCCに顔を出して、社員と話したり、企画のアイデア出しを手伝ったり、家ではプログラミングの勉強をしたり…みたいな生活を送っていたんです。半年くらい経って、プログラミングについて理解が深まってきた頃に「正式に応募してみない?」と。
僕にとってはこのアイドリング期間の存在がものすごく大きくて。テクノロジーの仕組みを知れたおかげで「これから生き抜くために身に付けなければいけないスキル」だったプログラミングが、「超楽しいもの」に変わっていった。プロジェクトごとに新しいテクノロジーを駆使して戦うWeb制作会社なら、毎回違う技術や知識に触れられそうじゃないですか。年収は下がってしまったけど、AID-DCCで働くことに迷いはなかったですね。
― そこまで鍛治屋敷さんを魅了したプログラミングの魅力って何だったんですか?
不明瞭なところがない点だと思います。たとえば、見たことないようなVRのテクノロジーで動くマシンがあったとしても、分解していくとすべて小さなプログラムの積み重ねなんですよね。プログラミング合宿で後輩と二人でつくった小さなプログラムも、積み重ねていけばデカい動きにつなげることができる。逆にニュアンスや雰囲気は通用しない。そのあたりは今でもおもしろさを感じている部分ですね。
広告代理店出身だからこその強みもある
― 入社してから苦労したことってありますか?
当然納期がある仕事なので、間に合わなさそうなときは当然ツラいです(笑)。
でも、それ以外でツラいと感じることはないですね。プログラミングをやれるなら、朝から晩までやりたいと思っています。納品直前とかで何日か徹夜しても、家に帰ったら「自分のプログラムできるじゃん」と(笑)。
― 自分のプログラマとしてのレベル感についてはどう感じていますか?
単にスキルとして見ると経験年数が短いぶん劣っていることもありますが、新しい知識を学ぶことや技術を習得することについては負けていないと思います。
自分の志向性として、システムがなぜ動いているのか、なぜそういう仕組みになっているのかということに興味を抱くことが多いんです。カンタンに言うと、“オタク気質”なんですよ(笑)。業務に関係あってもなくても、各プログラム言語の背景にある抽象的な概念や歴史的な経緯、モノが動く原理とかを片っ端から勉強しているので、技術的なトレンドの移り変わりにも対応しやすい。新しい技術を習得するときにとても役立っています。
好きなミュージシャンがいたら、曲を楽しむだけじゃなく、使用機材や幼少時のエピソード、影響を受けた人、周囲の人間関係とかを知りたくなることってありますよね。結果的にそのミュージシャンだけじゃなくて、その音楽や業界全体まで詳しくなって、ニューカマーの台頭にもいち早く気付くという…あの感覚と似ているかもしれません。
― 逆に、広告代理店を経験してプログラマに転身したことの強みって感じていますか?
手前味噌ですが、プログラマ一筋の人よりはコミュニケーションスキルはあると思います。客先にもドンドン出れるし、ビジネスの話もテクノロジーの話もできるから、何か言われても「一回持ち帰らせてください」ってことは少ない。企画のところから、ある程度の仕様にまで一気通貫して落とし込むことができるのは強みなんじゃないかな、と。
むしろ最近の課題は、プログラミングに充てる時間がなさすぎること。日中は相談ごととか打ち合わせとかで手一杯になってしまって、肝心のプログラミングは業務外になってしまう。楽しいから出社前の2時間とか、寝る前の1時間とかでやってはいるけど、それって健全ではないですよね。万人に適用できる働き方じゃないし。ここを改善していくことが当面の課題だと思っています。
― 今後、鍛治屋敷さんはどこへ向かうのでしょうか?
うーん……やっぱり、世の中から認められたいですよね。幸運なことにアワードももらったけど、たまたま良いチームに入れてもらっていただけ。自分が大きく貢献できたと思える仕事をして、獲りたいですね。
僕、中学生の頃に引きこもっていた時期があったので、とにかくそのブランクを取り返したいんです。もともとは人と話すのがめちゃくちゃ苦手だったけど、大学時代のバイトや広告代理店の仕事を通じて後付でコミュニケーション力を習得したし、プログラミングも必死で勉強した。「失った青春を取り戻したい」。それが人生のテーマなのかもしれませんね(笑)。
― 「チャレンジに遅すぎるということはない」ということを改めて実感しました。鍛治屋敷さんのお話が、チャレンジを迷っている人が一歩踏み出すキッカケになればいいなと思います。今日はありがとうございました!
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