『陣屋コネクト』をご存知だろうか? 現在、多くの旅館・ホテルに導入され、宿泊施設運営を支えるクラウドアプリケーションだ。じつは、老舗旅館『元湯陣屋』の新代表が開発したもの。なぜ、旅館の代表がシステム開発を!?
老舗旅館の代表が開発した『陣屋コネクト』が目指す"おもてなし向上"
新宿から小田急線で約1時間。
神奈川県・鶴巻温泉にあるのが、大正7年に創業した老舗旅館『元湯陣屋』。その旅館の代表である宮﨑富夫さんが開発したクラウドアプリケーション『陣屋コネクト』が話題だ。今ではさまざまな旅館・ホテルに導入され、施設運営者から支持を集めている。
『陣屋コネクト』は、予約情報から顧客情報の管理、会計処理、勤怠管理、社内SNSまで、旅館経営に必要なデータの一元管理が可能。インターネット環境があればタブレットやスマホからもアクセスができる。そんな利便性の高さと導入コストの低さで採用旅館が拡大しているのだ。
「日本の旅館の面白さは、それぞれ個性があるところ。観光立国日本ならではの、ITを活用したおもてなし向上に貢献したい」と語ってくれた宮﨑さん。『陣屋コネクト』における開発背景、旅館・ホテル業における課題、そしてビジョンについて伺った。
【プロフィール】宮﨑 富夫
株式会社陣屋 代表取締役社長/株式会社陣屋コネクト 代表取締役 CEO and Founder
慶應義塾大学理工学部卒業、および同大学大学院修士課程修了。2002~2009年の間、株式会社本田技術研究所 基礎技術研究センターにて次世代燃料電池開発に携わる。2009年10月に株式会社陣屋の代表取締役社長に就任。2012年4月に株式会社陣屋コネクトを設立。エンジニアと旅館経営者の2つの経験を活かした新しい事業を展開している。
日本旅館の面白さは、それぞれの個性。それを残したい。
― 「陣屋コネクト」は、もともとご自身が経営する旅館「元湯陣屋」のIT化のために開発されたシステムとのことですが、それを他の旅館にも提供していこうと思われた理由とは?
そもそも、私が陣屋の代表に就任する前、ちょうどリーマン・ショックの頃ですが、陣屋の経営は危機的な状態で、旅館存続の危機に直面していました。再建策を検討していた時に、外資系ファンドや、大手リゾートホテルチェーンから買収のお話もあったのですが、もしもここで譲渡したら、大正時代から続く旅館の伝統や、独自色がこの世からなくなってしまうのではないか?という危機感をおぼえたのです。
当旅館に限ったことではなく、日本の旅館の面白さって、それぞれのブランドや個性があって、その個性を活かしながら、おもてなしの心を発揮するところにあると思うんですよね。その面白さが消えていくのは寂しいですし、消えていってほしくない。それは観光立国日本にとって、長い目でみて良くないことなんじゃないか?という想いがまずありました。
一方で、古くから続く中小の旅館ほど、ITシステム化には乗り遅れていて、いざ着手しようと思ってもノウハウがない。SIerに外注するような資金的な体力もなくて、困っているところが多いという現実があることを知りました。それならば、自社で開発した「陣屋コネクト」をクラウド型のパッケージで安く提供し、それを上手く活用してもらうことで、日本の観光を元気にすることに貢献できればと思ったのです。
キャンピングカーで全国行脚10万km。旅館の「声」から見えたもの。
― では最初から外部に提供するつもりで開発していたわけではないんですね?
そうですね。まずは自分の旅館の経営再建策として、ITシステム化はまったなしの状況でしたので、私自身も腹をくくって、当時勤めていたホンダを退職し、旅館での勤務経験・修業経験がないまま代表に就任しました。
そこから旅館で働くシステムエンジニアとともに、セールスフォース・ドットコム社のクラウドプラットフォーム上に『陣屋コネクト』を約1年がかりで開発して。導入・運営も軌道に乗って、経営再建にもメドがついてきたのは良かったのですが...。
― 自社での運用において何か壁を感じたということでしょうか。
最初は活発に意見を出してくれていたのですが、徐々に少なくなってきて。新しいシステムを使いはじめて2~3年経ってくると、「もっとこういう機能がほしい」とか「もっとこう改善してほしい」みたいな意見が、現場スタッフも慣れてきて、だんだん少なくなってきたんですよね。
― そこで満足してはいけないと思ったのですね。
陣屋コネクトは、まだまだ改善の余地があると思っていましたし、改善を重ねていかないと、またどこかで停滞してしまうんじゃないかという危機感がありました。そこで、外部の旅館にも陣屋コネクトをサービスとして提供すれば、新たな意見・刺激も受けられるし、日本の観光を元気にするお手伝いもできるし、一石二鳥だなと。
それに、私にとっても旅館で修業した経験がないまま陣屋の代表に就任したので、他の旅館の経営者さんたちの声を直接聴けるというのは、とても貴重な勉強のチャンスにもなるんですよね。取引先から伺ったアイデアやご要望をもとに、サービス改善を図り、自分の旅館でまず試して、改良を重ねてお客様に還元するというサイクルを構築することができました。
前職のホンダでも、「レースは走る実験室だ」と言っていましたが、私にとって自分の旅館がまさにリアルな実験室であり、そこで培ったノウハウを全国の旅館にシェアしていきたいと思っています。
― 陣屋コネクトのセールス&サポート活動では、全国の旅館をご自身でまわられたそうですね?
はい。最初は電車やバス、レンタカーで全国をまわっていたのですが、途中からオフィス兼用のキャンピングカーを用意して。旅館って、山の中とか、大きな街から少し離れたところに点在しているので、効率的にまわる必要があったんですよね。なのでキャンピングカーの車内で寝泊まりしながら得意先から得意先へと行脚してまわりました。1年間で10万km走りました。ベッド、シャワー、電子レンジも完備でけっこう快適でしたよ(笑)
― 1年で走行距離10万kmって、プロのトラック運転手並みですよね。その成果はいかがでしたか?
最初の1年は、営業もサポートもほぼ私ひとりの体制だったので、各旅館オーナーさんからの意見は全て私が聴いて、その経験のおかげで旅館経営者としてすごく成長できたと思いますし、陣屋コネクトの機能もこの1年で大幅にアップデートできましたね。
ビッグデータ活用、IoT......旅館×ITで出来ることはまだまだある
― 旅館×ITによって、今後はどのようなことを実現していきたいですか?
新しい旅館組合、コンソーシアムを構築したいですね。ビッグデータを活用して業務に直結する最新のトレンド情報を収集・分析したりですとか、仕入先の情報を共有したり共同購買システムを開発して原価率を下げ、旅館の生産性を向上させる仕組みづくりなどをしていきたいと考えています。また、陣屋コネクトを通じて旅館業界内で、自社の経営状況が良い方なのか、そうでないのか?これまで経営者の勘や感覚に頼っていた部分を「見える化」できる世界を目指していきたいと考えています。
― 全国各地の小さな旅館でも、そういうことができるようになると、本当に面白いですね。
将来構想として、IoTを活用していくことによって「お客様の好みに合わせた客室風呂の温度調節」「共用風呂の入浴者数を測定した清掃頻度の最適化」「WEBカメラを活用してお客様の行動を迅速に予測・対応」こういったことを実現できれば、もっと日本旅館の「おもてなし」は向上すると思っています。
まだまだITを活用して旅館業界を活性化していけることはたくさんあるので、絶えざる進化を続けていきたいですね。
[取材・文]鈴木 健介
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