PRESENTED BY エン・ジャパン

8:00〜26:00のバイト生活から這い上がったネットの風雲児が語る、劣等感を乗り越える生き方

徳谷柿次郎さんのルーツと生い立ちに迫った前編に続き、後編では、上京までの紆余曲折、バーグハンバーグバーグ入社に至った経緯や理由などに迫った。
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バーグハンバーグバーグ 徳谷柿次郎さんへのインタビュー後編。柿次郎さんが東京進出するにいたった経緯、バーグハンバーグバーグへの入社理由などに迫ってみたい。紆余曲折を経て上京した青年はどのようにして自身が生きる道を決めてきたのか?

▼バーグハンバーグバーグの徳谷柿次郎さんのインタビュー【前編(大阪編)】はコチラ

東京。シモダテツヤのムチャぶりが導いてくれた街

― シモダさんに誘われてオモコロに参加して、すぐに「柿次郎」として、大阪から東京にいらっしゃったのでしょうか?

イヤ、実は「柿次郎」と名乗る前に一度上京しているんですよ。23歳のときだったかな。とりあえず、大阪から逃げるように10万円だけ持って上京して、友だちの家に居候をしていて。でも、バイトをしていなかったからお金はないし、今思えば行動力も覚悟も足りなかった。資金の10万円はあっという間に底をついて、自分なりに退路を断って挑戦した上京だったんですが、強制送還みたいな感じで大阪に出戻ることになりました。

「あぁ、やっぱり俺はダメかもな」って落ち込んでいたタイミングでヘビーな出来事がいろいろ重なって、完全に心が折れたんです。とはいえ、生活費は稼がなきゃいけないから、なんとかバイトは続けて...。今思い返しても、一番ツラかった時期ですね。自分の力量や精神状態と周囲の環境から求められる資質が完全に乖離していました。

それから2年後、少しずつ快方に向かい、「柿次郎」と名乗るようになって少し経った頃です。タイミングを見計らったかのように、シモダから、どんな意図があったのか...真意はわからないですけど、Excelファイルが送られてきたんです。「このままでいいのか?とにかく半年で50万円貯めて東京へ来い。毎月エクセルで貯金額を報告しろ」と。それから無我夢中でバイトリーダーとして頑張っていた牛丼屋に加えて、スーパー銭湯のバイトも始めて、必死で50万円貯めました。シフトでいうと、ハチニーニーで牛丼屋、ニーサンニーで銭湯です。

― ...はい?

だから、8時から22時のハチニーニーと23時から2時までのニーサンニーですよ。サンナナで寝て、またハチニーニーが始まる...という生活を繰り返していました。

バイト漬けの暮らしで貯めた資金をもとに再び上京したのが26歳の頃ですね。ただ、23区外のほうが安く借りられると思って契約したアパートが浦安駅から徒歩20分で59,000円だったり、いきなり32インチのテレビを買ったり、シモダにはすごく怒られました(笑)。「自分を追い込むことは大事だけど、追い込み方が違う」と。

それからは細々とバイトを始めて、これまでは物理的な距離があって積極的に参加できなかったオモコロの活動に時間を割いていました。自分のなかで殻を破る転機となったのはシモダの考えた罰ゲーム企画です。具体的には「犬のフンをお気に入りの皿に乗せ...

― 結構です。深く聞いたらダメなやつだと思うので。心境がどのように変化したのかだけ教えてください。

要はシモダのムチャぶりに応えることでオモコロのコンテンツとして成立し、周りから「おもしろい」と言われる感覚を初めて体験できたんです。ああ、コレかって。並行してライターになるためにいろいろ活動していたら、編集プロダクションのノオトに拾ってもらうことができました。資金が底をつきかけてたタイミングだったので、本当にギリギリセーフでしたね。

ただノオト史上、研修期間が一番長かった。あんまり才能がなかったんでしょうね(笑)。それでも何とか掴めたチャンスだったので必死でした。インターネットの記事を通じて自分の想像の範疇を超えたところから反応を得られたことは楽しかったし、何より毎月決まった給料をもらえたのは今までにない感覚だったのでとてもありがたかった。ノオトでは社会人として、ライターや編集者としての基礎も叩きこんでもらえたと思います。

コンプレックスを払拭しようとしたら、バーグハンバーグバーグに入社してた

― バーグハンバーグバーグには4人目の社員として入社されたんですよね?

はい。でも、もともとシモダのなかに僕を雇うという選択肢はなかったと思うんです。バーグって最初3人で立ち上げていて、4人目は何人か候補がいたようですし。

僕自身も最初からバーグハンバーグバーグで働きたいと思っていたわけではありませんでした。ライターになりたくて上京していたので。ただ浦安からシモダの家の近くに引っ越したタイミングで、一時期頻繁に飲むようになったんです。疲れて帰ってきて布団に入った瞬間に呼び出されて、朝6時までただ飲みまくるという...。

僕としては、自分自身が抱えている「フツー」というコンプレックスを払拭するためにありえない時間の誘いに乗っかっていたんだと思います。無茶な誘いに乗っかったら絶対にオイシイじゃないですか。それこそ、普通の人ほど断るタイミングこそ行っちゃえ、と。ノオトやオモコロで力不足を自覚していたからか、この時期はフットワークの軽さや人付き合いに全力を注いでいた気がします。

― コンプレックスを乗り越えようとしていた結果、声がかかった、と。

結果的に、僕に声がかかって4人目の社員だったということかと。シモダの何かに触れたんでしょうね。僕自身もおもしろいと思えて、コレで生きていくってものと出会えた予感がしたから一緒に働くことを決めました。

― 実際に働いてみてどうでしたか?

今になって感じるのは、バーグハンバーグバーグという看板で仕事するよりも、自分でアイデアを出して、クライアントと交渉して、成功させたときのほうが圧倒的に気持ちイイんですよね。自分の価値観で勝負したいという欲求は強めなのかもしれません(笑)。

まぁそういう部分を含めて個人的にまだコンプレックスはあるんですけど、シモダ、あとノオトの社長である宮脇さんにはすごく感謝しています。拾ってもらった人に、「柿次郎がんばったな」「俺が拾ったから、ああなったんだ」って言ってもらいたい。彼らとの出会いがなければ、僕はコンプレックスを乗り越えようとはしていないので。彼らが望んでいるかわかりませんが、彼らのために出世したいという気持ちがメチャメチャ強くなりました。

僕の生きる指針のひとつとして「より多くの恩人をつくり、その恩人に報いる生き方をする」というのがあって。結局、人が頑張れるのって"誰かのため"じゃないですか。その"誰か"との関係性を深く深く築いていけば結果的に視野は広がると思います。

人生は運じゃない。たった一歩、踏み出せるかどうか

― これまでを振り返って、自分の運命を恨んだことってありました?

劣等感は抱いていましたが、自分の運命も、貧乏だった親父のことも全然恨んでないです。借金の問題で喧嘩したときに、脇腹をどついたことはあったけど(笑)。五体満足で生きているのと、幼少期に愛情を受けていることだけで充分。環境を言い訳にしても何も進展しないですし、結果的に当時の経験が糧になっています。僕の場合、当時のお金がない状況をどうにかしないといけない、自分の人生を自分でどうにかしないといけない、という必要性があった。必要性があれば、人間は行動できるものだと思います。

― では、逆に運がいいと思ったことは?

客観的に見たら運がいいと思われるかもしれませんが、当事者としては自分の道をちゃんと自分で切り拓く、そのきっかけやチャンスみたいなものって自分の努力によるものかな、と。

いきなり「50万円貯めろ」っていうムチャぶりに対して、本当にやる人がどれだけいるか、寝る直前に呼び出されて朝6時まで飲む人がどれだけいるか、「柿次郎と名乗れ」と言われて本当にやる人がどれだけいるか。そこにたった一歩だけ、踏み込めるかどうかが大事なんだと思います。

僕も最近後輩ができたからわかるんですけど、「反応早い」とか「食いつきがいい」とか、それだけでも人を選ぶときの判断材料になるんですよ。うまく言葉にできないんですけど、人生を面白くするチャンスって誰にでも平等に訪れていて。特にインターネットの恩恵を受けやすい東京はチャンスが訪れる回数も多い。そこに反応できるかどうかだけじゃないですかね。この時代に生を受けたという点に関しては、運が良かったと思います(笑)。

― 今後の人生はどのように切り拓いていくつもりですか?

大阪時代の狭すぎる価値観の世界で生きてきた自分を省みると、もっと選択肢に多様性のある生き方を切り拓いていきたいと思っています。最近よく「全国47都道府県に故郷をつくりたい」と口にしているんです。どの地域にも自分が帰る場所がある世界にできれば、自分に子どもが生まれたときに親としてできるだけ多くの価値観や可能性を提示できるんじゃないか、と。そして、もし子どもが誰かにイジメられるようなことがあったら、ときには「立ち向かえ!」と背中を押し、ときには「ヨシ!引っ越そう!」と手を引いてあげられるような親父になりたいですね。

もっと言うと、日本全国に約800人しかいない徳谷姓をもっと立派な血筋にしたいと思っていて。自分の代では絶対にムリなので、孫の代でどうにか花咲いてくれるように...ちゃんと生きていきたいと思います。

― 柿次郎さんがつくるものはおもしろいものが多いけど、誰かが傷つくことはない気がしていて。その根底には、壮絶な過去の経験とか、コンプレックスとかがあるのかもしれませんね。万人が真似できる生き方ではないかもしれませんが、柿次郎さんの覚悟を垣間見ることができましたし、これからが楽しみです。ありがとうございました!

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