本流から離れて、異色のキャリアを歩み続ける医師

「臨床現場で頑張っている先生方こそが本流で、私の経歴はあくまで傍流」

効率的な医療提供体制を模索する

高校時代に目にしたニュースから、医療の提供体制に興味を持ち医学部へ進学した本間政人先生。2年間の初期臨床研修の後、厚生労働省の医系技官を経て、製薬企業などへのコンサルティング業務に携わるというキャリアを積んでいます。異色のキャリアゆえに「医療の本流から離れている」感覚を持っているものの、高校時代から一貫してよりよい医療の提供体制の構築を模索しています。

臨床ではなく、医療の提供体制に興味があった

―医系技官を目指された理由から教えていただけますか?

高校生の時、某企業が実質的に病院の経営に参画したニュースを見て、漠然と医療の提供体制について興味を持ちました。うっすらと医師や医療への憧れもあったので、医学部に入学。ところが興味の対象が医療の提供体制に関する制度や枠組みで、臨床医になりたいという強い意志を持っていたわけではなかったので、臨床医として働くイメージを持てずにいました。

そのため、大学の3、4回生の頃は、将来の進路にも迷っていましたね。国家試験を受けて医師免許を取得すべきか、それともコンサルティング会社など医療提供の枠組み作りに関われそうな企業に就職するのか―。周囲の同級生とは全く興味のポイントが違い、「自分は本当に医学部にいる意味があるのか」と考えたりもしました。

そんな時たまたま大学構内に、医系技官募集のポスターが貼ってあるのを目にし、それで医系技官の存在を初めて知りました。厚労省に医師の技官として入省したら、医療分野に特化して制度を考える仕事ができるということで、医系技官を目指すようになったのです。

―医系技官としてはどのような部署を経験されてきたのですか?

最初の3年間は診療報酬に関する部署へ配属、次の2年間は環境省に出向しました。熱中症や黄砂など、環境問題の影響で起こる健康被害への対策が、環境省と厚労省合同のチームで検討されていて、その一員として働きました。その後再び厚労省に戻り、2年間、臨床研究や治験の推進、臨床研究に関する倫理指針の見直しなどを担当、最後の1年間は独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)の本部で、主に医療安全対策に関わりました。入省前は当時の報道による官僚への悪いイメージもあり、「合わなければ2,3年で辞めて次のキャリアに進めばいいか」と考えていましたが、それぞれの部署に面白さや、やりがいがあり、気付けば8年も医系技官を務めていました。

コンサルタント兼現場と行政の橋渡し役

―医療の枠組みづくりに直接かかわるチャンスもありますし、やりがいもあったのに、なぜコンサルティング会社へ転職されたのですか?

確かにやりがいはありましたが、行政職員は中立性を一定程度求められ、何かに肩入れすることは許されません。例えば診療報酬の分野では、地域医療を頑張っている医療機関を応援したいと思っても「もう少しこうしたら診療報酬を多く取れますよ」とアドバイスするわけにはいきませんし、臨床研究推進の分野で、業界団体の考えている方向性がいいと思っても、その実現のために「政治に対してこんな働きかけをするといいですよ」と言うことも許されません。

もう一歩踏み込んで、日本の医療のために頑張っている方がよりいい方向に向かうお手伝いをしたいと強く思うようになったことが、一番の要因です。

転職にあたっては、製薬企業や医療機関に入って、現場の一人として行政での知見を活かしていくことも考えました。しかし最終的には、製薬企業や医療機関など様々な立場の方々に幅広く関わっていきたいと考え、コンサルタントの仕事を選びました。

―実際、現在はどのような仕事を受け持っているのですか?

直近では、製薬企業関係のコンサルティング業務が多いですね。今、地域包括ケアや地域医療構想などにより、医療を取り巻く考え方や制度が変わってきていますが、これは製薬企業にとっても無関係ではありません。例えば、単純な話としては、地域の病院が統合されたら営業先が1つになり営業体制は変わりますし、病院と診療所の機能分化・連携が進めば求められる情報・エビデンスも変わってきます。このような社会の動きに対して、どう対応していくことで、企業が社会に求められる方向に進みながら収益を上げられるか検討し、提案しています。

また、医療機関のカルテの電子化が進み、データの活用に関するルールの整備も進みつつあり、臨床データを有効活用しやすい環境が整ってきています。そこで、複数の医療機関と提携して、そのデータを使った後向き研究のコーディネートをしたり、新たなデータ活用方法の提案をしたりもしていますね。

さらには前職の人脈を活かして、現場での個別課題を厚労省担当者に直接伝えることもしています。課題によっては、担当者が理解して対処してくれればすぐに改善できるレベルのものもたくさんあるので、行政の仕組みを理解し、担当者が対応しやすいように整理して伝えるように考えています。

今後、こうした取組を増やし、現場と行政の橋渡し的役割も担えればと考えています。

異色のキャリア保持者として目指すこと

―効率的な医療提供体制をつくっていくことが本間先生の大きな目標だと思いますが、今後の展望はどのように描いていますか?

コンサルティング会社に転職してまだ3年目。ようやく、現場と行政の間で私に何ができるかが見えてきたように思いますし、まずはここで多様な角度から医療を見ながら、自分の幅を広げるとともに、自分にできることをやっていきたいと考えています。

そして、最終的には病院運営に直接関わりたいという思いがあります。ただ、自分が個別の病院の病院長になりたいということではなく、1つの地域で機能の異なる医療機関が集まっているようなグループの運営に関わり、医療の質と効率性を両立しながらよりよい医療提供体制を作っていくことができればと思っています。更にはよい体制を作り、行政と協力して、それを全国に広げていくところまでできれば理想です。

あとは、2025年に団塊世代が後期高齢者になることで起こる課題がクローズアップされ、その対策として医療の提供体制をどうするかという議論がなされています。しかし、私は、その後こそがさらに大きな課題だと思っています。団塊世代が亡くなると患者さんの数が大幅に減りますが、医師、看護師、ほか医療スタッフの養成数は減らされておらず、飽和状態になることが目に見えています。

せっかくの優秀で専門性の高い人材が、その能力を不毛な経済競争に費やすことになれば、大きな社会的損失だと思いますので、医療関係者が医療機関以外で活躍できる機会をより多く創出するような取組もできないかと考えています。

医師免許を取得したものの、初期臨床研修の2年間以来、臨床現場にはほとんど携わっていません。そんな環境に身を置いて10年以上経過しますが、やはり臨床現場で頑張っている先生方こそが本流で、私の経歴はあくまで傍流だと思っていますし、医師として名乗ることに後ろめたさを感じることもあります。

しかし、医系技官・コンサルタントというキャリアを積んできたからこそ経験できたことも多くあり、その経験を少しでも日本の医療の発展のため活かせるよう今後も挑戦を続けたいですね。

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◾️医師プロフィール

本間 政人 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 マネジャー

2005年京都府立医科大学を卒業、聖マリアンナ医科大学病院での初期臨床研修を修了後、2007年に医系技官として厚生労働省に入省。同省保険局医療課、環境省環境保健部環境安全課への出向、厚生労働省医政局研究開発振興課、(独)地域医療機能推進機構本部への出向を経て、2015年3月に厚生労働省を退職。2015年4月、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社に入社、ライフサイエンス&ヘルスケアユニットに配属、現在に至る。

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