医師23年目の挑戦。地域社会で健やかさを支援する

「みんながより自分らしく生きられる社会のために、幾分かでも自分なりに役立っていけたらと思っています」

離島医療に携わった後、長年心のケアやカウンセリング、さらには学校運営にも取り組んでいた小栗哲久先生。医師23年目で、再び地域医療の臨床現場に戻るべく、研修を受けています。なぜ今、地域医療に戻ることを決意したのでしょうか?

◆肩書も世代も超えて、健やかさを求められる地域をつくりたい

―どのようなことに挑戦しようとしているのですか?

私は長らく臨床現場から離れていたのですが、自分のキャリアを見つめ直し、医師23年目ですが、もう一度臨床現場に戻ることを決意しました。そのために現在、高知県宿毛市にある大井田病院で、ゲネプロ合同会社が提供しているジェネラリストを育成する「Rural Generalist Program Japan(RGPJ)」研修を受けています。

なぜ臨床現場にもう一度戻りたいと思ったか――。理由は、人が生きる生活の場が健やかになるような応援をしたいと、改めて考えたからです。

私の理想は、街の個人商店が並ぶところに肉屋や八百屋、靴屋と一緒に「医者」も並んでいる医師。医師だからといって一段高いところにいるのではなく、皆と同じ土俵の上で、自分の知っていることが人の役に立つならシェアして、お互いに知っていることを共有し、いいなと思えることには、素直に「それ、いいね」と伝え合えるようなコミュニティの中にいる医師になりたいと考えています。

そして、そのようなコミュニティで人が健やかに生きられるように、自分の得意分野でそっとサポートしていける、そんな医師として生きていきたいと改めて考えました。そのためにまずは、臨床現場にもう一度出ようと考え、研修を受けています。

振り返って考えてみると原点は、学生時代に参加したキャンプにあるように思います。

―どのようなキャンプだったのですか?

糖尿病を専門にしている先生方が、糖尿病のある子どもたちにインスリン注射を自分で打てるように促していくキャンプです。肩書きや年齢に関係なく全員がニックネームで呼び合い、自然の中でアクティビティを楽しみながら糖尿病のことを学んだり、インスリン注射の重要性を伝えたり、注射の練習をしていく。そして注射を自分でやってみようとする子どもを応援し合い、それによって他の子どもも勇気をもらって自分で注射してみようとする――。

医学的な知識を伝え必要性を説くのではなく、体を大切にしたり、健やかに生きる、楽しむというところに視点が向いていました。そして子どもたちが楽しみながらインスリン注射の重要性を理解し、やる気を出して、それを見ている大人たちの顔にも喜びが浮かんでいる。そのような光景を見て、立ち場を超えてお互いに学び合い高め合う環境で、人が健やかさを保ち続けられることが理想的だと感じたのです。

◆生き方の選択肢が狭められている

―これまではどのようなキャリアを積まれてきたのですか?

私は一度、慶應義塾大学商学部を卒業してから、島根医科大学(現・島根大学)に再入学しました。企業から内定もいただいていた大学4年の時、「ほんとうにこれが自分の生きたい道だろうか」と、ふと立ち止まってしまったのです。もともと高校生の時に原因不明の病気で入院生活を送ったことがありました。幸運にもその病気は完治し、日常生活を送れるようになったのですが、その時に「絶対に自分の生きたいように生きる」と心に決めていたのです。

就職して基本的な社会人としてのスキルや経験を身に着けてから自分の生きたいように生きようと思っていましたが、やはりそのような回り道をするのはやめようと考え直し、内定を辞退。自分がもっとやりたいと思うことがあるはずだと感じていたのもありました。そして、アルバイトなどで色々な経験をしていく中で、はたと見つけたのが「医師」でした。

―医師の道に進み始めた小栗先生。どのような診療科を目指していたのですか?

最初は先端医療に興味を持っていました。しかし人が先端医療を必要とする時は、一部の人の人生のほんの一期間。それよりも日常生活に近い医療のほうが、多くの人にとって必要なのではないかと思い、公衆衛生や地域医療に関わってみたいと思うようになったのです。

それで卒業後は、島根県の離島医療に携わる機会を与えていただきました。島での診療を通して、身体症状以上にもう一段踏み込んで、心の健やかさや「生きる」ということについて力になれないか、と考えるようになったのです。そのような課題感をさまざまな人に話していたら出会ったのが、ホスピスでした。そしてホスピスで心のケアやカウンセリングについて学ばせてもらいました。

その後、子どもが生まれたことをきっかけに、子どもの頃から「健やかさ」を自然と身に着けていけるような環境があればと思い、自由な教育の学校を立ち上げました。医師としてはカウンセリングや産業医、講演活動を通して、「健やかさ」の啓発をしていました。

―では、どうしてこのタイミングで再び地域医療に携わろうと思われたのですか?

子どもが大きくなり、住環境を含めて今後の家族のあり方をみんなで考え直していました。その時、ふと「自分は無理していないか」と思ったのです。このままのキャリアで本当にいいのか、と考え直したんですね。

医師のキャリアについてインターネットで検索していたら、長年基礎研究に従事されていたご年配の医師が、やはり臨床医をやりたいと研修を受け直し、臨床医に転向されたという記事を見つけたのです。医師23年目で、長年臨床現場からは離れていたものの、やはりもう一度臨床現場に戻り地域の医師として、地域の中で人の体だけでなく心の健康を診て、誰もが健やかに生きられるように支えていきたい、そう決意して、ゲネプロの研修を受けることにしたのです。

キャリアとは、続けるか/辞めるかといった2者択一的な視点だけでなく、本来自分としてどうなっていきたいのかを、まず確認したほうがいいのではと思っています。そして、進みたい方向性が少し見えきたとしても、急に無理に多くを変えず、少しずつそちらに向かっていけばいいと考えています。というのも、そこから少し探っていくと、さらに具体的なヒントが見えてきたり、逆に修正が必要だったりすることもよくあると思うからです。

私自身、そうしながらより具体的な道が見えてきて、今回の選択肢にもつながったと思います。遅々としていますが、みんながより自分らしく生きられる社会のために、幾分かでも自分なりに役立っていけたらと思っています。

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医師プロフィール

小栗 哲久 内科

愛知県生まれ。慶應義塾大学卒業後、島根医科大学(現・島根大学)に入学。公衆衛生学講座、総合診療を経験後、離島の診療所や緩和ケアなどにも関わる。その後、自由な教育の学校の運営やカウンセリング、講演活動を中心に活動を続ける。2018年4月からは、ゲネプロ合同会社が運営する、離島やへき地診療に携われる医師を育成する「Rural Generalist Program Japan」にて研修中。

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