在宅医療から社会にイノベーションを起こす

幼少期に野口英世に憧れて医師になったという武藤真祐先生に、超高齢社会の課題解決におけるリーダーシップのあり方、そして在宅医療と介護の将来について伺いました。

幼少期に野口英世に憧れて医師になったという武藤真祐先生。循環器内科医として急性期病院に勤務した後、宮内庁で天皇・皇后両陛下の侍医を務められました。その後は、外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーへ。「自分は何を成すべきか」と問い続け、自身のイノベーションの場として選んだのは、「在宅医療」でした。

2010年に東京都文京区で在宅医療を中心とした診療所「祐ホームクリニック」を開業した翌年には、東日本大震災がありました。武藤先生は、宮城県石巻市の災害福祉避難所を訪れ、不自由な避難生活によって身体機能が低下していくお年寄りを目にし、2011年9月に石巻にも診療所を開業しました。

野口英世に憧れた理由は「並外れた努力や行動で、普通の人が考える制約を突破した人だから」と語る通り、ご自身も制約を突破し続けているようにみえます。武藤先生が考える超高齢社会の課題解決におけるリーダーシップのあり方、そして在宅医療と介護の将来について伺いました。

組織におけるリーダーシップとは

-どのような思いから、在宅医療を中心とした「祐ホームクリニック」を始めようと思ったのですか?

二つの理由があります。まず一つには、社会が本当に解決を必要としている課題に取り組みたいという思いがありました。つまり、これからの日本が抱える高齢化の問題を――例えば、孤立している高齢者が増え医療提供もままならなくなってくる状況を――なんとかしたいという気持ちがありました。もう一つには、今までにないものを作り出せるフィールドで、インパクトを出したいと思ったのです。

医療の分野でインパクトを出すには、大学で研究をしたり行政の仕事に就いたり、コンサルタントになるという道もあったかもしれません。でも私は、医療の現場が実際に変わっていく様子を目にしながら、現場でイノベーションを起こしていきたいと思いました。そのためには、在宅医療の現場で臨床をしていくのが一番良いのではないかと考えたのです。在宅医療の現場から社会の仕組みを変えていくことは、大変な困難を伴う可能性が高いですが、これができれば世の中に大きなイノベーションを起こし、社会にも貢献できると思いました。

-実際に在宅医療に取り組んでみて、想像と違っていたことはありましたか?

ひどく散らかっていて衛生環境が悪い家に行くとか、崩壊している家庭のご家族の方と話すとか、ある程度の予想はしていました。しかし、実際にやってみると想像以上に大変で、医師一人で解決できることは少ないことを実感しました。在宅医療と介護の現場は、さまざまな職種の支えや行政の支援などがあって成り立っていることを知ったのです。

もちろん、大学病院にもさまざまなスタッフがいますが、多くの場合、医療チームの最終的な意思決定は医師がします。けれども在宅医療の現場では、医師、訪問看護師、ケアマネージャー、その他のスタッフが、それぞれ一定以上の責任を持ってリーダーシップを発揮することで、包括的なケアを行うことができます。これが在宅医療におけるチーム医療なのだと思い知り、ある種の新鮮さを感じました。

その中で医師としての自分をどうポジショニングするべきか。チーム全体の価値を高めるためにはどうすればよいか。そういった点でも考え方が変わってきました。それまでの私が考えてきたリーダーシップは、自分で決めたことを進めていくために必要なものでした。しかし組織が大きくなってくると、自分だけが頑張ればなんとかなるというわけにはいきません。自分の決めた目標を1人で達成することと、100人の仲間と同じ理想を目指すことは、全く別のことだと分かったのです。自らのマネジメントの中で、それぞれの職員がどのようにリーダーシップを発揮すればよいかを考えるようになったことは、起業した後での大きな変化でした。

私は起業するまで、いわゆる「人を率いるリーダー」を目指したことはありませんでした。人と話をすることも、前に出ることも、それほど好きではありませんでしたし、どちらかというと会場の後ろ側で立っているようなタイプだったんです。でも、自分の組織を持つと、そういうわけにもいきません。リーダーシップについては、現場で実践から学んできた部分が大きいですね。

いま私がやるべきことは自ら進化できる組織をつくっていくことです。ですから、自分が率先して引っ張っていくことは、なるべくしないように心がけています。最終的な決断はもちろん私が行いますが、それ以外のことについては現場で判断してもらい、現場からどんどん変わっていくことを尊重しています。そうでなければ組織を大きくしていくことは難しいと思うのです。

イノベーターであり続けるということ

-ブレイクスルーのきっかけとなったのは、どのような出来事だったのですか?

今はこうしてさまざまな活動に取り組んでいますが、私も大学生のころは、将来についてかなり保守的な考え方をしていました。「自分は大学に残って研究をしながら、臨床や教育をするんだろうな」と思っていました。当時は、医学部の中のことしか知りませんでしたし、周囲もそうだったので疑問を感じることさえありませんでした。

けれども社会人になって、「このまま大学で10年研究を続けたとして、本当に私は世界に大きなインパクトを与えられるのだろうか」と、ふと考えたのです。大学の中でキャリアを積みながらも、どうすれば野口英世が成し遂げたようなイノベーションやブレイクスルーが生まれるかを、常に考えていました。

宮内庁で侍医を務めたことが、外の世界に目を向けるきっかけになりました。天皇・皇后両陛下を おそばで拝見して、そのお心の優しさに感動したこともあります。また、自分が経験し得ない世界を垣間見ることで、日本という国のこと、社会の課題、国際問題をより身近に感じるようになりました。それまでは患者さんの病気のことや研究のことが頭のほとんどを占めていましたが、自分の世界の制限が取り払われ、さまざまな可能性がものすごい勢いで広がっていったのです。その後は、外資系コンサルティング企業のマッキンゼー・アンド・カンパニーに行き、ヘルスケアリーダーシップ研究会(IHL)を立ち上げ、祐ホームクリニックを開業しました。

いま振り返ってみると、こうして行動に移したり努力したりする気質は、以前から私の中にあったように思います。大学にいた時はこういったものが必要とされていなかったので、気がつかなかったのです。ブレイクスルーに伸び悩んだときは、環境を変えると良いと思います。

ブレイクスルーのきっかけは今も探しています。イノベーションを求める気持ちはずっと持ち続けたいと思っているんです。ですから組織の中でも、きちんと医療を提供する場所とチャレンジする場所をつくっています。きちんとやり続ける部分もあればフロンティアを開拓する部分もあるという発想は、個人として考えるときも組織として考えるときも変わりません。

医療を提供していくことに関しては、目の前の患者さんや地域に対しても大きな社会的責任を伴うものですので、そういった使命感にモチベーションを感じています。一方で、イノベーションを起こすためのチャレンジは、新しいものを創り出すことにワクワクしている感覚に近いですね。イノベーターであることも、誰かがやらなければ次の世の中は生まれないという意味で、社会に対する私の責任だと思っています。

5年前、東京に在宅医療を中心とした診療所「祐ホームクリニック」を開業し、東日本大震災の後には石巻にも在宅医療の診療所を開業しました。その中では、在宅医療や介護のチームケアを促進するICT(情報通信技術)システムを活用する仕組みもつくってきましたが、これらも全て「きちんと医療を提供する使命感」と「イノベーターとして新しい仕組みをつくる」ことの組み合わせから生まれたものだと思います。

-内閣官房のタスクフォースの構成員や経済産業省の委員などのお仕事をされて、感じたことはありますか?

課題解決に対する観点の違いですね。現場で在宅医療を行う立場では、患者さんや、地域の医療・介護の連携に対して何ができるか、自分たちや周りの人たちがやっている良いものを伸ばし、広げていくにはどうしたらよいかを考えます。しかし、国は全国を見なければならない立場なので、悪いところを減らしていくといった発想も必要です。

国の立場で見るときには、医師の経験や組織を運営する者としての経験がベースにありながらも、捉え方はもっとマクロです。同じものに対しても、個人の目で見るか、組織の長の目で見るか、より大きな影響を持つ国の目で見るかによって、考え方が違ってくるのです。どれかの視点に偏らず、この3つの目を持ち続けることが社会における私のポジションの一つだと思っています。

在宅医療の本質と、その未来

-在宅医療の現場での良い事例を、他でも再現するための取り組みは行われていますか?

日本プライマリ・ケア連合学会がそのような研究を進めていますが、在宅医療や家庭医療というのは、客観的なデータを取りにくい面があります。病院で抗がん剤の効果を比較するような場合なら研究結果を明確に把握することも可能ですが、在宅医療の本質には患者さんやご家族の心のケアも含まれます。これは、客観的な評価が難しいものです。

在宅医療では、手術のように劇的な治癒があるわけではありません。そうなると、大切なことは患者さんやご家族と築く日々の関係の積み重ねなのです。医師や看護師、ケアマネージャーが患者さんと接する中での目に見えない効果は、ある程度検証されてきています。しかし、最後まで科学では評価できない何かが残るように思うのです。

誰に、どんな雰囲気で、どんな言い方をするのか。患者さんへの接し方自体も在宅療養の一環です。「こういう話し方をすれば、信頼を損なう可能性がある」というような研究は今後も進んでいくと思いますが、「こうすれば良い」という一問一答のマニュアルのようなHow toは有効ではないでしょう。大事なのは「患者中心・家族中心」などといった考え方やコンセプトが広がっていくことだと思います。

-高齢にもかかわらず独居の方も多くいらっしゃいますが、この問題を解決するにはどうすればよいのでしょうか?

よく「独居高齢者」と、ひとくくりにされてしまうのですが、私は全ての人に効く手段はないと思っています。たくさんの人と関わっていたいという人がいれば、それがストレスになるという人もいます。介護ロボットでのケアが有効な人もいるでしょうし、そうでない人もいるでしょう。「孤独の問題」といっても、患者さんがどうしてほしいのかは人それぞれで違っています。

「孤独」は、言い換えれば「ひとりでいる」ということになるわけですが、そこにはなぜひとりになったかというそれぞれのストーリーがあるはずです。そのストーリーのなかで何をするのがよいのか、仮説検証を繰り返しながら、その人にふさわしいものを提供していくのが良いと思います。これは人間そのものを考えることにほかなりません。

私たちにまずできることは、ソリューションをそろえることです。例えば、社会インフラとしての集合住宅、ショートステイやデイサービスのように短い時間でも誰かと一緒に過ごせる場所、ロボットやテレビを通じた見守りサービスのようなものです。しかし道具をそろえても、どれがその人にフィットするのかは実際にやってみないと分かりません。やってみるためには信頼できる人の存在が必要です。「この人が言うからデイサービスに行ってみよう」とか、「この人が勧めるなら、ロボットを試してみようか」とか。

今のシステムでこの役割を担うのは、おそらくケアマネージャーやご家族の方ですが、ここにはさらにサポートする人材が必要です。ITを含めた提供サービスを増やす面と人的リソースを充足する面、この両面が必要だと思っています。

-武藤先生が目指す理想像は、どのようなものですか?

これからの社会保障費の増大を考えると、専門職以外の民間事業者も含めた多くのプレーヤーが医療・介護の世界に関わり、それぞれが課題に対してソリューションを生み出していく仕組みと、そのソリューションを必要に応じて選択できるプラットフォームをつくることが大事だと考えています。また、多くの選択肢からその患者さんに合ったものを選んであげるコーディネーターも必要です。

在宅医療には医師がいなくてはなりませんが、IT技術が進化して自己健康管理や人工知能による診断、遠隔医療が発展すれば、将来的に医師数はそれほど必要でなくなる日が来るかもしれません。そんな中でも、良い方向にもっていく「人」の存在は、やはりすごく大事だと思います。

いま注目しているのは、自己健康管理や遠隔医療において、現場でICTを活用する仕組みです。2015年8月にシンガポールで新しい訪問看護とケアマネジメントを合わせたようなサービス「Tetsuyu Home Care」を開始しました。今後もシンガポールと日本でチャレンジを続け、良い仕組みができれば、それを双方のフィールドで広めていきたいと思っています。アジアを中心としてグローバルで、在宅医療と介護の新しい仕組みをつくっていきたいですね。

◆◆◆武藤真祐先生の記事◆◆◆

PROFILE|武藤 真祐(むとう しんすけ)

医療法人社団鉄祐会 祐ホームクリニック 理事長・院長

1996年東京大学医学部卒業。2002年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了(MBA)。2014年INSEAD Executive MBA。東大病院、三井記念病院にて循環器内科、救急医療に従事後、宮内庁で侍医を務める。その後マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年医療法人社団鉄祐会を設立。2015年には、シンガポールで「Tetsuyu Home Care」を設立し、同年8月よりサービス開始した。

東京医科歯科大学医学部臨床教授、厚生労働省情報政策参与、内閣官房IT総合戦略本部 新戦略推進専門調査会 医療・健康分科会構成員、厚生労働省 緩和ケア推進検討会構成員、クラウド時代の医療ICTに関する懇談会構成員など

注目記事