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2018年06月22日 11時49分 JST | 更新 2018年06月22日 11時49分 JST

サイボウズ式:その場にいる人が間違いを受け入れてしまえば、それは「間違い」じゃなくなる──菅原直樹×小国士朗

その場にいる人が受け入れてしまえば、それは「間違い」じゃなくなる

サイボウズ式


多様性のある組織には、さまざまな価値観を持つ人が集まります。ときにはわかりあえず、相手にイライラしてしまうこともあるかもしれません。そんなとき、どのようにして違いとつきあっていけばいいのでしょうか?

今回登場していただく菅原直樹さんと小国士朗さんは、ともに「異なる価値観」を持つ人たちと向き合う活動を続けています。

菅原さんは、演劇と介護を結びつけた劇団「OiBokkeShi」を主宰しており、小国さんは、"注文をとるスタッフが全員認知症"というコンセプトを持つ「注文をまちがえる料理店」を企画しています。

違いを楽しみ、新たな価値を生み出す2人の対談をお届けします。


ごく当たり前の、むしろ豊かだと思えるような暮らしを送っている方々がいた

菅原:小国さんとお会いするのははじめてですが、「老い」を前向きにとらえて活動しているという点で、勝手に共感を覚えていまして。

「注文をまちがえる料理店」のコンセプトは本当にユニークですよね。

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「注文をとるスタッフが全員認知症」というコンセプトを持つ「注文をまちがえる料理店」。(撮影:森嶋夕貴 D-CORD)

小国:ありがとうございます。でも僕はもともと、認知症というものを全然わかっていなかったんですよ。

菅原:わかっていなかった?

小国:このプロジェクトを立ち上げたきっかけは、介護福祉士の和田行男さんが運営するグループホームを番組の取材で訪れたことなんです。

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小国士朗(おぐに・しろう)さん。日本放送協会(NHK)制作局 開発推進 ディレクター。2003年に入局し、情報系ドキュメンタリー番組を中心に制作。2013年に社外研修制度を利用して大手広告代理店で勤務した後、NHKのスマホアプリやSNS向けサービスなどの企画・開発に携わる。個人的プロジェクトとして、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」などを手がけている。

菅原:認知症介護で有名な方ですよね。

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菅原直樹(すがわら・なおき)さん。俳優、介護福祉士。四国学院大学非常勤講師。大学時代に演劇の道を志し、卒業後はフリーの俳優として小劇場で活動。新進劇作家・演出家の作品に多数出演し、平田オリザが主宰する青年団に俳優として所属。同時にホームヘルパー2級を取得し、2010年からは特別養護老人ホームの介護職員として勤務する。2012年に岡山へ移住し、介護と演劇の相性の良さに着目して「老いと演劇」OiBokkeShiを立ち上げる。

小国:はい。取材するまで僕は認知症についての知識がほとんどなく、「超やばい病気だ」なんて思っていました。

でも実際に施設を訪れてみると、ごく当たり前の、むしろ豊かだと思えるような暮らしを送っている方々がいて。

菅原:ああ。

小国:和田さんのグループホームは「自分でできることは自分でやる」という方針なんです。

入居している認知症の方々は700メートルほど離れた市場へ買い物に行き、自分たちで食事を作る。僕も取材の合間にごちそうしていただきました。

その場にいる人が受け入れてしまえば、それは「間違い」じゃなくなる

菅原:何を作ってもらったんですか?

小国:ある日の昼食のことですが、献立はハンバーグだと聞いていたんですが、実際に出てきたのは餃子でした。

菅原:なるほど(笑)。

小国:「挽き肉しか合ってないじゃん」って(笑)。思わず「献立を間違ってますよ」と言いそうになりました。

でも、ふと気づいたんです。僕がそれを言うと、ここにある"普通の暮らし"がぶち壊しになってしまうんじゃないかと。

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菅原:お年寄りのみなさんは、当たり前のこととして餃子を焼いてくれていたわけですね。

小国:そうなんです。その場で、「それはハンバーグじゃなくて餃子だよ」と思っているのは僕だけでした。

そこでは僕だけが浮いていたんですよ。そして、そんな自分に違和感を持ち始めるようになりました。

菅原:僕たちの中にある常識としてはハンバーグと餃子は明らかに違うものですが、そこに暮らす人たちは間違いを受け入れていた。

小国:はい。その場にいる人が間違いを受け入れてしまえば、それは間違いじゃなくなるんです。これっておもしろいな、と思いました。

それで「注文をまちがえる料理店」というコンセプトが浮かんだんです。たかがハンバーグと餃子かもしれないけど、僕にとってはとても大きな体験でした。

祖母のボケを正すべきなのか、それとも受け入れるべきなのか

菅原:僕自身、認知症の方と接するようになってはじめて、「老い」や「ボケ」から大切なことを教えてもらいました。

小国:そうなんですか?

菅原:なんというか、僕らが生きている一般的な社会とは別の価値観があると思うんです。

小国:わかる気がします。

菅原:僕がはじめて接した認知症の人は、母方の祖母でした。

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菅原:ある日の昼ごはんのときに、僕は祖母が残したコロッケを食べちゃったんですね。

そうすると祖母が「しょうがない子だね、あの人にあげようと思ったのに」と言うんですよ。

小国:あの人?

菅原:誰のことか聞いたら、「タンスの中にいる小さな人よ」と。

小国:おお。

菅原:「怖っ!」と思いました(笑)。日常生活の中でさらっとそんなことを言われたら、聞いているほうは驚いてしまいます。

小国:ですよね。

菅原:そこで家族は考えるんです。祖母のボケを正すべきなのか、それとも受け入れるべきなのか。

ボケを正そうと思えば「おばあちゃん、タンスの中に人はいないよ」とたしなめる。

逆にボケを受け入れようと思えば「ごめんね、他のものを冷蔵庫から探すよ」と声をかける。

小国:まったく違うアプローチをするわけですね。

菅原:はい。ボケを受け入れると「もっとおかしなことを言うようになるのでは」という不安がありました。だから家族はみんな、正すほうに向かっていたんです。

小国:ええ。

菅原:ところが、僕が介護福祉士として施設で働き始めてから知ったのは「ボケを受け入れるアプローチが重要だ」ということでした。

介護のプロは、受け入れるんです。

小国:まさに、僕が「ハンバーグと餃子」で感じたことだ。

菅原:そうなんです。認知症の方々が生きる世界の価値観を受け入れて、違いを認めているんですよね。

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役割や肩書きに縛られているから、イライラしてしまうのかもしれない

菅原:介護って、違いを認めて相手を許さなければいけない場面がたくさんあると思うんですよ。

「しっかりしたおばあちゃんでいてほしい」と思えば思うほど、イライラしてしまう。

小国:相手に期待してしまっているわけですね。認知症の人にも、自分たちが思う"普通"であってほしいと。

菅原:はい。相手に期待しすぎるから、ギャップが生まれてイライラしてしまうんです。

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菅原:家族で介護をするのが大変な理由もこれだと思います。

特に息子や娘は、しっかりしていた頃の親の姿を知っているから、当たり前のことができなくなった姿を見て許せなくなってしまう。

小国:確かにそうですね。

菅原:介護職員は認知症になってから出会うので、相手の価値観に柔軟に合わせることができるんですよ。

たとえば「時計屋の◯◯さん」と突然話しかけられても、時計職人を柔軟に演じることで合わせるわけです。

小国:息子や娘だと、急にそんなことを言われたらショックですよね。

菅原:ある意味、僕たちは日頃の役割に縛られてしまっているのかもしれません

認知症の親は役割から解放されて自由になっているけど、子どもはずっと「息子」や「娘」という役割のままで。

小国:はい。

菅原:たとえば父親と息子、2人っきりで家にいると気まずさを感じるとか(笑)。

これは父親も息子も役割に縛られて、自由に動けない状態なんですよね。

でも息子が友だちを連れてくると、ちょっと状況が変わります。息子はいつもより優しく父親に接したり、父親のほうもいつもとは違う関わり方になったり、役割が変化するんです。

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小国:そういえば、和田さんも印象的なことをおっしゃっていました。

『認知症の◯◯さんだ』と見るのではなく、『◯◯さんが認知症なんだ』と見るべき」と。

菅原:なるほど。

小国:これは一般的にも言えることだと思いました。

たとえば「サイボウズ社長の青野さん」ではなく、「青野さんがサイボウズの社長をしているだけ」と考えるのが、本来あるべき姿なのかなと。

菅原:「サイボウズ社長の青野さん」と言うと、肩書きに縛られてしまう感じがしますよね。青野さんが自由になれないというか。

小国:まさに。僕は自分を「NHKでディレクターをしている小国」だと考えずに、「小国がNHKのディレクターなだけ」だと考えるようにしています。

菅原:認知症の方の中には、毎日子どものように楽しく遊んで暮らしている人もいます。

おそらく、役割から解放されたことで純粋に日々を楽しめているんだと思うんです。認知症にはそんな側面もある。

小国:僕たちが勝手に相手に期待しすぎて、イライラしてしまうのも、役割や肩書きに縛られているからなのかもしれませんね。

ちょっとした非日常の、自分が楽になれる場所があってもいいような気がします。

菅原:僕は「役者と介護福祉士」という2つの肩書きを持つことで生きやすくなりましたよ。

演劇で批判されれば「俺は介護福祉士だし」と考え、介護の仕事でうまくいかなくても「俺は役者だし」と考えるという(笑)。

小国:それ、いいですね(笑)。

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組織には「決めるべきルール」と「ゆるさ」が必要

小国:組織や会社でも、イライラしてしまうのは相手に期待しすぎているからなんでしょうね。

菅原:そうですね。「OiBokkeShi」には90代の役者さんも参加しています。なかなかセリフを覚えられなかったり、忘れてしまったり。良い作品を作りたいと思って過度に期待していたらイライラするかもしれません。

組織や会社でも、考え方の違う人が集まれば同じようになるでしょう。

小国:僕は、考え方や能力がバラバラじゃないとチームでやる意味がないと思うんですよ。

「注文をまちがえる料理店」のプロジェクトでも、違う考え方や能力を持つ人を、ものすごく意識して集めるようにしました。

そこから生み出される化学反応がすごくて、ずっとワクワクしていました。

菅原:演劇を作るプロセスも同じですね。集まる人は考え方や能力がバラバラ。作品に対する価値観や解釈も違います。

そんな中で、少しずつすりあわせをしていくという。面倒だけど、その分楽しい。

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OiBokkeShi『よみちにひはくれない』と『カメラマンの変態』美作公演の舞台写真。(撮影:hi foo farm)1枚目右側、2枚目中央に写っている人物がOiBokkeShiの看板役者、岡田忠雄さん。岡田さんは、菅原さんが作った「老いと演劇のワークショップ」の参加者だった。菅原さんは、そこで岡田さんと一緒に演劇をつくってみたいと思い、現在まで共に活動している。
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OiBokkeShi『よみちにひはくれない』と『カメラマンの変態』美作公演の舞台写真。(撮影:hi foo farm)1枚目右側、2枚目中央に写っている人物がOiBokkeShiの看板役者、岡田忠雄さん。岡田さんは、菅原さんが作った「老いと演劇のワークショップ」の参加者だった。菅原さんは、そこで岡田さんと一緒に演劇をつくってみたいと思い、現在まで共に活動している。

小国:年齢もバラバラですよね。

菅原:はい。僕は演劇的な手法を使ったワークショップもやっていて、そこで多動症の子どもたちが参加して演劇作品を作る機会がありました。

小国:興味深いですね。

菅原:みんな自由気ままに動くから、ちゃんとやろうと思っても成立しません(笑)。

私も「適当でいいや、とにかくやってみよう」と開き直って準備を進めて。

小国:なるほど(笑)。

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菅原:できる子は練習に参加して、それ以外の子はずっと遊んでいる。発表会にも、特にルールを決めずに臨みました。

するとおもしろいことに、遊んでいた子たちも普段とは違う空気を感じて舞台に上がろうとするんです。

小国:ちょっとしたハプニングですね。

菅原:はい。本来なら観客が舞台に上がるのは絶対にダメなんですが、それが許される雰囲気もあって。

一生懸命みんなで作品を仕上げることも大切だけど、ゆるく、みんなでハプニングを受け入れるような舞台も素敵だな、と思うようになりました。

小国:場のルールは大切ですが、一定の「ゆるさ」を持たせることも組織には必要なのかもしれませんね。

菅原:ええ。

小国:注文をまちがえる料理店では食を扱う以上、安全性に関するルールを徹底しています。味にも妥協しないつもりでやっている。だけどその中には、ゆるさもあるんです。

「◯◯さん、3番テーブルのお客さまを担当してください」と言って、後は認知症の方に任せる。お客さまとのコミュニケーションがあり、ときには「まちがい」もあるという。

菅原:決めるべきルールと、自由にしていい領域をきっちり分けて考えているんですね。

小国:はい。僕はずっとドキュメンタリー番組を作ってきた人間なので、「何か想定外のことが起きてほしいな」と思っているフシもあるんです(笑)。

想定外のことが起きないと、仕事って、どこか塗り絵を完成させるような作業になってしまうじゃないですか。

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「遊び」って、完璧にやる必要がないじゃないですか。できてもできなくてもいい

菅原:遊びの要素があり、余裕を持てる状態にするのは大切なことですよね。

そういえば、介護現場には遊びをリハビリに活用する方法論があります。

小国:そうなんですか。

菅原:「遊び」って、完璧にやる必要がないじゃないですか。できてもできなくてもいい。

むしろ、できないから人間味があっておもしろいわけで。これがリハビリに生かされるんです。

小国:なるほど。

菅原:一方で、僕らが生きている普通の社会は「できないことに対するプレッシャー」だらけだな、と感じます。

小国:「反省し、改善し、もう一度アクションせよ」みたいな。

菅原:はい。自分が老いていくときには、このプレッシャーはいらないですね。

「なぜ自分はできないんだ」と嘆いてばかりいるよりは、「老いとはこういうものだ」と楽に構えていたい。

注文をまちがえる料理店に行く意味は、そうした遊びの価値観を学べることにもあるんじゃないでしょうか。

小国:同感です。そこには「笑い」もありますから。

菅原:笑い、大切ですよね。

小国:結局、組織がギスギスしてしまうのは、「なんで俺の言うことがわからないんだ」とか「なんで私の言うことが伝わらないの」という感情が渦巻くからだと思うんですよね。

でもその場所に常に笑いがあれば、なんとなく許せる雰囲気が出てくる。注文をまちがえる料理店でも、自然に笑いが起きるんです。

菅原:お客さんとの関わりがあるからこそですね。

小国:はい。ホットコーヒーにストローを挿して出すこともありますが、お客さんは自然に受け入れてくれたり、愛情を持ってツッコんでくれたりします。

そんなフラットなコミュニケーションが大事なんだと実感します。

菅原:大人も、遊びの要素で余裕を持ち、笑いの力で盛り上がることが大切ですね。

日頃の役割から解放されれば、互いの新たな一面が見えてくるかもしれないですし。

小国:僕は、おもしろいと思ったときは上司にもタメ口ですよ。「その企画、おもしれーな!」とか言って(笑)。

菅原:そこまで思いきれる人は少ないかもしれませんけどね(笑)。

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執筆・多田慎介/撮影・橋本美花/企画編集・木村和博



サイボウズ式」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。本記事は、2018年2月28日のサイボウズ式掲載記事その場にいる人が間違いを受け入れてしまえば、それは「間違い」じゃなくなる──菅原直樹×小国士朗より転載しました。