まだ会社員をしていたころ、早く残業を終わらせて帰りたがっている僕を見た同僚から「そんなに早く帰って何するの?」と真顔で質問されたことがあります。
最初僕は、彼の質問の意図がわかりませんでした。読みたい本や見たい映画は大量にあるし、会社の仕事とは別に自分で運営しているWebサービスの開発もしたい。作りたいスマホアプリのアイデアはいくつもあるし、ブログも書きたい──僕にはとにかく家に帰ってやりたいことが、山ほどありました。
これらの「仕事以外のやりたいこと」を少しでも多くやるためにも、僕は一秒でも早く残業を終わらせ、さっさと家に帰りたかったのです。
その同僚は、僕のこの説明を聞いても冷ややかに「そんなにやりたいことがあるというのはいいね」と言っただけでした。
話を聞いてみると、彼自身は特に仕事以外にはやりたいと思うことがなく、家に帰ってもダラダラして寝るだけなのだそうです。「それだったら、遅くまで会社で仕事してたほうがマシ」というのが、彼が毎日遅くまで会社で残業をしている理由でした。休みの日の過ごし方も聞いてみたところ「特にしたいこともないので、寝てるか、テレビやネットを見てダラダラしている」という回答が帰ってきました。
この話を聞いた当時は「変わった人もいるんだな」という感想しか抱かなかったのですが、最近になって、実はこういう人は少数派ではなく、むしろたくさんいるという事実を知りました。
ある会社では、プレミアムフライデーの日に会社から「早く帰れ」と言われて「そんなこと言われても、家に帰ってもやることがないし......」と困惑する若い人が多く見られたそうです。最近話題の「働き方改革」に対する不満として「家に帰ってもすることがないので、残業できなくなるのは困る」という声も聞いたことがあります。このように「仕事以外の時間の過ごし方がわからない」ことで悩んでいる人は実際とても多いようです。
思うに「仕事以外の休みの時間をどう過ごすか」という問題は、「どのように働くか」という問題を表とすれば、ちょうどその裏を構成する重要な問題です。そこで今回は、この「仕事以外の時間の過ごし方がわからない」という悩みについて考えてみたいと思います。
「家に帰ってもやることがない」人たちがダラダラ残業を生み出している
まず、現実的な問題として、このような「早く家に帰ってもやることがない」人たちが、残業を生むひとつの原因になっているという事実を指摘しないわけにはいきません。
冒頭で挙げた僕の以前の同僚の例もそうですが、「家に帰ってもやることがない」という人たちは、むしろ残業を「うまく時間が潰せて(しかも残業代までもらえて)好ましいもの」と捉えている傾向があります。これは会社にとっても、あるいは他の同僚にとっても迷惑です。
仮に、このような人たちが自分たちだけで勝手に残業をするというのであればまだ許せるかもしれません(それでも会社は残業代を払わなければいけないのでやはり許せないと思いますが)。しかし、現実には、残業は周囲の人間も巻き込みます。「家に帰ってもやることがない」という人たちに付き合わされて「早く家に帰ってやりたいことがある」人たちが迷惑を被ってしまうのです。
また、家に帰ってもやることがない状態は、仕事を早く終わらせるインセンティブがないので、「仕事のやり方を工夫して生産性を上げよう」というモチベーションを下げてしまいます。一見、仕事以外にやりたいことがない人のほうが仕事だけに集中すればいいので良い仕事をするように思えますが、実際には逆で、仕事以外にやりたいことが多くある人のほうが、仕事を早く終わらせようと工夫する分だけ良い仕事をするようになります。
逆説的になりますが、良い仕事をしたいのであれば、むしろ仕事以外のことにもっと心を奪われるようにならなければならないのです。
これからの時代、会社の仕事はどんどん重要でないものになっていく
もう少し未来を見据えた話をすると、このような「仕事のない日に何をしたらいいかわからない」という悩みは、そのまま人生のリスクにつながると僕は思います。
最近、AI(人工知能)によって人間の仕事の大部分が置き換えられてしまうという話をよく耳にします。果たしてどこまでAIで人間の仕事を置き換えられるかは議論の余地がありますが、少なくともこれから数十年で、人間が担当する仕事の領域が今よりもずっと狭くなることは十分予想できます。
仕事が少なくなるということは、それだけ休みが増えるということです。もしかしたら、そう遠くない未来に僕たちは週5日勤務から解放され、週4日、あるいはもっと短い時間だけ働いて暮らすようになるかもしれません。
このように、仕事の重要性が相対的に低下した未来では「仕事以外にやることがない」ということは「人生の楽しみ方がわからない」と言っているのと同じということになります。ここまでSF的な空想をしなくても、「人生100年時代」という言葉が象徴するように、最近は寿命が伸びていますので、人生の大半を「仕事だけに打ち込んで過ごす」ということは現実的ではなくなってきています。
仕事人間だった人が定年退職したあとにやることがなくなって途方に暮れているという話は昔からよく聞きますが、今後はそのような無為な時間の比率がどんどん大きくなっていくおそれがあるのです。
行動せずにあれこれ考えるよりも、とりあえず思い切ってやってみよう
では、このような「休みの日に何をしていいかわからない」という人は、どのようにして仕事以外の打ち込めることを見つけていけばよいのでしょうか。
おそらく、「やりたいことが特にない」という人たちは今までに少なからず「◯◯をやってみたら?」というお節介な提案を受けたことがあるはずです。そして、きっとその提案を「違うんだよなぁ」と感じて断ってきたのではないでしょうか。
特にやりたいことがあるわけではないんだけど、でもそれはきっとやっても楽しくないと思う......そうやって先回りしていろいろと考えてしまい、結局は何も新しく始めようとはせずに無為な休日を過ごしているのではないかと推察します。
この連鎖を断ち切るには、あたりまえですが、どこかで思い切って「やってみる」ことが大切です。「どんなものでも、やってみれば面白い」とはさすがに言いませんが、少なくともやってみることで、やらずにあれこれ考えていた場合にはわからなかった発見をすることができます。仮にやってみて全然楽しくなかったとしても、「自分が本当に向いていないこと」に気づくのも重要です。
このような実践と自己発見のプロセスを繰り返していれば、いずれきっと自分を心から楽しませてくれる新しい世界が発見できるはずです。大事なのは、先回りして考えすぎないことです。もちろん、犯罪や命や財産を危険にさらすような誘いは断らなければなりませんが、それ以外ならなんでも気軽にやってみて、その後に判断するという姿勢でいたほうが結果的に世界は広がります。やりたいと思うことが見つかるまでは、「実際にやらずに頭だけで考えて何かを判断する」のを禁止することをおすすめします。
仕事以外に心から楽しめる世界を持つことができれば、その分だけ人生そのものが充実することになります。それは結局、巡り巡って仕事に対する自信や余裕にもつながります。
ぜひ、そんな「人生を変える」素敵な休みの日の過ごし方を見つけてみてください。
イラスト:マツナガエイコ