赤崎勇さん死去。青色LED開発でノーベル物理学賞。「われ一人荒野を行く」とつぶやいたことも

青色LEDが実用化されたことで「光の三原色」がそろい、スマホのバックライトやLED照明にも繋がった。
ノーベル物理学賞の授賞決定を受けて名城大学で記者会見する赤崎勇さん(2014年10月10日)
ノーベル物理学賞の授賞決定を受けて名城大学で記者会見する赤崎勇さん(2014年10月10日)
TORU YAMANAKA via Getty Images

青色LEDを開発した功績でノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇(あかさき・いさむ)さんが4月1日午前、肺炎のため名古屋市内の病院で死去した。92歳だった。赤崎さんが終身教授を務めている名城大学が2日に発表した

■スマホのバックライトやLED照明などにつながる発明

産学官連携ジャーナル2011年4月号によると、赤崎さんは名古屋大学教授 だった1989年、窒化ガリウムによる高性能の青色LED(青色発光ダイオード)を世界で初めて実現。

NHKニュースなどによると、青色LEDが実用化されたことで半導体光源の「光の三原色」がそろい、ブルーレイディスクやスマホのバックライトなどに応用された。消費電力が少ない利点から、白熱灯や蛍光灯に替わる照明器具としてLED照明が普及するなど、私たちの生活を大きく変えることになった。

こうした業績から、ともに研究に取り組んだ教え子の天野浩さんや、同じく青色LEDの実現に貢献した中村修二さんとともに2014年にノーベル物理学賞を授賞した。

■「われ一人荒野を行く」と思わずつぶやいた苦難の道

南日本新聞によると、赤崎さんは松下電器産業(現:パナソニック)に在籍していた1964年に「未知の分野を極めたい」と、青色LEDの研究に取り組み始めた。赤色と緑色のLEDはすでに開発されたものの、青色は技術的に極めて難しいとされていた。

当時、青色発光を実現する材料としては「セレン化亜鉛」が主流だったが、赤崎さんは「実用化にはより丈夫な半導体が必要」として制御がはるかに難しい「窒化ガリウム」を選んだ。

しかし、学会からの注目は薄かった。1981年の国際会議で、技術発表したのに全く反応がなく「われ一人荒野を行く」とつぶやいたという。赤崎さんは、産学官連携ジャーナルのインタビューに次のように答えている。

<化合物半導体の国際会議が1981年 に日本ではじめて開催されたとき、開発した技術を発表しました。窒化ガリウムでは初の選択成長による優れた構造は、相当関心を呼ぶだろうと思ったんです。ところが何の反応もない。全くなかった。そのときの論文集からもわかりますが、窒化ガリウムに関する発表をしたのは私たちだけだった。あとでわかったことですが、有力な研究所(者)はそのころはすでに窒化ガリウム研究をやめており、会場にいた誰一人として、窒化ガリウムに関心を持つ人がいなかったのでしょう。そのとき、私は思わずつぶやいてました。「われ一人荒野を行く」と>

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