【合わせて読みたい】『ウルトラセブン』第12話は、封印すべき作品だったのか? “アンヌ隊員”に聞いた
6月29日は「ビートルズの日」。イギリスの伝説のロックバンド「ザ・ビートルズ」が、1966年6月29日に最初で最後の来日を果たした。3日間にわたる武道館公演は当時の日本を席巻した。
そんなビートルズに、幻のレコードがあるのをご存じだろうか。来日2週間前の6月15日にアメリカで発売予定だったが、レコード会社が直前に回収した。
状態の良い物であれば、アメリカのオークションでの取引価格は7500ドル(約100万円)になることもある。それが通称「ブッチャー・カバー」だ。知る人ぞ知るビートルズの歴史秘話をお届けしよう。
■回収された「ブッチャー・カバー」は、どんなレコードだったのか?
回収されたのは、ジャケットのデザインが理由だった。白衣を着たメンバー4人が笑いながら手にしているのは、バラバラになった赤ちゃんの人形と動物の肉片だ。ブッチャー(精肉店)カバーというニックネームは、ここから取られた。
1966年に75万枚がプレスされたが、事前配布された試聴盤を見たDJや販売店からクレームが殺到。発売予定日の5日前に当たる6月10日、販売元のキャピトル・レコードが自主回収を通知した。
現在残っているのはフライング販売されたり、回収要請に応じなかった店で売られたりした物のみ。実際に何枚が流通したのかは不明だ。
すでに絶大な人気を誇っていたロックバンドが、なぜこんなグロテスクな写真を採用したのか。『ビートルズの謎』(講談社現代新書)を書いた音楽評論家、中山康樹さんは2010年、筆者の取材に以下のように答えていた。
「この時期、ビートルズはアイドル的な存在として、特に女性層の人気がすごかった。しかし、4年近くもずっと模範的な青年像を演じることに苦痛を感じ始めていた。そこで”ありのままの自分達を見せたい”という欲求が生まれたんでしょう。ブッチャー・カバーの彼らの表情を見ると、いかにも楽しそうに笑ってますよね。ファンに定着した”アイドルとしてのビートルズ像をぶち壊してやろう”と思っていたのでしょう」
■アメリカで反感を買ったビートルズ。その背景には?
「ブッチャー・カバー」と同じ写真がイギリスでも登場していたが、そちらは問題にはならなかった。シングルの広告や、音楽雑誌の表紙に使われていたが、騒動になった形跡はない。それが、なぜアメリカでは、物議をかもしたのか。中山さんは「他国のバンドであるビートルズに反感を持っていた人も多かったんです」と打ち明ける。
「もともとロックの基礎となるロックンロールという音楽はアメリカで生まれましたが、この当時は完全に衰退していました。ビートルズがロックをイギリスから逆輸入したことで、熱狂的なファンが生まれた一方、保守層には伝統を破壊する文化侵略のように思われていた。キャピトルにクレームを出したのも、ファンではなく、ビートルズを快く思っていない人達だったのでしょう」
ブッチャー・カバー騒動の2カ月後の1966年8月には、「僕らは今やイエスより有名だ」というジョン・レノンの発言がアメリカで猛烈なバッシングを受けた。これもイギリスの新聞に載ったときには問題にならなかったが、アメリカのメディアが転載したことで騒動になった。
一連のトラブルに飽き飽きしたのか、この年を最後にビートルズはライブ活動を中止。前衛的な録音をするアーティスト集団に脱皮していった。バラバラ殺人を連想させる衝撃的なジャケットは、伝説のロックバンドの苦難の歴史の産物だったのだ。