「あの時代に逆戻りしてしまうのではないか…ただただ、不安です。子どもが『あなたの母は、HIVのせいで亡くなった』と告げられるような時代に、戻ってしまうのでしょうか」
アフリカ南部、ザンビアの首都ルサカ。HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の陽性者であるタオンガ・バンダさん(26)は、そう言って顔を曇らせた。
今年1月に米トランプ大統領が示した対外援助の見直し方針。これまでHIV対策にリーダーシップを発揮し資金を提供してきたアメリカの急な撤退方針に、アフリカではいま不安と恐怖が広がっている。

平均寿命37歳 ウイルスにより「国家存亡の危機」に
1990年代、ザンビアはHIVのパンデミックにより「国家存亡の危機」に追い込まれた。
国内で初のHIV陽性者が報告されたのは1984年とされる。その後、ルサカなど都市部を中心に急速に感染が拡大し、1990年代には成人のおよそ5人に1人が陽性者となった。ウイルスによる幼児や若者の死亡が相次ぎ、平均寿命が57歳程度から1998年には一気に37歳にまで短縮した。
ザンビアの主要産業である農業や鉱山業は多くの労働者を必要とする。労働者本人がHIV感染による体調不良によって働けなくなったり、HIVに感染した家族がいる労働者が看護に追われて欠勤するケースなどが増えたりした結果、深刻な労働力不足に陥った。タオンガさんが生まれたのは、まさにそのころだった。
「私は、10人きょうだいの末っ子です。母親は、幼いころに亡くなりましたが、その理由は教えてもらえませんでした。そしてきょうだいの中で、なぜか私だけがたくさんの薬を飲むように言われました。私は『なぜ薬を飲むの?』と質問しました。でも、親はただその話題を避けようとするだけでした。」
タオンガさんに秘密とされた母親の死因は、HIV感染だった。そしてタオンガさん自身も、母子感染(妊娠中や母乳育児中に母親から子どもにウイルスが感染する)によってHIV陽性者となっていた。ザンビアが国家存亡の危機に陥っていた当時、HIV陽性者は激しいスティグマ(偏見・差別)の対象となっていた。父親はタオンガさんを守ろうと、本人にも感染の事実を伝えなかったのかもしれない。
しかし明るいニュースもあった。それまで「感染=死」だったHIV治療にゲームチェンジャーが登場したのだ。HIVの増殖を妨げる、抗レトロウイルス療法(ART)の開発だ。
HIVは免疫細胞に感染する。感染したウイルスの量が増え、免疫細胞が減っていくとエイズ(後天性免疫不全症候群)と呼ばれる極度に免疫力が落ちた状態になり、結核など他の感染症により死に至る。しかし抗レトロウイルス薬(ARV)を飲み続ければ、ウイルスの完全排除は難しくても、悪さをしない状態を維持することができる。HIVに感染しても、健康な人と変わらない生活を送ることが可能になった。
命をつなぐ貴重な薬。しかし当時のザンビアでは、供給は限られていた。幼いタオンガさんは父親と手分けをして遠方の病院を訪ね、時によっては数日続く長い長い列に早朝から並び、薬をなんとか手に入れては服用しつづけた。
95-95-95の達成 ザンビアに起きた「奇跡」
その後、ザンビアにおけるHIV治療の状況は「奇跡」ともいうべき改善を遂げる。最大のきっかけとなったのが、2002年に日本を含むG8諸国(当時)を中心に結成されたグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)と、2003年に米ブッシュ大統領(当時)によって設立されたPEPFAR(米国大統領エイズ救済緊急計画)による資金提供だ。
ザンビア政府は2005年、これらの資金をもとに抗レトロウイルス療法の無料化を決定。貧困層を含む国民の治療へのアクセスが劇的に改善された。

1990年からのHIV新規陽性者、エイズ関連死者数のデータを見ると、特に死者数に関して2000年代前半に大幅に低下し、その後も現在に至るまで減少傾向が続いていることが分かる。一時は37歳まで短縮した平均寿命も、直近では66歳(2023年・世界銀行データ)に改善した。
2024年12月、ザンビア保健大臣のエライジャ・ムチマ博士は「95-95-95」の達成を宣言した。
これは国連合同エイズ計画(UNAIDS)が提唱した目標で、①その国のHIV陽性者の95%が自身の感染状況を認識し、②そのうち95%が抗レトロウイルス治療を受け、③さらにそのうち95%がウイルス量を抑制レベルまで低下させるという3つを示す。ザンビアは、アフリカ諸国の中でも特にHIV対策が進む「優等生」と称されるまでになった。
感染症対策の立役者 コミュニティ・ヘルス・ワーカー(CHW)の活動
ザンビアにおけるHIV対策の主力を担っているのがコミュニティ・ヘルス・ワーカー(CHW)と呼ばれる人たちだ(※)。その地域に住む人から選出され、地元のヘルスセンター(診療所)と連携して保健活動を行う。
現在、ザンビアでは約95,000人のCHWが活動を行っている。医師や看護師の数が少なく、医療機関が存在しない地域も多いザンビアにおいて、その役割は幅広い。飲料水の衛生管理から母親教育などの母子保健、さらには患者や家族への相談対応などを担うこともある。
CHWの重要な役割の一つが、HIVを含む感染症の対策だ。ウイルス感染が疑われる人を見つけて検査を勧めたり、感染が判明した場合はヘルスセンターへの受診につなげたりする。HIVや結核に対していまだ強いスティグマが存在するザンビアにおいて、CHWは検査や治療を進めるうえで欠かせない存在となっている。
「毎日、地域を回ってクリニックに来られない人たちに薬を届けたり、飲み方を教えたりしています。HIVや結核の啓発活動もします。また、病気の人の家の掃除をしたり、食べものを持って行ったりもします。」
首都ルサカでCHWとして活動するエスター・ムワリ・ンゴマさん。彼女自身もHIV陽性者だ。

「私は2007年に妊娠しました。HIV陽性なのに妊娠したのです。自分の状況を受け入れるのがとても辛く、中絶しようと思いました。でも、病院の看護師さんたちの助けもあって、妊娠した母親として頑張っていく自信を持つことができました。その後、薬を飲み続け、私の赤ちゃんは陰性でした。」
「だから、私はいつも妊娠中の女性たちに、抗ウイルス薬を飲み続ければ妊娠しても大丈夫だと教えています。私は自分の経験を個人的なものにするのではなく、HIV陽性の仲間たちと分かち合いたいのです。」
現場で取り組むCHWには、HIV陽性者や結核のサバイバーが少なくない。自らの命を助けてくれた治療の恩恵に、ひとりでも多くの人が預かれるようにと活動する人々の取り組みを通じて、ザンビアにおけるHIVやエイズのスティグマはいまだ存在するものの、少しずつ変化が起きつつあるという。
冒頭に紹介した、母親からの感染でHIV陽性者となったタオンガさん。
17歳の時に、父親より陽性者であることを知らされた彼女もいま、HIV対策に取り組んでいる。若者のHIV当事者同士が自らの病や生き方について語り、学びあうグループのリーダーを務めているのだ。タオンガさんはグループの活動を紹介するSNSへの投稿のなかで、自らがHIV陽性者であることを公表した。

「その投稿を見た人たちの中には、決断を褒めてくれる人もいました。一方で『夫に捨てられるぞ。こんなことをソーシャルメディアで共有して』と言う人もいました。でも、私は大丈夫です。だって、HIVから逃げることはできません。それは私の中の一部なのです。私は私を受け入れたのです。」
無料の治療薬があっても、検査を受けず自分がHIVに感染しているかどうかがわからなかったり、スティグマを恐れて医療機関に行くのをためらったりする人が多ければ、対策を進めることはできない。
ザンビア政府はグローバルファンドやPEPFARなどの国際支援をもとに、CHWを中心とした保健システムの構築や、当事者市民参画(PPI)によるスティグマの軽減の取り組みを進めてきた。こうした包括的な対策を行ったことが、95-95-95の達成に繋がったのだ。
既に広がるアメリカ「撤退」の影響 翻弄されるザンビアの今後
HIV対策の「優等生」とまで言われるようになったザンビア。しかし今年1月、その状況を大きく変えかねないニュースが飛び込んできた。米トランプ大統領による、アメリカの対外援助の見直し方針だ。
ザンビア保健省の感染部門ディレクターを務めるロイド・B・ムレンガ博士は、若い女性セックスワーカーなどハイリスク対象者向けに、長効注射型HIV予防薬を活用したHIV予防の取り組みを進めてきた。しかし取り組みを行ってきた52の拠点のうち、アメリカの資金で運営していた27箇所が閉鎖に追い込まれ、予防薬の配布に大きな問題が起きているという。
現在のザンビア国内のHIV陽性者は140万人程度。政府によれば、抗レトロウイルス薬などは現時点では十分な在庫があるというが、中長期の状況がどうなるかは「不透明」(ロイド・ムレンガ博士)という。
ザンビアにおけるHIV対策は、予算のおよそ9割を国際援助に依存しており、脆弱性は以前から指摘されていた。そもそも公衆衛生対策は、その国の経済規模でまかなえる範囲で行わなければ持続性が担保されない、という意見もある。
一方で世界の最貧国のひとつとされてきたザンビアでは、HIV対策により社会が安定し、労働力を確保できるようになってきたことなどを背景に、直近はGDP成長率が毎年4〜6%に達する経済成長が続いている。経済成長の中で財政に余裕が生まれれば、国際援助への依存を減らすこともできる。しかし急な支援の削減でこれまで積み重ねてきた成果が失われ、HIVが再燃して社会が不安定化すれば、25年前の状況に「後戻り」してしまう懸念もある。
アメリカによる直接支援が減る中で、いま重要性が増しているのが、日本を含む主要国や民間企業・財団などが拠出するグローバルファンドの存在だ。日本は現在、ドイツや英国と並ぶ世界第5位のドナー(資金支出国)であり、日本の資金がザンビアのHIV対策を支えている。

当事者たちの「想い」を知る 日本にいる私たちができること
「○○ファースト」という言葉が世界的に注目されるなど、国際支援に対しては厳しい目線が広がっている。「自国民の生活が厳しいのに、なぜ、顔も知らないアフリカの国の人たちを守らなければならないのか」という意見も痛いほど理解できる。
しかし今回の取材で出会った、エスターさんやタオンガさんなどHIV陽性者は、決して自ら望んで感染したわけではない。その人たちが苦しい経験を乗り越えて隣人を想い、社会をより良くしようと取り組む姿をこの目で見て、改めて国を超えて支援を届けることの意義を感じた。
国際支援をめぐる議論に関して、支援額やHIV感染率や死亡率などの「数字」や、それをもとにした「コスパ」によって支援の意義や効率を考える見方もある。一方で、現地で実際に苦しい立場にある人や、そうした人の救いになろうと取り組む人たちの姿を知ることで、別の見方が生まれることもある。
この支援に意義はあるのか、ないのか。それを考えるために、まずは「知る」という態度を私たち一人ひとりがとることが、議論を前に進めるために必要なのかもしれない。

(写真:大瀬二郎、取材・文:市川 衛)
