コロナ禍で体重が30キロ増加。そんな私が、最初にオフィスに戻った日に感じたこと

一日中部屋で座って過ごす日が増えたコロナ禍。体重は少しずつ、しかし着実に増えていきました。
LOURDES AVILA URIBE

この2年のコロナ禍でありとあらゆる物事が変わったことを考えれば、私の体の変化など、ほとんど重要ではないでしょう。

しかし、私の体は確実に変わりました。

コロナ禍で体重が15ポンド(約7キロ)増えることを意味する「covid 15」という言葉を聞いた時、可愛らしい表現だなと思いました。その時点で、私の体重は40ポンド(約18キロ)増だったからです。

そして、感染拡大が始まってから2年経ち、生活が大きく変化した今、その数字は70ポンド(約32キロ)近いと考えています(正確に測ったわけではありませんが、2020年3月に「数週間後には戻れるだろう」と思ってオフィスのパソコンを自宅に持ち帰った時から、服は4〜5サイズ大きくなりました)。

コロナ禍以前、私は毎日出勤していました。地下鉄の駅まで歩き、階段を上り下りし、オフィスの周りを歩いていました。

時には出勤前後に自宅や職場近くのジムに立ち寄って、お互いの息遣いを感じるような小さな部屋で開かれるスピンクラス(サイクリングのトレーニングマシーンを使ったエクササイズ)に参加して汗をかいた後、地下鉄の駅まで歩いて階段を上り下りして家に帰る――そんな生活を送っていました。

しかし新型コロナウイルス感染の拡大で、まずジムが閉鎖になりました。再開した後も、密閉空間で激しい呼吸を伴う運動をするなんて、考えられない状況でした。

私は運動が好きですし、体を動かすことで気持ちをリラックスさせるタイプです。だけど感染者が少ない時期にエリプティカルをするのがせいぜいで、あとは怖くてジムには行けませんでした。

オンラインでダンスクラスも受講してみました。それまでやったことのなかったダンス。人と距離が保てる自宅のリビングで、なおかつ自分の内側からブリトニーとビヨンセを召喚しなければできませんでしたが(クラスは最終的に公園で開かれるようになりました)、新しい楽しみを知ったのはコロナ禍での嬉しいサプライズでしたし、汗もかきました。ただし、毎日体を動かすのとは比べものになりませんでした。

食事の内容は、それほど変わらなかったものの、一日中部屋で座って過ごす日が増えて、自宅から2ブロック先にある学校に息子を迎えに行く以外は、パソコンの前からほとんど動かなくなりました。

その結果、体重は少しずつ、しかし着実に増えていきました。

他の人たちと同じように、私の中にも肥満嫌悪が存在していました。しかし、私の体重はいつも変化していたので、初めはそれほど警戒していませんでした。

肥満児だった私が痩せた理由

私は子どもの頃は肥満でしたが、大学で100ポンド(約45キロ)減らし、その後は体重をキープしていました。痩せたのは、自分の体が好きではなかったからではなく、周りからの扱われ方が嫌だったからです。

小学生の時は、登下校時に走り去る車から罵声を浴びせられたり、飲み物をかけられたりしました。

成長すると、今度は見知らぬ人たちが勝手に私の体について話すようになり、おばさんのいとこの友人とかいう人が成功したダイエット方法を教えてくれるようになりました。

高校3年生の時に大学のキャンパス見学をした時には、魅力的な男性から電話番号を聞かれましたが、彼は電話で私の体重を知りたがり「大きな女性が好きだ」と言われました。

太った体で社会を生きるというのは、常に他人に意見を言われるということです。“社会に受け入れられる体”でいることの利益の一つは、それを忘れて生きられるということ。今の社会では誰1人、ミュージシャンのカーディ・Bでさえ自由に太ることはできません

太った人たちは、社会のさまざまな場面で差別されます。体重差別は雇用や、給与、解雇に影響します(さらに、人種差別は肥満嫌悪と重なります。研究から、最も職場で差別されるのは太った黒人女性であることがわかっています)。

また、太った人たちはより医療現場で偏見を経験しやすいこともわかっています。

それに私はマッチングアプリは好きじゃありませんが、もし使っていたら、太った体へのマイクロアグレッションや、性的な視線を向けられる世界で、自分をさらけ出す自信がありません。

肥満を忌み嫌う社会では、太った人間はただ生きようとするだけで力を奪われ、痛みを感じ、ヘトヘトになってしまいます。

体重を減らして感じた変化

最初に体重を減らした時、なんだか自分の新しい体を偵察しているかのようでした。

そしてすぐに、自分が全く違って扱われることに気づきました。それだけではなく、多くの人たちの肥満についての意見が耳に入ってくるようになりました。彼らは、私が一時的に細い人間として生きていると知らずに、肥満について話していました。私は心の中ではまだチームF.A.T(デブ)の一員だったのですが。

私は太った人や、太った体が好きでしたし、何より「太った人は社会のありとあらゆる場面で公平に扱われるべきだ」と思っていました。「私たち全員が肥満嫌悪を根絶しサイズ差別と闘うべきだ」と信じていました。

そういった強い信念を持っていたものの、私は疲れきっていました。そして私にとって、細い体型で生きる方がずっと楽でした。

ワクチンを接種して、再びジムに通えるようになった時。幸せで物事に希望が持てるようになっていた
PHOTO COURTESY OF EMILY MCCOMBS
ワクチンを接種して、再びジムに通えるようになった時。幸せで物事に希望が持てるようになっていた

コロナ禍で、再び増加した体重

その後の20年、体重は増えたり減ったりしました。自分のボディイメージの悩みは続いていましたし、自分が痩せていると言えるまでにはなりませんでしたが、振り返ってみれば、痩せた体の利益を受けられていたと思います。

その反対にいるのがどれだけ大変かを再び思い出させてくれたのが、新型コロナの世界危機でした。

私が「コロナで太った」と伝えると、女性の友人たちは「自分も体重が増えた」と言いました。ただし彼らは「サイズSからMに変わるのと、社会から取り残される体になるのとはまるで違う」ということを知らないと思います。

私たちの社会に存在する肥満嫌悪を考えれば、彼女たちにとって体重増加は居心地悪く、痛みを伴うものなのかもしれません。それでも、痩せている人間として基本的な特権は享受できています。

一方、私の体重増加は、周りからの扱われ方が変わるほどのものでした。

とはいえ、コロナ禍では人と会わなくなり、リモートワークになって、愛する人たちや何があっても私を受け入れてくれると人とだけ付き合えばよくなりました。プライバシーを保てるアパートの中では、誰の目も気にせずに生きられました。

しかし、新型コロナの規制が緩和されていくにつれ(良くも悪くも)、世界は元に戻り始め、また体に対する意見に直面しなければいけなくなりました。

そしてそれは、先週会社がオフィス勤務に戻る日付を発表した時に、現実のものになりました。

私は私は蛍光灯の下で座り、数年ぶりに真実に目を向けようとしました。自分のベッドとソファよりもっと長い距離を歩くようにしました。全身がうつるオフィスの鏡を見た時に、私の心の中で抱いている自分のイメージとは違う姿と対峙しなければいけなくなりますから。

家で仕事をしている時は、他人が私の体重増加をどう思うかを心配しなくてよかった。だけどまず、着ていく服が問題になる。

クローゼットは着られなくなった洋服であふれていました。ニューヨークのアパートでは、多くのサイズの洋服をしまうのには限界がありました。

そこで私は痩せていた時に会っていた同僚たちと再会するために、特別な洋服を買うことにしました。選んだのは、カジュアルなオフィスでは大げさすぎる、派手なショッキングピンクのスーツでした。

まるで、このネオンバービーピンクの服を着ることで自信を高め、何か意見を言おうとする人に「私はありのままの自分でいるのが幸せなんだ」「どんなサイズであっても、敬意を得られる」といういうメッセージを発信するかのようでした。

最初にオフィスに戻った時に着た洋服
LOURDES AVILA URIBE
最初にオフィスに戻った時に着た洋服

出勤して感じたこと

出勤初日は人目が気になったけれど、行動の一つ一つが人間になる方法を思い出すかのようでもありました。

受付で身分証明書を見せた時は、公共の場での振る舞い方を忘れてしまったようでぎこちなく、緊張しました。

マスクなしの同僚と話すのはなんだか非現実的でしたが、ヒールを履いて通勤する方が、自分の体重増加の事実よりも奇妙に感じました。

そして20年前と比べて、少なくとも私が今いる世界では、状況は少しは良くなったようでした。

私の体について失礼なことや嫌味を言う人はおらず、大人になった私に飲み物を頭に投げつけるいじめっ子もいませんでした。プラスサイズの服を売るお店がほとんどなかった20年前には着れなかったピンクのパワースーツを、みんなが絶賛しました。

しかし私は、私の体についてくだらない批判や熱い意見を言いたがっている人たちが、まだたくさんいるということもここに記しておきたい。そして、私がそれを一切望まないということも。

コロナ禍での体型の変化に苦しんでいるのは私だけではないでしょう。私は同じ経験をしているすべての人に、「あなたは一人じゃないし、体重が増えたことで、以前より価値が低くなったわけではない」と知ってほしいと願っています。

最近、友人の1人が「コロナ禍で会わなかった人と再会するたびに『私の体のことを考えているのかな』と思ってしまう」と話してくれました。

もし明らかに体型が変わったのであれば、相手の頭には一瞬体のことがよぎっているかもしれません。

しかし、コロナ禍では多くのことが変化し、様々なことが根本的に変わりました。私たちは、どうやって世界が再び落ち着くのか見守っています。以前と何もかもが同じという人はいません。

私たちは、地球を変える、そしてトラウマとなるような出来事を経験しました。生き延びることができた時、私たちは元の生活に戻る方法やメンタルヘルスの改善、亡くなった人たちの追悼など、今まで知らなかった小さなことを学ぶことで、より人間らしくなれるのではないでしょうか。その時に重視するのは体ではなく、内面だと思います。

私は体を動かすのが好きなので、アクティブな生活に戻りたいと思っています。

しかし、それで増加した体重を減らすかどうかにかかわらず(痩せるのであれば胸が小さくなるのは寂しいですが!)、私は自分の体を受け入れるために最善を尽くしたいと思います。

なぜって正直、それ以外に良い方法があるでしょうか?自己嫌悪に陥る?うんざりするようなひどいコメントを鵜呑みにして、彼らが思っている通りに自分体を感じる?

長い2年でした。私はもうこれ以上時間を無駄にしたくはありません。

筆者:エミリー・マコームズ(Emily McCombs)は、ハフポストパーソナルの副編集長。アイデンティティ(人種、性別、セクシュアリティなど)や愛、人間関係、セックス、子育てと家族、依存症とメンタルヘルス、ボディ・ポリティクス(体にまつわる政治)などの分野でのパーソナルエッセイの執筆・編集を担当。拠点はニューヨーク。

ハフポストUS版パーソナルのエッセーを翻訳しました。