「誰かが隣にいる事が大事。それが男でも女でもいい」母の言葉がくれた勇気。LGBTQ活動家、松岡宗嗣

「悩んだり、自分と向き合った経験は、きっと他の人への優しさに繋がったり、いつか自分の糧になる」
Jun Tsoboike/HuffPost

Photos by Jun Tsuboike

2019年2月、日本で13組の同性カップルが結婚の自由を求めて国を相手に訴訟をおこした。それは日本が平等へと向かう歴史的な一歩として、世界中で報じられた

裁判の原告にはすでに長い道のりが待っている。専門家は、何年にもおよぶ戦いになると言う。

そんな同性婚法制化に向けた動きをサポートするのは、政策や法制度を中心としたLGBTに関する情報を発信する団体「fair」代表理事の松岡宗嗣(24)だ。

LGBTに対する偏見がまだ多く残る社会の中で、松岡はこの歴史的な裁判を多くの人に知ってもらう活動や、LGBTイシューを取材するメディアに向けた「LGBT報道ガイドライン」を作るなどしている。宝塚大学の調査によると、LGBT当事者の約6割が学校生活でいじめを経験しており、多くがカミングアウトをしていない。

松岡は、保守的な環境で声をあげる若いオープンリーゲイとしての経験を、都内のカフェで話した。

■ LGBTに関わる活動を始めたきっかけは何でしたか?

大学に入ってから、セクシュアリティをオープンにするようになり、SNSを通じて同じセクシュアリティの友達と知り合う機会ができました。

でも彼らの多くは、ほとんど誰にもカミングアウトしていなくて...。そんな友達と飲みに行くときは、(異性愛者を演じている)平日の大変さやめんどくささを話すようになっていました。本当は平日の学校や職場も、同じセクシュアリティの人たちで集まる週末も、両方楽しめるはずなのに。何でそれができないんだろう?社会の方に何か問題があるのでは?とモヤモヤしていました。何か自分に出来る事はないのかな、と思った時に、大学のLGBTのサークルを見つけ、参加するようになりました。

その後、サークルの人たちと初めて東京レインボープライドに参加しました。そこで、LGBTに関する出張授業を行っているNPOと出会い、活動に誘われたことがきっかけとして大きかったと思います。

「fair」の活動を始めたのはいつで、どのような団体ですか?

それまでLGBT=テレビに出てくる「オネエ」タレントだと思われることも多かったので、身近なところに当事者がいることを伝えられたのは価値のある経験でした。

でも、データや、他の当事者の声を聞いてみると、地方で生活する人は、よりカミングアウトすることが難しかったり、トランスジェンダーであることが理由で面接を落とされるなど、職場で差別やハラスメントを受けてしまっている。幸い、自分自身はあまり辛い経験はありませんでしたが、環境や場所が違うだけで、なぜ差別的な扱いを受けなければいけないんだろう?という疑問を感じました。

それまで続けていた活動の中での自分の力にも限界を感じました。どうすればいいかと思った時に、誰もとりこぼされないようにするための最低限のルール、つまり法律が必要だと思ったのです。

日本では、同性婚は認められていませんが、LGBTに対する差別を禁止する法律もありません。どんな人であれセクシュアリティを理由に差別されない社会をつくるためのセーフティネットを張るべきだと思いました。それが大きなきっかけでした。

そこから、自分に何が出来るかを考えたときに、私の場合は、国会議員に会って話すロビイストより、情報を届ける役割の方が向いていると思ったんです。法律を作るために頑張って働きかけている人や、LGBTを取り巻く課題を解決するために行動する人たちの武器となる情報を届けたいと思って「fair」を立ち上げました。

カミングアウトをして、それをオープンにしようと思ったきっかけは?

これまでLGBTの人と出会ったことがないという人に向けて「普通に隣にいたりするんだよ」と話をすることに意義があると思ったんです。それで、「意外といるんだ。普通なんだ」と気づいてもらうのは良いことだと思っています。

ただ、別に「普通」じゃなくてもいいんだよ、「普通」じゃなくても共存できる、という事も伝えたかったのです。

あなたが思っている「普通」とか「常識」という枠にとらわれない人の一人としているんだよ、ということも伝えたかったんだと思います。だからオープンリーゲイを名乗っています。

そして、そこから対話に繋がることもあるからです。

初めて東京レインボープライドに参加した時は、石でも投げられるのかな?と本気で思っていました。でも、いざ歩いたら沿道で手を振ってくれる人の方が圧倒的に多くて、すごくハッピーな空気でした。

ネット上では差別的な言葉を投げつけてくる人もいます。その盾となることができたら、と思っています。

学生時代は、セクシュアリティを自ら笑いにすることで生きのびてきました。だからこそ笑いにしたくてもできない人や、追い込まれてしまう人たちの代わり、と言ったらおこがましいですが、むしろ反論したりして、世の中を変えていくための盾となることができたら良いなと思っています。

自分がゲイだと気付いたのは?

小学校高学年の頃でした。中学の3年間はゲイであることを自覚しながらも彼女がいて、高校になると自分ではゲイであることを自覚していましたが、カミングアウトして生きていくことはできませんでした。嘘もつきたくないけど本当の事も言えない... 。むしろ「ゲイキャラ」として「ホモネタ」で笑いをとっていた3年間でした。

言葉にするとネガティブな印象ですが、当時はみんな笑ってくれていればそれで良いって思っていたんです。

ちゃんとカミングアウトしたタイミングは、高校卒業後の春休み。中学校時代の友達と高校時代の友達にしました。

実は(カミングアウトを)しようと思ってした訳ではないんです。みんなから「結局(異性愛者なのか同性愛者なのか)どっちなの?」と聞かれて... 。

卒業して上京することが決まっていたので、もうカミングアウトしても良いのかな?とその時初めて思えて、「実は女性のことは好きになれなくて」と明かしました。

友達は意外とすんなり受け入れてくれて、「冗談だと思ってた」「でも宗嗣は宗嗣だから良いんじゃない?」と言ってくれたのを覚えています。

Jun Tsoboike/HuffPost

家族へのカミングアウトは?

大学2年のゴールデンウィークに、母が東京に遊びに来ていて、姉と3人でご飯を食べていた時でした。いつも通り「そろそろ彼女できた?」と聞かれて、いつも通りごまかしていたら、突然「じゃあ彼氏できた?」と聞かれて... 。

バレていないと思ってたからびっくりしました。もしかしたらどこかで息子がゲイであることに気づいていてくれたのかな...と。そこで打ち明けました。

「宗嗣が病気になった時に誰かが隣にいてくれる事が大事で、親としてはそこが一番心配だから、それが男でも女でもどっちでも良い」と言ってくれた母の言葉が、今でも勇気に繋がっています。

カミングアウトした当初は、母は知識がなかったので、LGBTについて強い関心があったわけではありませんでした。

でも徐々に、これが自分の息子だけの問題ではないと実感して、いま住んでいる名古屋の周りにも実は当事者が結構いるのではないか?と...。そして今は母も自らLGBTについて知ってもらうための活動に取り組んでいます。

父には直接カミングアウトはしていなくて、母から伝えてもらいました。面と向かって言うのも大変だし、母が言ってくれるなら楽だなって...。

母が「やっぱり息子はゲイだったみたいだよ」と伝えたら、父はめちゃくちゃ驚いたそうです。母は、父に昔から「息子はもしかしたらゲイかも」という話をしてきてたつもりだったらしく、すんなり受け入れられると思っていたそうで、むしろ驚かれたことに驚いたと言っていました。

私がLGBTの関連の活動をしていることを母が父に話すと「あまりその話は聞きたくない」という態度が半年くらい続いたそうです。ある時からすんなり受け入れられるようになったらしく、直接「なんで受け入れられたの?」と聞いたら、「慣れた」と言われました(笑)。

父いわく、最初はゲイとして生きることは、息子の人生にとって大変な事なんじゃないか、と思ったみたいです。でも、母が楽しそうに私のことについて話すから「実は大した事ないんじゃないか」と徐々に思えるようになったそうです。

今では私のパートナーと実家に帰ってみんなで父の好きな麻雀を一緒にしたりしています。

自分は周囲の環境に恵まれていたとつくづく感じます。

家族の誰にもカミングアウトしないという人も、まだまだたくさんいますし、信頼できる数人の友達にしか言えてないけど、なかなかセクシュアリティをオープンにするのは難しい社会の現状があります。

■ LGBTQコミュニティの中で今、悩んでいる人たちへのメッセージはありますか?

「自分らしくて生きて良いんだよ」と言うのは簡単だけど、なかなか難しいですよね。

ただ、人と違うことに悩んだり、自分と向き合った経験は、きっと他の人への優しさに繋がったり、いつか自分の糧になると思います。なので自分を否定しないでほしいと思います。人と違うことがおかしいと感じるのであれば、全然おかしくないよ、と伝えたいです。

他の人の痛みを想像できるからこそ、優しくなれるのではないかと思います。

人によって環境や人間関係などの状況が違うので、一概には言えないけれど、一つ言えるとしたら、ぜひ味方を作ってほしいです。

あなたは絶対一人ではないはずだから。

50年前の6月、ニューヨーク市のあるバーで暴動がおきた。警察によるLGBTQの人の理不尽な取り締まりが発端となった反乱は、事件があったバーの名前をとって「ストーンウォールの反乱」と呼ばれ、その後に続いた抵抗運動はやがて世界を、そして歴史を揺るがした。

私たちは今、ストーンウォールの後の世界を生きている。

アメリカでは2015年に同性婚が認められた一方で、現在トランスジェンダーの人たちの権利が大統領によって脅かされている。日本ではLGBTQの認知が徐々に広がっているが、学校のいじめやカミングアウトのハードルがなくならない。2019年のバレンタインデーには同性カップル13組が同性婚の実現を一斉提訴し、歴史的一歩を踏み出した。

6月のプライド月間中、ハフポストでは世界各国で活動する次世代のLGBTQ変革者たちをインタビュー特集で紹介する。様々な偏見や差別がある社会の中で、彼らはLGBTQ市民権運動の「今」に取り組んでいる。「Proud Out Loud」ー 誇り高き者たちだ。ハフポストは心から彼らを誇りに思い、讃えたい。

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