ボーカル急逝から20年、フィッシュマンズの映画化を目指す女性プロデューサーの思い

「男達の別れ」から20年、フィッシュマンズが動き出した。制作の「壁」をファンと共に超えて。
(C)fishmansmovie2019
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フロントマン・佐藤伸治さんが亡くなった今も、ファンを増やし続けている孤高のバンド「フィッシュマンズ」のドキュメンタリー映画が製作されている。きっかけは一人のフィッシュマンズファン、坂井利帆さんの強い思いだった。製作資金をクラウドファンディングで募ると、たちまち国内外から700名以上の出資者が集まり、5月末の期限を前に増え続けている。

今なお色褪せないフィッシュマンズの魅力とは何か。作品のプロデューサーである坂井さんと、彼女の熱意に応えたフィッシュマンズのリーダー・茂木欣一(もてぎ・きんいち)さんに映画化への思いを聞いた。

“男達の別れ”から20年、フィッシュマンズが動き出した

フィッシュマンズは1987年に結成されたバンドだ。1991年のデビュー以来10枚のオリジナルアルバムをリリースし、90年代の音楽シーンに独自の存在感を示した。

2019年2月、お台場にあるZepp Tokyoでフィッシュマンズ主催のライブ「闘魂」が開催されていた。90年代の伝説的イベントが20年ぶりに復活したことも話題を呼び、チケットは早々にソールドアウトとなった。

「フィッシュマンズの映画プロジェクトがはじまります!」

終演後、人でごった返す会場近くで声を張り上げながらフライヤーを配る女性がいた。フライヤーにはこのように書かれていた。「The Fishmans Movie Filming Starts February 2019(フィッシュマンズの映画、2019年2月、始動)」

配られたフライヤー。
配られたフライヤー。
(C)fishmansmovie2019

彼女こそが、プロジェクトの発案者でプロデューサーの坂井利帆さんだ。

きっかけは断捨離。実家に眠っていた“宝物”

坂井さんがオリジナルメンバーからもらったサイン。
坂井さんがオリジナルメンバーからもらったサイン。
(C)fishmansmovie2019

坂井さんは彼らがデビューした当時からの熱狂的な“フィッシュマンジャー(当時のファンの愛称)“だ。バイト代は全て音楽につぎ込み、都内近郊のライブハウスに足繁く通った。30年近く経ってもその愛は変わらない。

現在は外資系CS放送局などに番組を提供する映像制作プロデューサーとして働いている。職業から想像してしまうのは、映画の企画を長らく温めていた坂井さんの姿だ。だが、実際は違う。思いがけない実家での「断捨離」からプロジェクトは動き出す。

プロデューサーの坂井利帆さん。
プロデューサーの坂井利帆さん。
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昨年、家族が体調を崩して実家のある神奈川に帰省した坂井さんは、古い荷物を思い切って処分することにした。昔のアルバムや手紙を整理している最中に、大量のカセットテープやVHSテープを発見する。当時、フィッシュマンズがテレビやラジオに出演するたびにせっせと録りためてきたコレクションだ。

「あの頃の思い出が一気に蘇って、とても捨てられませんでした。しかも、去年2018年は“男達の別れ”からちょうど20年だったんです」

フィッシュマンズのベース・柏原譲さんの脱退にともなうライブツアー「男達の別れ」が開催されたのは1998年12月のことだ。しかしその3ヶ月後、佐藤さんが33歳の若さで急逝し、実質的にこれが最後のライブとなる。

「今となっては貴重なアーカイブですよね。けれど、家にはラジカセもVHSデッキもないし、このままじゃ宝が埋もれてしまう。映像化すれば、リアルタイムの彼らを知らないファンにも届けることができるかもしれない。確信はありませんでした。けれど、私がなんとかしなきゃ、って」

メンバー、スタッフ、一人の熱意が周囲を巻き込んでいく

坂井さんは企画書をまとめ、フィッシュマンズのリーダー・茂木欣一さんに相談を持ち掛けた。かつて、音楽雑誌の読者特派員に応募し、フィッシュマンズを取材したことがあり面識はあった。しかし、茂木さんは「はじめは不安もあった」と語る。

「話をもらったときは正直びっくりしました。一体、どんなものが作れるんだろう?と予想がつかなかった」

フィッシュマンズのリーダー、茂木欣一さん。
フィッシュマンズのリーダー、茂木欣一さん。
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ドラムスを担当する茂木さんは、1987年、明治学院大学の音楽サークル「ソングライツ」で佐藤伸治さんと出会い、フィッシュマンズを結成した。佐藤さんの死去後は、ゲストボーカルを迎える形でイベントなどに不定期出演している。また、2001年には東京スカパラダイスオーケストラに正式加入し、国内外で精力的なライブ活動を行っている。

「僕自身、活動当時の資料はずっと大事にしまってありました。いつか共有できる場を、とは思っていたけど、なかなかいい機会が巡ってこなかった。今、このタイミングで映画をつくる理由は、何より彼女の熱意に突き動かされたことが大きい」

熱意は具体的な行動となって現れる。「単なるファンの延長だと思ってほしくなかった」と話す坂井さんは、仕事でタッグを組んでいた監督、カメラマン、脚本家などで制作チームを結成し、メンバーや佐藤さんの両親に丁寧に企画趣旨を説明した。メンバー、スタッフを巻き込み、思いは「実現」に向けて動き出していく。

茂木さんにとっては、今年20年ぶりに再開した「闘魂」も大きな節目になったという。

フィッシュマンズのリーダー、茂木欣一さん。
フィッシュマンズのリーダー、茂木欣一さん。
(C)fishmansmovie2019

「バスドラムを鳴らした瞬間、音がすごく力強かったんですよね。音量だけじゃない、“今”を鳴らしてる気持ちが音に表れていた。その音を生かす場所、バンドとのグルーヴを感じられる場所がフィッシュマンズなんだなと再認識しました。それを実感するのに20年の時間が必要だったのかもしれない」

バンドを結成して30年以上が経ち、これまでの歩みを振り返りながらも、視線は先を見据えている。

「僕にとっては音を鳴らすことで、ひとつの節目になった。これからも、サトちゃんの作ったすばらしい楽曲を鳴らし続けていきたいし、フィッシュマンズのいちばん新しい表現を見せたい。そういう意味でも、2019年は今までと違う一歩を踏み出せたと思います」

映画製作に立ちはだかる“権利”の壁、クラウドファンディングで得たもの

プロジェクトが動き出したものの、映画製作には膨大な資金が必要となる。特に坂井さんを悩ませたのは、楽曲や映像に関する権利と使用料だ。

「例えば、テレビの音楽番組の出演映像を使う場合、使用料として1秒あたり数千円、10分で200万円以上も払わなければいけない。ある程度覚悟はしていたけれど、いざ蓋を開けてみたら予想を上回る金額だった」と苦労を語る。

100本近くあるVHSテープのデジタル化も予算を圧迫する。特に古いテープは劣化が進み、クリーニングと修復作業に1本2万円以上と、どんどん費用が積み上がっていく。

(C)fishmansmovie2019
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そこで、クラウドファンディングを活用して製作費を募ることにした。2月のライブ終了後に告知を開始すると、瞬く間にSNSで拡散された。プロジェクトに賛同したコレクター(出資者)の数は国内外700人を超え、当初の目標額1000万円を達成した。

支えているのは、デビュー当時から応援し続けてきた同年代のファンや、最近になって彼らの音楽を知った若者などさまざまだ。クラウドファンディングのウェブサイトには、映画公開を待ち望むコメントが数多く寄せられている。

「皆さんの期待が形となった大切なお金です。茂木さんや佐藤さんのご実家からも大事な宝物を預かっています。皆さんの思いを全てこの映画に詰め込みたい」

季節の中を走りぬけて、撮影は進む

2月にクランクインし、撮影は快調に進んでいる。ライブのリハーサル風景にはじまり、メンバーの単独インタビュー、関係者への取材など、撮影はすでに数十時間にのぼる。

リハーサルの撮影風景。
リハーサルの撮影風景。
(C)fishmansmovie2019

坂井さんは、ただの自己満足では終わらせたくないと語る。

「佐藤さんの楽曲、そしてフィッシュマンズの音楽が、もっとたくさんの人に広がるきっかけになったらと思います。音楽は何かを変える力がありますから。予算や編成の制約にしばられず、じっくり時間と愛情をかけていい作品を作りたい。だって、既にこれだけたくさんの人を巻き込んでますしね。この映画は、私にとってフィッシュマンズへの恩返しなんです」

4月某日、渋谷にあるライブハウスで茂木さんのインタビューが行われていた。坂井さんはスタッフから少し離れて、遠くで静かに撮影を見守る。

「過去の話を聞いていると、ファンとしての思いが溢れてしまうことがあって。けれど、ここでは私はプロデューサー。自分を律して、敢えて現場に立ち会わないこともあります(笑)」

茂木さんと製作チーム。
茂木さんと製作チーム。
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映画化にこだわった理由は、海外のファンにも届けたいからだという。

「ここ数年、ストリーミング配信も後押しになって海外からの評価が高まっています。フィッシュマンズに関する本は既にいくつかありますが、翻訳版を作るのは難しい。今はインターネットと映像の時代です。海外に届けるには映画のフォーマットがいちばん適しているのでは」

国内の映画館はもとより、海外での上映も視野に入れている。

「人生何があるかわからないですよね。私の個人的な思いがこんなにプラスに転じるなんて。偶然とタイミングを信じるって大事なんだなと思います」

音楽が人と人とを繋ぎ、時代を超えて愛されていく。劇場公開は2020年を目指している。

(記事・星久美子/編集・石戸諭)

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