書くのは誰のため? いまの仕事を“天職”と言われ、私が薄く傷つく理由

なぜなら「ライター」の自分が、私のコンプレックスに強く紐づいているから。
筆者
筆者
YUKI YAMAGUCHI

あなたは天性のライター気質ですね。

そう言われるたびに薄く傷ついている。誤解を招かぬよう伝えておきたいのだが、ライターという職業には誇りを持っているし、この仕事が好きだ。ライターという肩書きを盾に、取材を口実にすれば、普段聞けないようなお話も聞かせてもらえる。人が好きな私にとってはやはり、ライターは天職に値するのかもしれない。

だからこそ、「ライター気質ですね」「向いていますね」と言われたときに素直に喜べる自分でありたいのだが、自分の心の中に巣食う毛玉が取り払えない。それは「ライター」の自分が、私のコンプレックスに強く紐づいているからだ。

4人兄弟の長女として「しっかり者だから」「女の子だから」そういうよくわからない世界のルールを生きていた子どもの頃の私。3歳下の妹と
4人兄弟の長女として「しっかり者だから」「女の子だから」そういうよくわからない世界のルールを生きていた子どもの頃の私。3歳下の妹と

もうこんな生き方はやめたいと思った

自分のために人生を全うすることなど、許されないと思ってきた。

物心ついたときからずっとそうだった。具体的に誰かに何かを言われたわけではないかもしれない。ただ、4人兄弟の長女だから、私はしっかり者だから、女の子だから、そういうよくわからない世界のルールを生きていた。

楽しいことは悪であるし、ましてや私だけが楽しいことは最悪なのであって我慢こそ美徳。 多少の犠牲を払ってでも人のために尽くすべきだという観念が、幼いころから瞼の裏にべっとりとこびりついて離れない。自分のことは二の次三の次、近くに困っている人がいたら絶対にやさしくしなければいけないし、それはたとえ私がそうしたくないと思っていても求められれば受け入れなければならない。人に頼りにされること、求められること、必要とされることは“うれしい”ことで、内実うれしかろうとうれしくなかろうと喜ばなければならない。

私の人生は私のものではなく、私以外の他人のもの。

自分の意思に反して他人に尽くせば尽くすほどに善であり美徳、という、呪いの歌がエンドレスで脳内を流れていた。

どこで聴いて覚えたのかもわからぬ声に支配され、私はとにかく人のためにならなければいけなかった。人の感情をスキミングし、“適切な”リアクションと言葉を返して、また人の顔色をうかがう。そうしているうちに人は心を許してくれるようになり、どんどんと重荷を乗せてくるようになり、ときどきは八つ当たりするようになって、私は“頼ってもらって”いることを“喜ばしく”思った。

それは友人が相手でも恋人が相手でも同じだった。

自分の感情や欲求を発露させることは悪だとも思っていた。感情や欲求の発露や、何かを表現することは利己的で未熟な人間あるいは類まれなる才能の持ち主にしか許されないものだと思っていた。

だから、出版社への内定が決まったときも「私に見合わない」という理由で辞退した。そうなるのなら最初から受けなければいいのだけれど、自分の葛藤にさえ気づかないほどにどこからともない声に毒されていたのだろう。

けれど結局、新卒で入った会社で、自分の限界を知ることになる。

人のためと思って起こす行動や発する言動が徹底的に“間違い”で、私は会社のほとんどの人に嫌われてしまった。単につらく当たられることよりも、役立たずに思われて欲されないことが耐えられない。ベタなドラマみたいな話だけれど、体調を崩して休職をし、復職した後に回された仕事がコピーとお茶汲みで、窓際の日向でひとり退勤時間を待っているのはまるで緩慢な自殺だった。

「人のため」と思ってやってきたことが裏目に出ることもあるのだと知ったとき、もうこんな生き方はやめたいと思った。それまでの自分を哀れに思いながらも、ひどく軽蔑した。

同時に私は、私の言葉で言うところの“利己的で未熟な人間”で、少なくとも自分の感情や欲求を胸にそっと仕舞っておけるほどの器がないということや、類まれなる才能もないのに表現せずにはいられないという自分の愚かな欲望をようやく知ったのだった。

その瞬間、脳内の分厚い呪いが音を立てて瓦解していくのを感じた。 私は会社を辞めて、大した考えもなしにライターの仕事に漂着した。

ライターという職業は自分のためではなく、誰かのために書くもの?

ライターの仕事は好きだった。自分の会いたい人に会いに行けて、話を聞かせてもらえる。もちろんそれは「自分の創作とは別のもの」という理解だったけれど、人のためという意識もなかった。自分のやりたい企画が通って記事になり、世に出た延長線上にインタビュイーや読者の方が喜んでくれることもある、と、ようやく自分の人生を生きられていると思えたくらいだった。

しかし、「家族と性愛」を掲げて仕事をし始めたころから少しずつ雲行きが変わってきた。あくまで私の個人的な探求のために、掲げ始めたテーマだったのだけれど、扱うテーマの特性上「社会派ライター」などと呼んでいただくことが多くなった。恐らくは褒められているのに「私のためなので」と言い張るのもおかしな気がして複雑な想いのもと、いただく言葉に甘んじた。

そうしたモヤモヤが決定的になったのは、あるインタビュイーの方のメディア露出が増えてきたときだった。彼女との関わりのはじまりはとても個人的なものだったのだが、話題性に富む彼女は一ライターとしても魅力的で、一緒に展示を企画したり、切り口を変えて何度か取材させてもらったりしていた。彼女の魅力を書いて届けることが純粋に楽しかった。

私が魅力的に思ったのと同様に、数多のメディア関係者が放っておくはずもなく、彼女の周りには人がどんどん増えていった。彼らは彼女をいかにプロデュースするかについて会話に花を咲かせ、私がその場にたまたま居合わせることもあった。

書籍の出版やテレビへの出演もトントン拍子に決まっていくのを見て、正直なところ羨ましさや彼女が遠い存在になっていくのが寂しいような想いもあったと思う。ただ、元々組織に馴染めずに会社を辞めた人間がプロジェクトに参画するかたちで協力するのは気乗りしなかったのも本当だ。打ち合わせの場にたまたま居合わせてしまい、身の置きどころがわからなくなった私が席を立とうとしたとき、一人のメディア関係者が私に声をかけてきた。

「あなた、〇〇さんの記事を書いているライターさんですよね。一緒に〇〇さんを盛り上げるために頑張りましょうね!どんな記事を書いてくれますか?」

涙腺がゆるむのを感じて、咄嗟に歯を食いしばった。私は「人のためにやっているわけじゃない!」と叫ぶ代わりに「あぁ」と言って小さく微笑んだ。うまく笑えているかはわからなかった。その人に他意はないのはわかっていたし、ライターをはじめとしたメディアの人間であれば、それまでインタビュイーとの親交があったならば尚更「そうですね!どんな打ち出しでいきましょうか!」とのるのが立場上の正解だ。それなのに、そうすることができず、頑な意志が眼の表面を泳いだ。インタビュイーについて好き勝手書きたいという意味でなく、しかし、書きたいと思う感情は私のものであるはずだった。

私自身のスタンスがどういうものであっても、ライターという職業は自分のためではなく、誰かのために書くものと一般的には思われているのかもしれない。そう思ったとき、それが哀れで軽蔑すべき過去の自分にトレースされ、全身を掻きむしりたいような衝動に襲われた。くす玉の紐を引かれ、コンプレックスの紙吹雪にまみれて、埋もれた。

それから8カ月の間、インタビュー記事をほとんど書かずにいた。ライターと呼ばれることやライターである自分が嫌で、同じ業界の友達に会わなくなり、仕事も大幅に減らし、腰かけ程度でも働かせてくれるアルバイトでギリギリの生活を成り立たせた。

友人の劇作家の仕事に同行して新潟に行ったときの1枚。このときのご縁で彼女の演劇のレビューを書かせていただけることになり、うれしかった
友人の劇作家の仕事に同行して新潟に行ったときの1枚。このときのご縁で彼女の演劇のレビューを書かせていただけることになり、うれしかった

私はこの仕事が好きだ。そして、その事実にとても安心した

しかし、ほとぼりが冷めると、気づけばインタビューの仕事を再開している自分がいた。私はやっぱりインタビューが好きだし、いわゆるライターの仕事が好きみたいだ。自分が好き勝手に想いを炸裂させるエッセイの類を書くときとは、また違った喜びがある。

「どんな記事を書いてくれますか?」と言われたあのとき、私は間違いなく無性に腹を立てていた。とても大げさに言えば、自分が主体的に生きているという事実を奪われたような気がしたのだと思う。ただ、ライターの仕事自体は今も昔も変わらず好きなのだった。そして、その事実にとても安心した。

表現者として身を立てられるようになっても、この仕事を続けていきたいという気持ちがある。そう思えるようになってから、記事に込める熱の温度も上がっていると感じる。私はライターの仕事が好きだ。インタビューが好きだ。

とは言え今でも、作家やアーティストの友人と話していると、コンプレックスに溺れそうになることがある。私はインタビューにしてもエッセイにしても、自分のために書いているという意識でやっているけれど、作家やアーティストの友人の仕事と比較すればまだまだ「人のため」にしているという要素が自他ともに大きいと感じる。もちろんそうした表現者とて「120%自分のため」に書いている人などいないと思うが、どこまでいってもインタビュー記事は「作品」にはならないし、そうあるべきではない。

好きでやっていることなのに、社会のまなざしに晒したときに肩身狭く、まっさらな表現者に対して劣等感を覚えてしまう。歪んだ考え方だが仕方ない。なぜならその考え方そのものが私のコンプレックスだからだ。

大好きなライターの仕事を続けながらも、一表現者として広く認識してもらえるようになるまで頑張らなくてはいけない。今日も私は鼻息荒く、破竹の勢いでタイプする。

(編集:毛谷村真木 @sou0126

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

注目記事