WOMAN
2020年03月05日 09時55分 JST | 更新 2020年03月10日 10時54分 JST

「女の子写真」と呼ばれて、フェミニズムを勉強した。写真家・長島有里枝が言葉で語り始めた理由

「女の子写真」にカテゴライズされた私たちは、常に「本物か?」という疑問視とセットで語られた。

1990年代、20代前後の若い女性たちの撮った写真が一躍注目を浴び、その潮流は「女の子写真」と呼ばれるブームになった。

写真家・長島有里枝さんは、蜷川実花さんやHIROMIXさんらとともに、当時このブームを牽引したと評されていた一人だ。

しかし2020年1月、『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』と題した著書を上梓。

「『女の子写真』という言説は女性蔑視的だった」と、「当事者」として表明した。

根底にあるのは「女の子」という枠の中に押し込められ、消費され続けたことへの怒り。「撮る」のではなく「語る」ことによってしか、伝えられなかったものとは何だったのか。

Aiko Kato /HuffPost Japan
長島有里枝さん

 「女の子写真」とは何か。本書は、2010年に上梓された写真評論家・飯沢耕太郎氏の著書『「女の子写真」の時代』を引き、その中で示される「『女の子写真』家の典型」的な実践とは、以下の3点のようなものだとする。

「半径5メートル以内」の身近なところにあるものを被写体としていること。安くて軽く、操作が簡単なコンパクトカメラを使用していること。そして、ヌードを含むセルフ・ポートレイトの形式を取っていることだ。

「社会への興味関心が薄い。技術がない。自分の裸を被写体にする、なんでもありな『女の子』たち――。若い女性であることは、『未熟さ』、『つたなさ』、そして知性や強い意志の対極にある資質としての『感性』といった言葉と、あまりにも安易に結び付けられていました」と長島さんは語る。

本書では、そうした言説の一つひとつをつぶさに取り出し、検証し、写真家たちの個性が「女の子」というカテゴリに押し込められていく過程を明らかにしている。

1993年、武蔵野美術大学在学中に、家族と共にヌード姿で撮影したセルフ・ポートレイト作品を発表し、写真家としてのキャリアを歩み始めた長島さん。当時、自身に向けられるまなざしに対して抱いていた違和感をこう振り返る。 

Yurie Nagashima
Untitled <家族>より(1997)

 「家族との日常のシーンを裸で再現する写真を撮ったのは、当時流行していた、ヘアヌード写真への抵抗でもありました。女性の身体がほとんどいつも性的な文脈に置かれることの“当たり前さ”に疑問を持ってほしいと思ったのです。でも、多くの批評家やメディアが私を語る言葉から、そういう視点は抜け落ちていた」

「初めて知り合いから、『女の子写真って呼ばれてるよ、知ってる?』と聞かされたときは正直、失笑しました。それまでにいくつか別のカテゴリでも括られてきたのでさすがに、中でも特に馬鹿馬鹿しいこの呼び名が残ることはないだろうと考えて、取り合わずにいたんです。一部の人はそう呼ぶかもしれないけれど、大多数の大人はこれをよしとしないだろう、と」

しかし、その予想は裏切られることになる。長島さんは1995年から1999年まで米国に留学していたが、帰国したときには「女の子写真」という語りは、写真史に刻まれる一つのジャンルとして力を持っていた。

撮影した主体が「女性であること」に注目する「女の子写真」言説は、新聞や週刊誌などマスメディアでも繰り返し引用され、拡散された。長島さんは「女性から見れば失笑するしかなかった言説」であり、あくまで「世の中が、納得して受け入れていたのかどうかは分からない」とする。だが、その言説に広がりを許す素地としての男性支配的な価値観が、社会の側には備わってしまっていたということだろう。

ただ、アート全般に言えることだが、作品を鑑賞する側は必ずしも、作家の意図した通りのメッセージを受け取るとは限らない。それでもなぜ、ジェンダー意識のゆがみを背景にした「誤解」は反駁される必要があると、長島さんは考えたのだろうか。 

象徴的なエピソードがある。渡米前、長島さんは自身の大切な作品が刻まれたネガを、大量に廃棄した経験を持つ。

「デビュー以来、ひっきりなしに取材を受けたり、さまざまに論じられたりしてきましたが、必ず付きまとったのが『女の子』という言葉でした。写真界で多くの論者は年長の男性。男性はめったに『男の子』とは呼ばれないのに、『女の子』の私は常に『本物か?』と疑問視する言葉とセットで語られた。雑誌などではしきりに『真価を問われるのはこれから』とか、褒めるにしても『技術のワクを超えた』などという言葉で紹介されたし、アートコンペで受賞した作品に対し、大学の男性講師にいきなり呼び出されて『俺は認めない』と言われたこともあります」

「作品にはコンセプトや伝えたいメッセージがあり、確信を持って制作していました。でも『女の子』だからという理由で、それがないことにされてきた。正当に評価されないことで、自分と自分の作品には価値がないという気持ちが募ってネガを捨てたのだと思います。若いときは特に、『あなたには価値がある』と伝えられなければ自分を大切にできないことってあると思うんです。きっと、写真の世界に限ったことではないですよね」

傷ついたか、と尋ねると、「たぶん、傷ついたりはしなかった。しないんですけど……」と言いよどんだ。そして、こう続けた。

「まともに作品を見てくれない周囲に対して自分のほうから距離を置き、本当の気持ちを言わなくなっていった――それが的確な表現かもしれません。かといって、他の女性写真家とそれについて話すようなことも、「やっぱり『女の子』たち、仲良くしてる」みたいに言われるんじゃないかと怖くて、避けていた。きっとみんな、多かれ少なかれ『私は“女の子写真家”じゃない』と思っていたと思うので、横のつながりも持てずに孤立していきました。誰かに心の内を話せていたら、ネガを捨てるなんてしなかったかもしれない」 

Yurie Nagashima
Tank Girl(1994)

2001年、長島さんと蜷川実花さん、HIROMIXさんは写真界の権威である木村伊兵衛写真賞を同時受賞する。本書ではこれを受けた専門誌の特集で、「女の子写真」と呼ばれ続けてきたことに対する感想を問われた3人の反応も引用している。この中で蜷川さんが「うれしくはないけどそこを利用したのは事実」と言い残しているのは印象的だ。

「女の子写真」と名付けられたからこそ、歴史に刻まれた側面もあるのでは――。

そんな想像し得る反応に対しても、長島さんはきっぱり否定する。

「この本は自分のため、それに『女の子』と呼ばれたり、自分をそうみなしたりしている人たちに読んでほしくて書きました。いくら待ってもきちんとした批評ができる専門家が現れないなら、自分で作品を守ればいい。フェミニズムを学んで、対抗する『言葉』を獲得し、8年かけてこの本を書きました。でも、つくづく思うのは、もし世の中がジェンダーバイアスのない場所だったなら、それだけの時間を私は自分が好きなことの追求や、もっと多くの作品を生み出すことに注げたのに、ということ。ある人々が『女』だというだけで差別的に扱われる。そういう社会と戦うことに、膨大なエネルギーと時間を私のような人間が費やすことは、芸術にとっても、社会にとっても大きな損失なのだということを、真剣に考えてほしい」

1990年代当時、乾いた笑いや諦めで覆い隠されなければならなかった長島さんたちの「本当」は、2020年になってやっと、日の目を見た。

その背景には、男性中心の業界の中で声を上げれば仕事をすること自体が困難になり得たという写真界特有の事情も存在したが、一方で、アーティストが作品について自ら語ったり、的外れな評論に対して反論したりすることがポピュラーではなかった国内の状況もあったという。

「撮ること」によってではなく、あえて「語る」という表現方法を選んだのには、そこに一石を投じたいという思いもあった。 

「過去のことは写真に撮れないし、この問題に関しては解釈の抽象性が高い写真よりも、言葉を使うほうが適切だと思いました。やりたかったのは怒りを表現することでも、特定の誰かを糾弾することでもなく、1990年代の状況や、自分が何をしていたのかということを、当事者の目線から、自分の言葉で語ることです。私たちは一方的な言葉で評価され、かつ対等な議論の場を与えられずにきたのだから、これでやっと同じ土俵に立てたかな、ぐらいの気持ちです。 この本は、『女の子写真』の批評や言説構築の方法の『未熟さ』や『つたなさ』に対する批評です。反論があれば、言論の場で是非お願いしたいです。そういうやり取りを公にし、多くの人が共有したり、また議論したりすることで、文化って前に進んでいくものだと思うから」

本書の中で長島さんは、「女の子写真」を「わたしたちのガーリーフォト」と名付け直し、女性たちに「自分のために声を上げること」を呼び掛けている。重ね合わせるのは、自身もかつて夢中になったという「ライオット・ガール」運動だ。

「ライオット・ガール」とは、1990年代初頭にアメリカの音楽シーンで誕生したフェミニズム運動だ。ビキニ・キルなどガールズバンドが中心になり、男性支配的だったパンク界に挑戦し、反抗し、自由な表現を称えた。

「女性ミュージシャンが、『ガール』や『ビッチ』などもともとは女性蔑視の意味を含んでいた言葉を自発的に用いたり、あえて『女性らしい』服装をしたりして、そのネガティブな意味を解体しようとした運動です。ライブハウスでも『Girls to the front!』と呼びかけて、ダイブやモッシングなどをする男性たちに気後れしている女の子たちを、最前列に呼び寄せました」

『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)

「女の子写真」という枠にくくられていた長島さんたちの試みには、その「日本版」とでも言うべき表現の潮流を国内のアートシーンにもたらす可能性を秘めていた。それが、長島さんが20余年の時を経た今、問い直したいことだ。

「私は自己主張の手段、そして何より自分が楽しむために写真を撮っていたのであって、男たちを喜ばせるためではなかった。声を上げるのに25年かかりましたが、遅いということはないと思うんです」