「あなた、男でしょ」と胸を触られた。3.11の避難所で生理に、ナプキンを求めた私が受けた屈辱【2022年上半期回顧】

専門家は「災害時は、性的マイノリティーが従来抱えてきた差別や偏見、社会制度の問題が、改めて浮き彫りになる。避難所を運営する自治体などには、職員の研修を強化し、まずは根本的な問題を把握してほしい」と指摘します。
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TORU YAMANAKA via AFP

2022年上半期にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:3月31日)

「東日本大震災で被災した時、避難所に行くかどうか、とても迷いました」

トランスジェンダー男性の悠さん(32)=仮名=はそう振り返る。

当時、外見を含めて男性として生きていたが、体はまだ女性だった。避難所に行くことで、周囲が混乱し、迷惑をかけてしまうかもしれないーー。そんな怖さを感じていたという。

「最初は野宿を続けていましたが、精神的にも身体的にも限界が来て、数日経ってから避難所に。そこではお風呂のほか、生理用品をもらうときなど、いろんな壁にぶつかりました。特に私の体が本当に女性なのか確かめるため、職員さんに胸を触られたことは、とても苦しかったことを覚えています。

災害時は大変なことばかりで、できる限り周囲にも嫌な思いをさせたくない。だからこそ、自治体には多様な性の人がいるという前提で避難所を運営してほしいという思いがあります

◇◇

東日本大震災で被災し、当時宮城県内で避難所生活を経験したトランスジェンダー男性の悠さんに、当時について話を聞いた。

(※記事中には被害の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください)

◆避難所に行くかどうか自体を迷う

女性として生まれた悠さんは幼いころから、自分の性別に違和感があった。中学時代にあるドラマを通して、自身がトランスジェンダーだと自認した。高校生の時には性別変更をして、男性として生きていくことを決めた。

早めに性別適合手術を受けたいと考え、専門学校に進学し20歳で社会人になった。

2011年のあの日、悠さんは21歳だった。

日本では2人以上の医師に性同一性障害であると診断されていることなどが性別変更の要件とされており、当時は通院している最中だった。

女性として見られるのを避けたくて、練習し男性に近いような低い声になった。女性らしい体のラインが強調されない下着を着用し、髪も短くした。悠さんは「もともと背が高いこともあり、多くの人には男性に、もしくは少なくとも男性か女性か分からない人だと認識されていたと思います」と振り返る。

自分の体がまだ女性であることは知られたくなくて、職場では上司にだけ自身の性について伝え、プライベートでは職場から遠い宮城県内の市町村に1人暮らしをし、知り合いはいなかった。

2011年3月11日。その日は仕事が休みで、家の近くを散歩していた。経験したことのない大きな揺れに恐怖を感じていると、避難してくださいとアナウンスが鳴っていた。避難した場所からは津波が街をのみこんでいく様子が見え、身震いが止まらなかった。

住んでいた家はなくなった。だが悲しむ時間もなく、悠さんは新たな問題に直面した。それは避難所に行くのか、行って大丈夫なのか、というハードルだった。

悠さんは、こう振り返る。

「これまでは人と距離を保つことで、自身の性について知られることはあまりありませんでした。ですが集団生活になることで、自分が一番触れられたくない性のことが知られてしまうかもなとも思いました。お風呂など、男女で区切られたものへの恐怖もありました。また近くで暮らすことで、周囲からすると男か女かわからない存在の自分は、風紀を乱し、迷惑をかけてしまうだろうなという後ろめたさもありました」

どうすれば良いかわからず、避難直後は人目につかないところで野宿をして過ごした。だが当時東北はまだ寒く、精神的にも身体的にも限界がきて、「避難所に行くしかない」と思った。

◆生理用品をもらいに行くと…

避難所では、目立たないように生活したが、人目が気になった。そんな中、いつも通り生理がきてしまった。支援物資のナプキンをもらうためには、職員の許可が必要だった。

見た目が男性に近い自分がもらいに行ったら不審がられるに違いないと考え、どうすることもできず、トイレにあったトイレットペーパーで応急処置をした。だがそれだけでは対処は難しかった。

人の少ない時間に生理用品をもらいに行くと、職員から「あなた、男でしょ」と言われた。

その問いは予想はできていたし、もし平時なら公的に女性だと証明できる免許証などがあるが、家が流されたため持っていなかった。

悠さんは、今思うともっと良い伝え方があったと振り返るが、当時は自分の性のことをどこまで言うか定まっておらず、「生理が来て…」と説明すると、「いや、だからあなた男でしょ」と、胸を触られた。

屈辱だった。予想していなかった感触に職員はたじろいでおり、悠さんは「すみません…本当に生理が来ているので、もらっていきます」とその場を去った。

いろんな感情が頭の中を渦巻いた。だが当時は「自分がトランスジェンダーなのがいけない」「みんな大変な時期なんだから、苦しいとか思っちゃいけない」と自分に言い聞かせた。

避難所に戻ると、以前よりも人の視線を受けるようになった。生理用品をもらう様子を見ていた人が、周囲にその様子を話していたことがわかった。

「もう、ここにはいられない」

避難所の環境が徐々に整い、電話ができるようになると、すぐに関東のトランスジェンダーの友人に事情を話し、友人の家に避難させてもらうことになった。

避難所にいたのはわずか数日。「もし、匿ってくれる友達がいなければどうなったんだろう」という思いがある。

悠さんは「11年前の出来事で、今だったらもう少し空気も違っていたかもしれません。被災時は本当にみんな大変ですし、多くは望みません。ただ可能であれば、生理やトイレなど、性に関する部分を少し考えてほしいです。それが当事者かどうかによらず、過ごしやすい環境になると思っています」と話す。

◆「災害はLGBTQの困りごとを浮き彫りに」

弘前大の山下梓助教(国際人権法)は、悠さんのケースについて「災害時の性暴力は東日本大震災以前から指摘されるようになりました。今回のケースは、この職員さんは自分が男性だったら男性の体を触って良いといった、ジェンダー規範の認識の問題がまずは根底にあると感じています」と話す。

このほかにも、近年は大災害の際、事実上の家族と暮らせなかったり、避難所の入浴施設が利用できなかったりといった性的マイノリティーが直面する困難に光が当たるようになってきた。

当事者の抱える問題を知ってもらおうと、岩手県内の有志らでつくる「岩手レインボー・ネットワーク」などは2016年、当事者が直面する困難と対応策をまとめた「にじいろ防災ガイド」を作成した。

「男女別に設置されたトイレ、更衣室、入浴施設は使えない」「仮設住宅や災害公営住宅の入居要件に『世帯』と書かれている。同性パートナーを暮らせるのか不安」といった困りごとと対応策が記されている。

悠さんのケースは「生理用品、下着、ヒゲソリなど、男女別になっている物資を受け取りにくい」という困りごとに該当するという。ガイドでは「性別自認や性別表現と公的身分証や身体の性が異なる人もいます。まずはそのことを知ってください。周囲に人がいる中で物資を受け取りにくい人に配慮して、ボランティアや相談の専門家などを通して個別に届けられるような仕組みを検討しましょう」と促している。

山下助教は「災害時は、性的マイノリティーが従来抱えてきた差別や偏見、社会制度の問題が、改めて浮き彫りになると感じています」と指摘する。

「災害時特有の困りごとを解消するという『点』で考えるのではなく、避難所を運営する自治体などには、まずは根本的な問題を把握してほしいです。また研修などを強化し、職員の方が普段から多様な性への知識を持つことで、災害時など有事の際も対応できることが増えると思います」


〈取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版〉

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