「地震、大丈夫だった?」福島に住み、何の被害にも遭わなかった僕は、後ろめたさを感じ生きてきた

福島県の被害が少なかった地域の出身だという明典さん。「ニュースの中の福島と、目の前の光景は別世界でした」と当時を振り返ります。
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行方不明者の捜索をする男性。奥は東京電力福島第1原子力発電所(2013年、福島県浪江町)
行方不明者の捜索をする男性。奥は東京電力福島第1原子力発電所(2013年、福島県浪江町)
時事通信社

「『出身どこなの?』

地元を出た瞬間、人と仲良くなる上で、ほぼ必ず聞かれるようになりました。福島出身の私はいつも、答えにためらってしまいます。

福島だと言うと、ほぼ必ず『地震、大丈夫だった?』と聞かれるからです。

僕の身の回りには幸いなことに、直接的な大きな被害は、何もありませんでした。

でも、『大丈夫だった』なんて、簡単には言えません。友人からは『いとこが死んじゃった』と聞きました。亡くなった子は、僕も何回か話したことがある人でした。

原発事故などによって地元を離れたり、命を落としたりした人がたくさんいることも知っています。

この11年、『大丈夫』って何なんだろうって、ずっと考えて生きてきました。

大きな被害に遭わなかったことは悪いことじゃないのに、どこか後ろめたさを感じている自分がいます」

◇◇

東日本大震災から11年。あの日から、東北3県は「被災地」と呼ばれるようになった。だが3県の中にも、大きな被害に遭っていない人もいる。

3.11で父を失った亜沙美さんに続き、今回は当時高校生だったという福島県内出身の会社員・明典さん(27)=仮名=に、この11年間感じてきたことを聞いた。

(※記事中には被害の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください)

◆テレビの中と、目の前の「福島」は別世界だった

津波が押し寄せた福島県南相馬市(2011年)
津波が押し寄せた福島県南相馬市(2011年)
時事通信社

福島県内で生まれ育った明典さん。自身の子ども時代を「野球とか漫画が好きで、どこにでもいるような、あまり特徴がない子だったと思います」と振り返る。

2011年3月11日午後2時46分。明典さんは当時高校生で、野球部の練習中だった。大きな揺れを感じ、部活は中止。校内放送で、校庭に集まるよう指示された。

明典さんの住んでいた地域は震源地から遠く、県内では被害が小さかったとされており、地震直後は「それなりに大きな地震」だと思っていた。

だがその場で学校の先生から、県内の東側を中心に、津波などの大きな被害があったことを教えてもらった。

帰宅後に見たニュースでは、津波が街を飲み込んでいく映像を目にし、身震いしたことを覚えている。「本当に、同じ福島なのかなって、信じられませんでした」

その後、余震などで怖い思いはしたものの、身の回りで大きな被害はなかった。全国ニュースで見る福島と、目の前に広がる光景は、全く違うものだった。

だがある日、仲の良い友人に打ち明けられた。「明典も会ったことある俺のいとこ、覚えてる?あの子、亡くなったんだって…」

また、被害に遭った人が親戚に頼んで、明典さんの近所に一時的に移り住んでいると聞いた。後に、原発事故のニュースとその人の実情が重なっていることに気付いた。

「画面の中にあった出来事が、本当に起きていることなんだと。少しずつ、別世界ではないのだと実感が湧いてきました。あの感覚は後にも先にも当時しか抱かなかったものなので、今でも頭に強く刻まれています」

◆「大丈夫って、何だろう」

津波で打ち上げられた漁船(2011年、南相馬市)
津波で打ち上げられた漁船(2011年、南相馬市)
時事通信社

何かしたいとの思いが芽生え、高校時代は立候補して募金活動に取り組んでいた。その後、進学で関東に行くことを決めた。

大学ではすぐに、ある種のカルチャーショックに直面した。

「どこ出身なの?」

新しいクラスやサークル、アルバイト先…。地元では一切聞かれたことのなかった質問をされるようになった。

そして「福島だよ」と返すと、必ずと言って良いほど聞かれた。

「地震、大丈夫だった?」

「うん、俺は大丈夫だったよ」と答えるたびに、どこかもどかしさが募っていった。言葉が正しいかはわからないが、「福島出身」は、他の人から見ると特徴なのかもしれない。それが、重くのしかかった。

「大丈夫って、何だろう」

自分は確かに大きな被害は受けていない。幸いなことに、父も母も弟も自分も、みんな元気だ。それは恥ずべきことではないことはわかっている。

ただ東日本大震災で、自ら、もしくは大切な人が命を失った経験をした人が、地元・福島にはたくさんいる。

「今こうやって、幸せに生きていることに、後ろめたさがあるのかな」「でもこの感情こそ、エゴというのかもしれない」

頭の中で、いろんな意見がぶつかり合った。

答えは出なかったが、ただ1つ、明確に言えることがあった。

「自分は大丈夫だったよ」だけで済ませたくないということだ。

地元のニュースを意識的にチェックするようになった。

「地震大丈夫だった?」と聞かれるたびに、「最近防波堤の議論が進んでいるみたいで…」「この前、原発事故で地元に帰れない方のニュースを見て、いろいろ思うことがありました」といった、現在進行形の話をするようになった。

だが「へえ…」「そうなんだ」という反応が多いという。

その度に「何のために、『地震、大丈夫?』と聞くのだろう」という思いが募る。

「もちろん、雑談の1つということはわかります。でも自分にとっては、雑に話せるような話題ではないんです」

◆「地震大丈夫だった?」の先にある現状を想像してほしい

東京電力福島第1原発事故の影響で現在は使われていない双葉町役場。庁舎前には放射線測定用モニタリングポストが設置されている(2021年、福島県双葉町)
東京電力福島第1原発事故の影響で現在は使われていない双葉町役場。庁舎前には放射線測定用モニタリングポストが設置されている(2021年、福島県双葉町)
時事通信社

明典さんは「この11年間、『地震、大丈夫だった?』という問いに、言葉にしにくい感情を抱いてきました。もし、僕が誰か大切な人を亡くしていて、正直に答えたら、聞いた人はどう思うのでしょうか」と問いかける。

「聞くのをやめてほしいわけではないんです。むしろ聞くからには、その問いの先にある実情について、想像してほしい。大丈夫じゃなかった人もたくさんいます。僕みたいに、直接的な被害はなくとも、故郷を思うと大丈夫とは言えない人だって少なくないはずです。

災害報道でよく、風化という言葉が使われますが、そもそも自分ごととして捉えたことがない人もいるんじゃないかなと感じています。偉そうなことを言っていますが、僕も福島出身でなければ、同じだったかもしれません。ただ、想像力や関心を持つことで、ちょっとでも生きやすくなる人がいるのは確かだと思います

〈取材・執筆=佐藤雄( @takeruc10 )〉

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