東京ディズニーシーはなぜ、「海」をテーマにしたパークになったのか。実は“幻”になるかもしれなかった【秘話】

開園から21年を迎えた東京ディズニーシー。「冒険とイマジネーションの海」はいかにして誕生したのか。1988年発表の「第2パーク構想」で当初検討されていたのは「海」をテーマにしたテーマパークではなかった。
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東京ディズニーシーグランドオープンのセレモニーの様子(2001年9月4日)
東京ディズニーシーグランドオープンのセレモニーの様子(2001年9月4日)
getty images

東京ディズニーシーは2022年9月4日、開園から21年を迎えた。引き続くコロナ禍だが、15日からはスペシャルイベント「ディズニー・ハロウィーン」も開催予定でファンの期待が高まっている。

2001年に産声をあげた東京ディズニーシー。今では東京ディズニーランドと並ぶ人気のテーマパークに成長し、いよいよ2023年度には新エリアの開業も控えている。

そんな東京ディズニーシーだが、当初の計画では「海」がテーマではなかったことをご存じだろうか。「冒険とイマジネーションの海」はいかにして誕生したのか。懐かしの写真と共に振り返りながら、エピソードを紹介する。

ディズニーシーの21年を写真で振り返る

東京ディズニーシーがオープンしたのは、2001年9月4日。同日に東京ディズニーシー・ホテルミラコスタも開業した。

オリエンタルランドによると、東京ディズニーシーは東京ディズニーランドと異なり、開園当初からアルコール類を販売。これにより、「お酒が飲めるディズニー」として、子どもだけでなく大人からも支持を広げていった。

1つの大きな「海」を囲むようにして、7つのテーマポートで構成されている東京ディズニーシー。昼夜に水上で行われる「ハーバーショー」は、開園以来、人気コンテンツとなってきた。

2004年には夜のエンターテイメントプログラム「ブラヴィッシーモ!」の公演を開始(2010年11月に終了)。同ショーはミッキーマウスの出演は序盤と終盤(セリフのみ)で、ディズニーキャラクターは一切出てこないという斬新な構成だった。

「ブラヴィッシーモ!」(2004年)
「ブラヴィッシーモ!」(2004年)
getty images

ディズニーシーはとりわけハロウィーンやクリスマスの人気が高い。ハロウィーンは近年の仮装人気も相まって、パークで様々なディズニーキャラクターの仮装をして楽しむ人も増えた。

一方、クリスマスには煌びやかなイルミネーションの光が園内を包む。かつて2003年から2006年にかけて公演された「キャンドルライト・リフレクションズ」などのプログラムも、ファンからは当時人気を集めていた。

ハーバーショー「カラー・オブ・クリスマス」(2018年の公演)
ハーバーショー「カラー・オブ・クリスマス」(2018年の公演)
HARUKA OGASAWARA

東京ディズニーシーの思い出としてリピーターからその名が多くあがるのが、2006年から一定期間の休止を経て現在も続く『ビックバンドビート』というショープログラムだ。ブロードウェイ・ミュージックシアターで公演されている。

現在は『ビックバンドビート〜ア・スペシャルトリート〜』として公演が行われている。

スウィングジャズを中心としたショーの終盤にはミッキーマウスがドラムを叩き、その流れでタップダンスを披露するというシーンがあり、このショーを目当てに訪れるリピーターも多い。

「初めて見た時にミッキーがドラムを叩く姿は衝撃でした」「来園すると必ず見たいと思うショー」などと、スタートから10年以上経った今でも強いインパクトを残している。

『ビックバンドビート〜ア・スペシャルトリート〜』のワンシーン
『ビックバンドビート〜ア・スペシャルトリート〜』のワンシーン
©︎Disney

また、魅力的なアトラクションもパークの人気を支えている。この21年で続々と新たなアトラクションが導入されてきた。

開園から10周年にかけては、2005年の「レイジングスピリッツ 」を皮切りに、2006年にはタワー・オブ・テラー、2009年にタートル・トークがオープン。

開園から10年が過ぎて以降は、「トイ・ストーリー・マニア!」(2012年)や「ソアリン:ファンタスティック・フライト」(2019年)が新設され、高い人気を誇る。

「ソアリン:ファンタスティック・フライト」
「ソアリン:ファンタスティック・フライト」
オリエンタルランド提供

今後はさらにエリアが拡張される。8番目のテーマポートとなる「ファンタジースプリングス」が2023年度にオープン予定となっていて、開園以来の大規模なリニューアルとなる。

新しいテーマポートはディズニー映画『アナと雪の女王』『塔の上のラプンツェル』『ピーター・パン』を題材とした3つのエリアによって構成されていて、着々とオープンに向けた準備が進んでいる。

東京ディズニーシーは“幻”になる可能性があった。「第2パーク構想」の真実とは?

東京ディズニーシーのキャッチフレーズは「冒険とイマジネーションの海」。文字通り、海をテーマにしたテーマパークだ。

今でこそおなじみのものとなっているが、1988年に発表された「第2パーク構想」で当初検討されていたのは、「海」をテーマにしたテーマパークではなかった。

そもそも、オリエンタルランドが東京ディズニーランドに続くテーマパークの建設を検討する「第2パーク構想」を発表したのは、1988年4月15日。東京ディズニーランド5周年の節目に開かれた記者会見の場だった。東京ディズニーシーの開園から実に13年も前に遡る。

東京ディズニーランド隣接地に建設された新テーマパーク「東京ディズニーシー」が開業。記念撮影する(前列左から)オリエンタルランドの加藤康三会長、加賀見俊夫社長、ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニーのマイケル・アイズナー会長兼最高経営責任者、ロイ・ディズニー副会長(全て当時=2001年9月4日)
東京ディズニーランド隣接地に建設された新テーマパーク「東京ディズニーシー」が開業。記念撮影する(前列左から)オリエンタルランドの加藤康三会長、加賀見俊夫社長、ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニーのマイケル・アイズナー会長兼最高経営責任者、ロイ・ディズニー副会長(全て当時=2001年9月4日)
時事通信社

オリエンタルランドが公表している沿革資料によると、第2のパークとして初期の段階で検討されていたのは、「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパークat東京ディズニーランド」という、1989年にアメリカのフロリダ州にオープンした「ディズニーMGMスタジオ・ツアー」をモデルとしたテーマパークだった。

しかし、1991年にそのコンセプトが見直されることとなり、1992年に打ち出された新たなアイデアこそが、現在の東京ディズニーシーに繋がる「7つの海」という“海”をテーマにしたものだった。

もし仮に初期の計画が見直されることなく進んでいたとすれば、東京ディズニーシーは、存在さえしなかったかもしれないということになる。

進化が著しい東京ディズニーシー。今後も「らしさ」を大切に進化を続けてほしい。

東京ディズニーシーの園内にそびえ立つ「プロメテウス火山」
東京ディズニーシーの園内にそびえ立つ「プロメテウス火山」
HARUKA OGASAWARA