ウェルビーイング経営のヒントは「横のつながり」だった。丸井グループの改革、担い手は異色キャリアの取締役

チーフ・ウェルビーイング・オフィサーを務める小島玲子さん。産業医から取締役に就任したキャリアと、鍵となったプロジェクトについて聞いた

 「健康を通して人と組織を活性化する」。

そんな目標を掲げ、働く人の健康を支える産業医として、そして取締役として企業の経営に関わる人がいる。

小売りや金融を手がける丸井グループのCWO(チーフ・ウェルビーイング・オフィサー)を務め、「ウェルビーイング経営」を引っ張る小島玲子さん。一部(現プライム)上場企業で産業医が取締役に就任するのは、2021年当時、日本初のことだったという。

人は主体的に何かに取り組んだ時に最も学びが多く、パフォーマンスも高いという点に着目し、「フロー状態」について研究してきた医学博士でもある。スポーツ選手が集中して高いパフォーマンスを出す「ゾーンに入る」という概念に近い。

最近ではよく聞かれるようになった「ウェルビーイング経営」という言葉だが、小島さんが本格的に取り組み始めたのは10年ほど前のこと。

これまでの取り組みと、異色のキャリアについて聞いた。

小島玲子さん
小島玲子さん
ハフポスト日本版

社長面談で口に出た言葉

2012年3月、丸井グループの専属産業医になって1年ほど経ったある日。小島さんは青井浩社長と話をすることになった。

目の前には、小島さんが1年をかけて現場を回り、各店舗の状況や社員の健康について気付いたことをまとめたレポートが並んでいた。

レポートについて何かコメントをもらえるかと思いきや、何もない。静寂が流れ、小島さんに不安が募り始めた時、青井社長が口を開いた。

「小島先生の活動のゴールはなんですか?」

小島さんが温めてきた言葉が即座に出た。

「健康を通じた人と組織の活性化です」

同社は2011年3月期に2度目の赤字を計上。当時は事業構造の転換を進めていた時期だった。それから二人はすぐに意気投合。この日の出来事が、ウェルビーイング経営を進めていく一つのきっかけとなった。

自分の役割に意味を見出せなかった時期

学生時代、共働きだった両親の姿を見て「働く人の健康を支えたい」と、産業医の道を志した。大学卒業後は、病院での臨床研修後、大手メーカーの専属産業医を10年ほど務めた。経験を重ねる中で、その役割に意味を見出せない時期があったという。

当時小島さんに求められた役割は、不調がある人の対応や病気予防がメイン。だが、具体的な不調がなくとも「生き生きと働く」という意味では課題を抱えている人が企業にはたくさんいる。産業医として、もっと幅広く役に立てるのではないかという思いが募っていった。

そもそも、「健康」の定義は幅広い。

WHO(世界保健機関)は「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)と定義している。

つまり健康とは、病気ではないことや弱っていないことだけではない。

「企業の産業医を務めるからには、目指す世界はこちらではないかと思うようになりました」と小島さんは語る。

しかし現実には、健康について講演をしても、あまり興味がない様子だったり、聞きにくる社員はよほど関心が高い人だけだったりという時も。産業医のもとを訪れるのは、「調子が悪い時」という認識が根強かった。周囲の産業医仲間からも同じような悩みを耳にした。

「健康は大事、と誰もが思っているけれど、そのことが企業の本質的な活動とは関係ない位置付けになっていた。企業活動の文脈に沿った形で伝えないと、伝わらないのではないかと段々と感じるようになっていました」

模索する中で行き着いたのが、「健康を通じた人と組織の活性化」という言葉。専門的に学ぼうと、2006年に働きながら大学院で学んだ。そこで、「フロー状態」について研究した。

卒業後の2011年、縁があって丸井グループの専属産業医に。「健康を通じた人と組織の活性化」をやりたいという思いは胸に秘めつつ、最初はひたすら各店舗を回り、店長らに話を聞いた。「誰にも頼まれていないのに作り始めた」毎月のレポートが、前述の社長面談に繋がった。

小島玲子さん
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鍵となった2つのプロジェクト

丸井グループではウェルビーイング経営について、「顧客」「取引先」「株主・投資家」「地域・社会」「将来世代」「社員」の6つのステークフォルダーが重なり合う利益と幸せを拡大することと定め、すべての人が生き生きできる経営を目指す。

それを実現するため、具体的に小島さんが牽引したプロジェクトは2つある。ひとつが2016年に始めた全社横断の「ウェルビーイング推進プロジェクト」だ。全社員を対象に、自ら手を挙げて応募し、名前や所属部署は伏せた上で、熱意を評価されて選抜される。

1年目は「丸井グループが目指す健康とは?」をメンバーに徹底的に話し合ってもらい、社員自身がビジョンを作成。2年目以降は、メンバーが中心となって各職場での健康の取り組みを企画し、広げていった。例えばコロナ禍の緊急事態宣言で全社的な休業が続いた際には、入社2年目のメンバーが中心になり、新入社員の不安軽減につなげようとワークショップを開いた。3年目以降は、社員以外のステークホルダーにも活動を拡大した。

今では、他企業と一緒に「女性の健康」をテーマに講演会をしたり、大学と「ジェンダーギャップ」に関するイベントを開いたりするなど、社外と連携した企画もこのプロジェクトから生み出されている。

もう一つが役員や管理職向けの「レジリエンスプログラム」。1期1年をかけて「健康=病気予防ではない」という考えのもと、人と組織を活性化するための知識を学び、参加者は実際に組織でアクションを起こす。トップ層の行動を促し、いきいきと活力ある組織をつくることが狙いだ。レジリエンスとは、「困難や変化への対応力」などを意味する。

プログラムがきっかけで、管理職としての悩みや失敗事例を共有し、互いに疑似体験しながら問題の本質を語り合う「事例検討会」も生まれた。

部下にも上司にも相談できず管理職が抱える孤独やストレス。それらを共有し、ベテラン管理職が新米管理職にアドバイスしたり、同じようなことで悩んだ経験を伝え合ったりすることで、具体的な解決策を議論できる場になっているという。重視されるのは、会社組織のピラミッドのような「縦の関係」ではなく「横のつながり」だ。

一時的なブームにしないために

小島さんが「ウェルビーイング経営」に本格的に取り組み始めて10年。始めた当時は、この言葉を口にする人は少なく、なかなか理解もされなかったという。

社内に浸透させる上でポイントは何だったのか。小島さんは「他社のグッドプラクティスをそのまま自社に取り入れようとしても、うまくいかないと思うんです。自社の文脈に合うことをやっていくことが大事」と語る。

例えば丸井グループでは、店舗での接客経験がある社員が多く、元々の社員の気質として人が好きで、「みんなが楽しそうなら自分もやってみよう」と思う人が多いという。

また、「ウェルビーイング推進プロジェクト」で重視する「手挙げの文化」は、そもそも企業として大事にしているもの。グループ企業間の異動や昇進は、まず社員が手を挙げることが第1ステップになる。中長期的な経営テーマを話す「中期経営推進会議」には、幹部だけでなく応募して選抜された社員が参加する。こうした土壌があったからこそ、プロジェクトが浸透しやすかったという。

今では様々な企業が取り組む「ウェルビーイング経営」だが、社会的な認知が十分に広がっているとは言えない。丸井グループとしても、実装する上ではまだ途上だという。

小島さんは「社会的な機運が高まっているかというと、まだ途上だと思うんですよね。そういう中で、個社だけでやっていても進まない。社会に実装するため、同じような志を持つ会社と一緒に機運を高めていくことが重要。健康経営やウェルビーイングが一時的なブームで終わらないよう、これからもっと共感の輪を広げていきたいです」と話す。

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