ウォーターゲート事件「ディープスロート」の真実:映画『ザ・シークレットマン』監督インタビュー--フォーサイト編集部

「長年ジャーナリストをしてきた経験を通じて言えるのは、世の中に完全に純粋で無垢な人はいない、ということ」
(Photo by Jim Spellman/WireImage)
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 米大統領選挙の真っ只中だった1972年6月17日。ワシントンDCのウォーターゲート・ビルにある民主党本部に、盗聴器を仕掛ける目的で侵入した男たちが逮捕された。これが、1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領の、史上初の任期中の辞任にまで発展した「ウォーターゲート事件」の発端だった。

 この事件をテーマにした映画としては、ロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマン主演の『大統領の陰謀』(アラン・J・パクラ監督、1976年。アカデミー賞4部門を受賞)があまりにも有名だが、こちらは一貫して事件を報じ続けた新聞記者の視点で描かれたものだ。

 対して後に、記者たちに内部情報をリークし続けた「ディープスロート」であったことを自ら名乗り出たマーク・フェルト元FBI(米連邦捜査局)副長官自身の葛藤と苦悩を描いた『ザ・シークレットマン』(配給:クロックワークス)が、2月24日から全国公開される(新宿バルト9ほか)。

 脚本・監督はピーター・ランデズマン(53)。報道記者・従軍記者としてルワンダやコソボ、アフガニスタンなどの紛争を報じ、人身売買や詐欺行為などについての調査報道で名を馳せた。その後映像の世界に転身し、2013年『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』で映画監督デビュー。この作品が監督3作目となる。

 監督に、今作の背景や意図について聞いた。

「神話」を打ち壊す

――ウォーターゲート事件とは、アメリカ人にとってどのような重みがあるのか。監督にとって、アメリカ人にとって、ウォーターゲート事件とは今でもどういう存在なのか。

 20世紀後半のアメリカ政治史上、決定的な事件は3つあったと思います。1つは1963年のJFK暗殺事件、このウォーターゲート事件、3つ目が2001年の「9.11」、同時多発テロ事件です。

 このうち、異質なのがウォーターゲート事件だと思います。その理由は、「ディープスロート」なる内部告発者がずっとわからなかったというところにあります。

 この事件そのものは、それまで王様のような立場にいたアメリカの大統領が、盗聴スキャンダルによって国民の信頼と尊敬を失い、絶対的なイメージ、絶対的な権力をなくしてしまった。大統領であっても透明性が重要であり、真実に対する説明責任を免れることはできない。その意味では、アメリカ国民の大統領に対する印象や扱い、イメージを変えたという点で、政治史上重要なのです。 ところが、ディープスロートが誰なのかずっと明らかでなかったために、この事件を報じた『ワシントン・ポスト』のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインという2人の記者の物語だけになってしまった。だから、その真相がなかなかつかめなくなっていたのです。

 この映画の主人公であるマーク・フェルト元FBI副長官は、事件から33年経った2005年、自らがディープスロートだと名乗り出ました。ところが彼は魅惑的な人物でも華やかな有名人でもなかったために、アメリカ国内ではちょっと拍子抜けしたような感じがありました。

 2人の記者の物語、そして判然としないディープスロートという存在――こうしたことによって、ウォーターゲート事件は一種の神話となっていました。今回私がこの作品を製作するにあたっては、この神話を打ち壊して、その裏にいた人物、つまりはマーク・フェルトの人物像を描こうという意識がありました。

「内部」から鍵穴を覗く

――これまでウォーターゲート事件はジャーナリストの物語だったということだが、今回の作品ではジャーナリストの出てくる場面が非常に少ない。

『不思議の国のアリス』の、鏡の向こう側を見ているような映画にしたかった。具体的に言うなら、フェルトの視点、フェルトが鍵穴を覗いてそこから見えた光景、という感じで描いています。つまりは「内部」の話です。

 ジャーナリストやレポーターというのは、フェルトにとっては具体的な機能を持ったツール(道具)でした。だから彼は記者たちをパペット(操り人形)として使っていたわけです。だから、ストーリーの中心にいるのはあくまでマーク・フェルト。だからこそ、ウォーターゲート事件の実像については、『大統領の陰謀』よりもこの作品のほうがより正確に描いていると思います。

 作中に『タイム』誌のサンディ・スミス記者(ブルース・グリーンウッド)とフェルト(リーアム・ニーソン)の会話シーンがありますが、このシーンが一番長く、またたくさんのダイアログを盛り込んでいます。というのも、フェルトとスミス記者は長年の友人関係だったんです。

 一方『ワシントン・ポスト』のウッドワード記者(ジュリアン・モリス)は若い記者ですから、フェルトがうまい具合に操っていた。その意味では、この映画が、『大統領の陰謀』で描いていることとは一線を画す内容になることは重々意識したうえで製作しました。もちろん、『大統領の陰謀』でウッドワードを演じたロバート・レッドフォードは私が最も好きな俳優なのですが。

「ディープスロート」のラブストーリー

――製作するにあたり、フェルトに実際に会ったそうだが、その時の印象はどうだったか。

 この映画では1970年代、50歳代終わりの頃のフェルトを描いているのですが、当時の彼は現役バリバリのFBIエージェントだったわけです。

 私が会ったのは、雑誌『ヴァニティ・フェア』で正体を明かしたすぐ後で、フェルトは92歳というかなり高齢の、晩年の段階でした。もちろん切れ味鋭いといった印象はまったくなく、穏やかな人でした。当時は娘さんと同居していましたが、彼女を溺愛していましたね。

――その時の印象は、今回のリーアム・ニーソンの役作りにどの程度生かされたのか。

 とても物静かで、じっとしている。そしてポーカーフェイスで、周りをくまなく観察している――そんな印象でした。今回はその感じを意識して、リーアム・ニーソンに演技してもらいました。私も、顔の表情とか身のこなし、動きなどをかなり意識して演出しましたし、彼もとても抑えめな、いい演技をしてくれています。

 実に難しい演技を見事にこなしてくれたと思うんですが、これがどれだけ難しいかが十分理解されないのではないか、という気がしてなりません。

 フェルトがわずかに表情を変えるのは、自分の顛末を知る時に1人でいる最後のシーンと、娘に会うシーン、ウッドワード記者に会うシーンの3つだけです。これらでは落胆だとか怒りといった感情をわずかに表していますが、あとは全部ポーカーフェイスで通すという演技をしてもらっています。

――マーク・フェルトに会ってほどなく脚本を書き上げていたとのことだが、その時点でどういう映画にしようと考えたのか。

 取材の過程で、FBIの中で一番フェルトに近い人物だったエド・ミラー捜査官に会いました。映画ではトニー・ゴールドウィンが演じました。

 そのミラー氏は、こんなことを言いました。「ウォーターゲート事件は、マーク・フェルトにとっては"ラブストーリー"なんだ」と。

 つまり、渦中でのフェルトの行動や思考は奥さんとの、そして娘との関係が色濃く影響している、一連の出来事なんだ、と言うのです。それを聞いた時に、私の中で合点がいった。

 それまでは、この「ウォーターゲート・サーガ(物語)」を描こうという思いにとどまっていただけでした。が、ミラー氏の話を聞いて、マーク・フェルトの人となりはどんなものだったのか、彼は何にかきたてられてああいう行為に及んだのか、という部分が分かった気がしました。ならばこういう映画を作ろうという考えがすぐにまとまり、脚本を完成させたのです。

「映画公開」と「トランプ大統領」の関係

――脚本の完成から製作、公開までにかなりの時間が経っている。あえて今、このタイミングでの公開は意図するところがあるのか。

 昨年、ドナルド・トランプ大統領が就任しましたが、その後いろいろなスキャンダルで世の中を騒がせているというタイミングで公開となったのは、本当に偶然で、意図するところはまったくありません。

 撮影はトランプ氏が当選する前に終わっていたし、そもそもトランプ氏が大統領になるなんて誰も想像もしなかった。その意味では、たまたまこのタイミングでの公開となったことが果たしてよかったのかどうか、自問自答している部分はあります。というのは、みんな「トランプ」という政治ネタに食傷気味だからです。メディアがこればかり報じる中での公開はどうなんだろう、と思ってしまうんですね。この作品そのものは非常に重要なストーリーだし、息の長い映画だとは思っていますが、このタイミングでの公開は逆効果なのかもしれない、この作品にとってはよくないことなのかもしれないとも考えたりします。

――公開後の、アメリカでの評判は?

 逆に教えてほしいくらい(笑)。

 政治的なテーマを扱っている作品だけになおさらなのですが、私は基本、映画評は読みません。ウォーターゲート事件はあまりにも有名ですから、映画にするならこう作るべき、という先入観がみんなにありますし、また『大統領の陰謀』という名作もあって、それとどうしても比べられるので、あえて読んでいません。

 ただ正直に言いますと、この4年間で映画を3本撮っていて疲れたので、この作品はもう手放しました。あとはご覧になるみなさんにお任せした! という感じです。

日本人が共感できる主人公

――この作品、日本ではどう受け取られると思うか。

 マーク・フェルトは、非常に品位があって、謙虚であり、静かで虚栄心もなく、一方で自己犠牲の気持ちがあるという人物です。こういう人物は、アメリカ人というよりもむしろ日本人に近いのではないかと思う。だから日本の皆さんは、この作品を観るとフェルトに共感する部分があるかもしれない。

――最後に、マーク・フェルトにとって「ウォーターゲート事件」とはどういう意味があったと思うか。

 フェルトは勇気があり、超人的な力を持ち、ものすごく自制心の働く男だったと思います。

 というのは、ウォーターゲート事件当時、彼は同時進行でいろいろな問題を抱えていた。仕事面では1972年、ミュンヘンオリンピック事件(パレスチナ武装組織「黒い9月」によるイスラエル五輪選手人質殺害事件)が起きたり、PLO(パレスチナ解放機構)とアメリカ国内の極左テロ組織「ウェザー・アンダー・グラウンド」が結託したりして、それらの捜査をしなければならない。一方プライベートでは、妻との関係がかなり不安定な状態になっていたうえに、娘が失踪してしまい、その居場所をつきとめなければならない。さらに、大統領が職務の邪魔をしてくる。普通なら頭が爆発しますよ。それなのにすごいことを成し遂げた。

 しかし、彼は決して聖人ではなかった。でも善良なる人ではあったと思います。私も長年ジャーナリストをしてきた中で、多くの人の死や、様々な悪事を働く悪人を見てきた。そうした経験を通じて言えるのは、世の中に完全に純粋で無垢な人はいない、ということ。

 人として大事なことは、自分とは何なのか、そして自分は何を残していきたいのか、ということだと思います。

 その意味で、マーク・フェルトは間違いなく「確実な何か」を残したのです。

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(2018年2月23日
より転載)
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