11月はじめに帰国することは1年前から計画していたが、初めて米軍横田基地に降り立つ米大統領の来日と同時期になるとは思いもしなかった。
「U、S、A!」の大合唱に包まれて大統領専用機「エアフォースワン」からあらわれたドナルド・トランプが、米兵やその家族など約2000人の大歓迎を受ける。まるで我が家の庭へ到着したかのようである。その姿は、現在の日米関係を見事なほど如実に語っていた。
壁一面に掲げられた巨大な星条旗の前で米軍のジャンパーに着替えた大統領は、北朝鮮を威嚇するように、満面の笑みを浮かべてこう言い放った。
「敵は心底恐れている」
「誰であれ、どこの独裁者であれ、どの政権であれ、どの国であれ、米国の決意を過小評価することはできない」
生バンドのロックンロールが大音響をたてる格納庫には、日本の航空自衛隊300人の姿も交じっていた。一体、彼らはどんな気分でこの騒ぎを見つめていたのか、わたしには憶測もつかない。彼らは「USAコール」に参加するわけにもいかず、かといって大統領の来日を歓迎しないわけにもいかない。曖昧な笑顔で取り繕うしかなかったにちがいない。
その所在なさげな顔の裏に張り付いた不安の深さは、この10月、棺に入って帰国した1人の米兵と、これを迎えた大統領の言葉を思い起こさせた。出発前、ニューヨークではこの事件で持ち切りだったのである。
行方不明になった兵士
ドナルド・トランプがホワイトハウスに入った1月20日からこれまでに、43人の米兵が命を落とした。そのうち17人は伊豆半島沖などで起こったイージス艦衝突事故によるもので、このほかイラクで14人、アフガニスタンで11人、ソマリアで1人が死亡している。
それに加え、10月はじめには、西アフリカのニジェール共和国で数名が犠牲になったと伝えられた。なぜ、サハラ砂漠の南縁にあるニジェールに米軍がいるのか、と誰もが素朴な疑問を抱いた。市民ばかりでなく、民主党や共和党上院議員も、そんな話は聞いたことがないと首を傾げた。
その答えは次第に明らかになるのだが、数日後、米陸軍特殊部隊の兵士3人の死亡が確認され、4人目は行方不明と報道された。
アメリカ国防総省の発表によると、米特殊部隊が派遣された理由は、ニジェール軍へ対テロ作戦の援助とアドバイスをするためだったという。この特殊部隊はマリ共和国との国境に近いトンゴトンゴ村の近くで共同訓練を行っていた。通常ならば、危険のない地域だったが、部隊は突然、待ち伏せ攻撃に遭遇。30分におよぶ銃撃戦の末、3人の米兵と5人のニジェール兵が死亡、数名が負傷し、行方不明だった4人目の米兵も数日後に遺体で発見された。
米軍では、兵士を置き去りにしないという鉄則がある。なぜ、最後の1人の発見が遅れたのか、さまざまな憶測が飛ぶなか、最後に発見されたラ・デビッド・ジョンソン軍曹の棺が米国へ帰還した。25 歳の黒人兵である。マイアミ国際空港へ向かうリムジンのなかで、未亡人になったアエシア・ジョンソンの携帯に大統領から電話が入った。
そのときの細かいやり取りは録音されなかったので不明だが、ジョンソン夫人は大統領の言葉に強い憤りを覚えたという。リムジンには軍曹の母と、夫婦をよく知るフロリダ州選出のフレデリカ・ウィルソン民主党下院議員が同乗していた。彼女たちも夫人の携帯電話のスピーカーから流れる大統領の言葉に、しっかり耳をたてていた。
「大統領は未亡人にこう言ったんです。『(君の夫は)何にサインしたか、わかっていた』とね。哀しみでいっぱいの彼女に、よくもそんな言葉が言えたものです」
ウイルソン議員はこう言って、怒りをあらわにした。つまり、「ジョンソン軍曹が米国陸軍兵になる誓約にサインしたことは、国に命を捧げる覚悟があったはずだ。だからこの結末は予期したものだろう」という意味のことを大統領が言ったというのである。さらに、大統領は電話をかけてきたにもかかわらず、亡くなった軍曹の名前すら覚えていなかった。
大きな帽子と派手な衣装をトレードマークにしている黒人のウイルソン議員は、テレビ局のニュース番組に登場して、このときの会話を披露し、怒りをぶつけてまわった。軍曹の母もこれに続いた。
「大統領の言葉には、われわれ家族への敬意がありませんでした」
亡くなった兵士の家族に対する思いやりも、配慮も感じられない言葉に、多くの市民が驚き、若い未亡人へ深く同情を寄せた。
未亡人がニュース・ショーに
これに対してトランプは、そんなことは言っていないと怒りを込めて、ツイッターで応酬した。
「あのおかしな下院女性議員がこっそり、とても個人的な電話の会話を聞いていて、まったくの嘘を並べ立てている」
「ラ・デビッド・ジョンソン軍曹の未亡人とはとても敬意に満ちた会話をした。彼の名前は、はじめから何の躊躇もなく口にしていたよ」
この騒ぎに驚いた大統領首席補佐官のジョン・ケリーは、ウイルソン議員がこれを政治的な宣伝に利用していると言って批判し、「下院議員があの(大統領と未亡人の)会話を聞いていたなんて、たまげたもんだ。まったく肝をつぶされた」と言い、彼女がテレビで発言していたことに、どれほど憤慨しているかを語った。さらに、彼は大統領が言った言葉がまったく違って受け止められたとこぼした。
両者の言い分は平行線を辿り、ついにジョンソン夫人がテレビ局『ABC』のニュース・ショーに出演して、実に明確に彼女の意見を述べたのである。わたしは若い黒人女性の毅然とした態度に感心した。
「私の夫がどれほど立派な兵士であったか、どれほど家族を大切にする良き夫であったか、みなさんにわかって欲しいのです」
夫人は目鼻立ちのはっきりした顔で、キャスターを正視して続けた。
「私は彼(大統領)が口ごもっているのを聞いたのです。そのことが何より私を傷つけました。もし、私の夫が国を愛し、国のために命を捧げたなら、なぜ、彼(大統領)は夫の名前を覚えていなかったのでしょうか」
「せめて指か手でも」
6歳のときからの幼なじみという若い夫婦には、2人の小さな子供がいるだけでなく、夫人は3人目を妊娠中。葬儀では、閉ざされた棺を目の前にした長身の彼女が、ほとんど倒れんばかりに棺に両手を置き、顔を近づけて口づけし、しばらくの間、長いカーリーヘアと肩を震わせていた。
「私は夫がなぜ、行方不明になったか、なぜ、死亡したのか、彼の最期を知りたいのです」
ジョンソン夫人はこう言い、さらに、「私の夫を見つけるのになぜ、48時間もかかったのか」と付け加えた。
実は、夫人は棺を開けることは許されておらず、夫の亡骸を見ることもできなかったのだ。
「せめて彼の指か手でも見ることができたら......。私は夫の体なら、つま先から頭のてっぺんまで知っています。でも、見せてくれない。あの棺に何が入っているか、それさえわからないのです」
米軍では兵士が戦場で死亡した場合、なるべく遺族に遺体を見せるよう配慮する。しかし、遺体があまりにも痛ましかったり損なわれていた場合には、棺を封印したままにする場合もあるという。
海外で戦死した兵士の遺体が入った棺の撮影が禁止されたのは、1991年の湾岸戦争のとき、ジョージ・H・W・ブッシュ米元大統領(父ブッシュ)の決定による。基本的に、棺はデラウェア州のドーバー空軍基地に到着する。しかし、メディアはその棺の取材、撮影などを法によって禁じられていた。報道規制が解除されたのは、2009年、オバマ政権下のことだった。
これまでのところ、10月4日のニジェール待ち伏せ攻撃の犯行声明を出すグループはいないが、米軍もニジェール軍もイスラム国(IS)に近いグループの犯行であったとほぼ確信している。
現在、アフリカには約6000人の米軍部隊が駐留。ニジェールに駐留している兵は、800人ほどというから驚きだ。この国は世界の最貧国の1つであり、人口過剰で政府の統制が取れず、ISやアルカイダが支部をつくっている。そればかりでなく、過激派シンパの村人やグループが彼らの活動に協力したり、参加したりすることもあるという。
ニジェールも隣のマリも元フランス領。マリにはフランス軍が駐留している。米軍はニジェール軍の対テロ対策のアドバイザーという名目のもと、サハラ砂漠南縁のこの国に駐留し、首都ニアメにフランス軍と共同で、西アフリカにおけるISとアルカイダの動向を探るためのドローン(無人航空機)基地建設を進めている。世界の警察官の役割は、ドローンに任せたいというのが米軍の本音なのだろう。
無謀な作戦計画で
本稿の最後を書こうとしたところで、『ワシントン・ポスト』が貴重な追跡記事を掲載してくれた。インタビューに答えたトンゴトンゴの村人の証言によると、ジョンソン軍曹の亡骸を発見したのは、牛飼いの子供たちだったという。彼らから話を聞いた村人が、1マイルほど離れた現場へ行ってみると、後頭部に大きな裂け目がぽっかり開いている軍曹の遺体を発見。
後頭部は銃弾のようなもので打たれたか、ハンマーのような硬い武器で砕かれたように見えたという。兵士の手首はロープで縛られていた。靴はなく、ソックスだけだった。捕虜になり処刑された可能性もある。
しかし、米軍が彼の遺体を受け取ったときには、両手は縛られていなかったと報告されている。
村人は死亡した他の3人の遺体も目撃している。彼らは銃撃戦で殺されたことになっているが、1人はトラックの上で見つかり、他の2人は地面にうつぶせになって倒れていた。3人ともTシャツとパンツだけだった。
現地に派遣された米連邦捜査局(FBI)の捜査によると、10月4日、12人の米特殊部隊兵と30人のニジェール兵による混成部隊が襲撃されたのは、2日間におよぶ無謀な作戦計画が原因だったことが判明した。3日朝に出発したこの部隊が、いつものように日帰りしていたら、待ち伏せに遭うことは防げただろうというのである。一晩、作戦現場で仮眠したため、敵に居場所を教える結果になってしまった。
ジョンソン軍曹が銃撃戦後、どんな目に遭ったか、これ以上、詳細が明らかになることはないだろう。
5回も「徴兵拒否」した大統領
ドナルド・トランプはベトナム戦争時代、徴兵拒否を5回も繰り返している。決して兵役につくことのなかった大統領には、どれだけの犠牲になろうとも国のために尽くしたいという、一兵卒の気持ちがどこまでわかっただろうか。まして遺族の哀しみに、どこまで思いを寄せられたのだろうか。
そういえば、6月にアフガニスタンで殉職した兵士の父親へ、大統領は2万5000ドル(約282万円)の小切手を送ると約束したことがあった。ホワイトハウスは否定しているが、まだその小切手が送られた様子もないという。
戦場で犠牲になった兵士をどう国家が迎えるか、大きな問題である。有事の際、戦地で亡くなった兵士を悼む気持ちは全世界共通であろう。
米軍には軍規に定められたやり方があり、戦没者を慰霊するためのアーリントン国立墓地もある。わたしは横田基地の格納庫で大統領を迎えた航空自衛隊300人の戸惑ったような顔つきを思いながら、戦後初めて戦闘に巻き込まれた自衛隊員の棺が帰ってくる日も、そんな遠い将来でないことを噛み締めた。しかし、わたしたちはそんな事態にどうやって対応できるというのであろうか。
青木冨貴子 あおき・ふきこ ジャーナリスト。1948(昭和23)年、東京生まれ。フリージャーナリスト。84年に渡米、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。著書に『目撃 アメリカ崩壊』『ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』『昭和天皇とワシントンを結んだ男』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。 夫は作家のピート・ハミル氏。
(2017年11月17日フォーサイトより転載)