不祥事が相次ぎ表面化して辞任した日本ボクシング連盟の山根明会長(78)。辞任声明の最後に、「選手の皆さん、将来、東京オリンピックに参加できなくても、その次のオリンピックもあります」と言った。
この言葉に首をひねった人が多々いた。東京五輪参加の可否と会長の辞任にどんな関係があるのか、まったく意味不明だった。
実は、日本ではあまり知られていないが、東京五輪でのボクシング開催が危ぶまれている。東京五輪でボクシング種目が除外された場合、誰も参加できない。だから、山根氏はそんな発言をしたのだろう。
国際ボクシング連盟(AIBA)は、財務問題や審判選任問題、内紛など問題が山積。さらに現在の会長代行は、米政府によってロシア系マフィアの幹部として金融制裁の対象に指定されている。
トーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長が、IOCとして「東京五輪種目からボクシングを除外する権限を保持する」とローザンヌで記者団に発言するほどの事態に陥っているのだ。
東京五輪からボクシングが除外されたら、日本ボクシング連盟の責任だって問われかねない。すでに開催を前提とした準備活動も行われているだろう。その上、山根氏は国際ボクシング連盟会長代行との関係が近い、とも伝えられている。そんなことも辞任決断の理由だったかもしれない。
ヘロイン生産―密輸に関与
現在の国際ボクシング連盟会長代行は、ウズベキスタン人のガフル・ラヒモフ氏(67)。ラヒモフ氏がロシア系犯罪組織の幹部、という事実は米財務省の情報機関「情報分析局(OIA)」が突き止めたとみられている。
ラヒモフ氏とマフィアの関係が最初に暴露されたのは、2012年2月23日。米財務省は、日本の「ヤクザ」組織山口組の幹部2人とユーラシア一帯で暗躍する「ブラザーズ・サークル」と呼ぶ犯罪組織グループの7人の主要メンバーに対する金融制裁を発表した。
ブラザーズ・サークルはユーラシア大陸の旧ソ連構成国や中東、アフリカ、中南米に至る地域で暗躍する犯罪ネットワークといわれる。その主要メンバーの1人、ラヒモフ氏は「ウズベキスタンの犯罪組織のリーダーで、中央アジアでのヘロイン生産から密輸に至る大シンジケートを運営している」と米財務省は発表した。最大のヘロイン生産国アフガニスタンなどアジア各地で生産された麻薬をカフカス地方を経て欧州に密輸する秘密組織の幹部、というわけだ。
対北朝鮮対策では「第2次制裁」
米財務省OIAは、全部で17ある情報機関で構成される米国のインテリジェンス・コミュニティ(IC)の一角を成している。
テロ・金融情報担当財務次官の傘下には、OIA担当と「テロ組織金融」担当のそれぞれの次官補が置かれ、さらに「外国資産管理室(OFAC)」「金融犯罪対策ネットワーク」の部門がある。
ブラザーズ・サークルの組織と幹部の行為が証拠付けられたので、OFACが大統領令に従って、(1)彼らの在米資産の凍結(2)彼らとの取引禁止――を命令したというわけだ。
財務省情報機関は、専門的知識や手段を駆使して彼らの金融取引を追跡、さらに携帯電話の盗聴なども行っているといわれる。
OIAの情報工作とOFACによる制裁は、昨年までの国連安全保障理事会による一連の対北朝鮮制裁決議を受けた「2次制裁」で効果を発揮し、北朝鮮側を追い詰めた。決議で制裁の対象となった北朝鮮系商社や中国企業などの取引業者のネットワークを洗い出して、取引業者に対して上記(1)(2)の制裁を科し、安保理決議を順守させたことになる。
融通無碍な組織形態か
奇妙なのは、OFACが2017年12月22日、新たなロシア系マフィアの組織名を発表し、その幹部ラヒモフ氏ら10人を対象に、同様の金融制裁措置を発表したことだ。2012年に制裁を受けたのと同じ者が違う組織名で再び制裁を受ける、という形となっている。
新たに指名された組織名は「シーブズ・イン・ロー(Thieves-in-Law)」。直訳して「法律内の盗賊」としても、意味が通じない。マフィアの掟を守る、という逆説的な名称かもしれない。
米財務省の発表によると、歴史的にはこの名前の組織はスターリン時代の旧ソ連の刑務所内が発祥の起源だという。犯罪で得た利益のみで生き、他の関連組織を支援する、といった掟を守る誓いをして、メンバーとして認められる。犯罪活動や縄張りの再調整、新しい掟の決定などは集会で決定する。
ソ連崩壊後、活動領域は旧ソ連全域、欧州、米国内にも拡大し、大規模な犯罪組織に発展、マネーロンダリングや恐喝、買収、強盗などさまざまな活動を展開しているようだ。
ラヒモフ氏について財務省は、シーブズ・イン・ローに「物質的支援」をしたり、「ビジネス上の協力」をしたりしている、としている。また「かつての恐喝や自動車窃盗から、ウズベキスタンのリーダー的犯罪者となり、ヘロイン密輸の大物になった」とみている。しかし、ブラザーズ・サークルとシーブズ・イン・ローの違いについては不明だ。
ロシア・マフィアに詳しいプラハ国際関係研究所上級研究員マーク・ガレオッティ氏(英国人)は、ブラザーズ・サークルにしても、シーブズ・イン・ローにしても、組織は基本的に「流動的」だとしており、両方とも便宜的に使われた融通無碍な名称ではないかともみられる。
11月に最終決定か
さらに、IOCにとって困ったのは、ラヒモフ氏が年明け1月27日、AIBAの会長代行に任命されたことだった。
その1週間後、IOCのバッハ会長はIOCがAIBAの腐敗問題を調査すると発表した。しかし、IOCが求めた組織改善策は実行されないままになっている。
そもそもAIBAは、さまざまな問題が噴出して大揺れに揺れてきた。これまでAIBAおよびラヒモフ氏の問題を最も活発に追及してきた米国の『自由欧州放送』(RFE/RL)によると、(1)アゼルバイジャンの建設会社からの借入金約1000万ドル(約11億円)の未返済問題(2)反ドーピング措置の遅延(3)2016年リオデジャネイロ五輪での判定問題――などがある。
リオ五輪での判定問題では、疑惑の判定が多々指摘され、AIBAは36人のジャッジとレフェリーを業務停止処分とした。
未返済金をめぐっては、内部対立が深刻化し、昨年11月に当時の会長、呉経国氏(台湾)が引責辞任。後任にフランコ・ファルチネリ氏(イタリア)が就任したが、今年1月突然辞任した。ラヒモフ会長代行は1月27日の臨時総会の昼食休憩中に理事会で選ばれたという。
ラヒモフ氏は旧ソ連時代にウズベキスタンでボクシングを始めて、コーチとなった。ソ連崩壊後は輸出入ビジネスで財を成し、スポーツ界でも要職に就いた。国際ボクシング連盟では2002年から副会長を務めていた。
会長代行は今年11月の総会までの任期。新会長人事や組織改革など、総会で何が決定されるのか。その結果次第で、IOCは東京五輪でのボクシング種目開催の可否を決めるとみられる。
春名幹男 1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。