「めまいのような」カタルーニャの2週間--大野ゆり子

「私たちは犯罪人ではありません。私たちは狂人でもありません。私たちはごく普通の、投票したいと思っている市民です」

10月10日夜のカルレス・プチデモン・カタルーニャ州首相の州議会演説は、大国の重大発表のように国際的な注目を集めた。予定より1時間遅れて議会場に入った首相は、地方紙記者を長年勤めた習性なのか、最後まで推敲にペンを走らせた原稿を手に、約1時間にわたって演説した。

始まってから約20分後、「先日の投票の結果によって、カタルーニャは独立した共和国となる意思表示を行った」と述べたが、その10秒後に、「スペイン政府との緊張を緩和すべく対話を求め、独立宣言を凍結する」と述べた。これに対し、スペインのマリアーノ・ラホイ首相は12日、「これは独立宣言なのか、そうでないのか」を16日までに明確にするよう求めた。スペイン憲法155条では、州が国の利益を損なうとみなされた場合、国会決議によって州の自治権を停止することができる。プチデモン首相の回答が「イエス」であった場合、独裁者フランコの死後、1978年に制定されたスペインの民主憲法下で初めて、州の自治権が停止される事態が現実味を帯びてきた。

断絶の深さ

「めまいのような」というのが、この2週間の動きを地元紙が形容する表現である。

「国」(スペイン)が禁止し、「州」(カタルーニャ)が奨励し、「市」(たとえばバルセロナ)が中立の立場を取る異常な状態で住民投票をさせられる、一般市民の気持ちをご想像いただきたい。約4割の住民が投票に行ったが、投票を阻止するスペイン治安警察と市民の間で、約900人の負傷者が出た(州政府発表)。スペイン政府が、治安警察の暴力をすぐに謝罪しなかったことで、事態はいっそう複雑になってしまった。

9月末からの中央政府による徹底した投票阻止によって、カタルーニャの市民の間には、フランコ時代の弾圧の中にいるような気持ちが広がっており、10月1日の警察の暴力は「手段を選ばない抑圧」のイメージにあまりにもピッタリとはまったのである。この時点では、投票に行った市民は「弾圧するスペインに屈せず、自由のために闘う勇気ある人々」であり、投票に行かなった人は「体制に順応して現状に甘んじる人々」という論調が地元メディアにもあった。

最も激しい衝突が起きた投票会場は、筆者の家の隣のブロックで、この会場に投票に行った隣人の弁護士は、自分の時代にこんなことが起きたのにEUは沈黙するなんて! ヨーロッパに民主主義はないのか! と怒りに震えていた。

翌日からは、いろいろな英雄譚がソーシャルメディアで出回った。スペイン治安警察の目を逃れるために教会のミサで賛美歌を歌いながら投・開票した村の人々の様子、家族にも言わずに投票箱を隠しつつフランスまで行って開票した人々の話が、圧政へのレジスタンス運動のエピソードのように話題に上がった。

10月3日には治安警察の暴力に反対したデモ、ゼネストが行われた。一方、その夜には、国王フェリペ6世が異例のテレビ演説を通じて民主主義の秩序の回復を呼びかけた。国王は負傷した900人の市民には言及せず、カタルーニャ内の独立に反対する人々だけに向けて、「あなた方は1人ではないし、1人にはならない」と呼びかけた。この発言に対して鍋を叩いて抗議する音が夜空に鳴り響いた。スペインとカタルーニャのテレビはもはや、同じ国のニュースを伝えているとは思えず、スペインとカタルーニャの断絶の深さを思わせた。

あまりにもねじれた状況

しかし投票後48時間以内の独立を宣言していたプチデモン首相が、この頃から「独立」という言葉を避ける様子に、地元紙『ペリオディコ』は、「プランが練られていたのは10月3日までだったのではないか」と批判のトーンを上げた。

独立が地元経済に与える影響が形になったのが、10月5日のサバデル銀行、カイシャ銀行、ナチュラルガスなど、10社近くのカタルーニャ有力企業が本社機能を州外に移転するという決定である。銀行の移転は今のところ法律上だけの問題なのにもかかわらず、自分の預金を心配する顧客からの問い合わせが殺到し、銀行側は心配ならばマドリッド支店の通帳を作るようにアドバイスしているという。

10月6日には、カタルーニャ州前首相アルトゥール・マス氏が英『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューに答え、現実に独立するためには治安、税務、司法など解決しなくてはならない問題があり、「カタルーニャにはまだ独立の準備ができていない」と発言した。マス氏は2014年に非公式な住民投票を主導し、カタルーニャ独立運動に大きなはずみをつけた人物だけに、この報道の波紋は少なくなかった。

この頃から、10月1日に投票に行かなかったサイレントマジョリティーと言われていた州民が、声を上げるようになる。10月7日には、各市市長の呼びかけで「対話を求める集会」が開かれ、バルセロナでは、不動産バブル崩壊で債務返済に苦しむ市民を援助する運動家出身のアダ・クラウ市長が呼びかけた。クラウ市長はかねてから州首相と距離を置き、住民投票前にヨーロッパの仲裁を英『ガーディアン』で訴えている。

そして10月8日には、独立に反対する35万人が参加した大規模デモが行われた。投票後1週間のうちに、それまで支配的だった「スペインの暴力に苦しむカタルーニャ市民」というトーンが弱まり、鍋を叩いたり、クラクションでの抗議も、目に見えて消えていったのである。

「セン(Seny)」が発揮される日常

プチデモン首相の演説では、独立をめぐる発言部分だけが報道されているが、実は市民感情を代表して述べた部分があった。この部分で州首相はカタルーニャ語からスペイン語に切り替え、スペイン国民に向けて話かけた。

「私たちは犯罪人ではありません。私たちは狂人でもありません。革命をしようとしているわけではないのです。私たちはごく普通の、投票したいと思っている市民です」

仏誌『シャルリー・エブド』は、「貧しい地域に金をやりたくないと、弾圧をでっちあげている」テロリストのように揶揄した。それは極端だとしても、独立派が危険分子のように扱われることへの虚無感は強い。友人の1人は、賛成票を投じた理由は、カタルーニャのアイデンティティーを謳った自治憲章が2010年に違憲とされたことだという。「賛成投票は、スペイン中央政府に我々の声を届けるきっかけになると考えた」と話す。独立賛成派も反対派も、同様にごくごく普通の生活を送る市民である。

このめまいのような10日間、独立に賛成の人も、反対の人も、中立の人も、それぞれの立場を表明するためにデモに参加した。筆者の日本での友人知人からも、バルセロナが政情不安定で危険なのではないかと心配されるが、ここのデモはとても平和的である。カタルーニャ人は「非暴力」がモットーであり、独立派、反対派の対立など、他の土地なら起こりうる暴力沙汰は、ここでは起きる気配がない。

カタルーニャ人らしい気質を表した言葉に「セン(Seny)」という単語がある。他の言語に翻訳しにくいこの言葉は、「良識」とか、「精神的な健康なバランス感覚」といった意味だそうだ。今回のデモでも「Seny」を呼びかける手製のプラカードが街の至るところで多く見られた。住民が2つに分断する「めまい」のような日々の中でも、市民のレベルでは「セン」が発揮された日常が続いている。今度は政治家の番である。

大野ゆり子 エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。

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(2017年10月13日
より転載)

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