既存の新聞やテレビとは無関係、完全に有料、広告なしで大成功を収めているウェブニュースサイトがある。2008年に創刊されたフランスの『メディアパルト』だ。
1カ月11ユーロ(約1300円)、1年110ユーロ(約1万3000円)という料金にもかかわらず、定期購読者が12万人を超えている。
フランスの3大総合全国紙『フィガロ』『ルモンド』『リベラシオン』は、ここ1年の実績でそれぞれ販売部数30万5000、26万4000、7万6000(発行部数を調査する第三者機関『ACPM』による)だが、この中にはほとんど儲けのない航空会社などの大量購入が2割程度入っているから、メディアパルトはリベラシオンの2倍、ルモンドの半分以上の購読者を獲得していることになる。
「数年来ずっと15%の利益率を出し続けています。メディアパルトは構造的に採算性のあるものになっています。正社員25人で始まった会社は、現在75人。毎日定期購読者は増えています。いま、シカゴ大学が、注目すべきビジネスモデルとしてケーススタディしているんですよ」
創業者で、社長兼編集発行人のエドウィ・プレネル氏はそう言って胸を張る。いま一番困っているのは、クレジットカード会社が定期購読決済システムをなかなか改善しようとしないことだという。「毎日、決済がうまくなされないトラブルがあります。それがなければすでに15万人から20万人に達していたかもしれません」
その成功の理由は何か? プレネル編集長に尋ねた。
メディアの危機に
プレネル氏は伝説の辣腕記者である。とくに1982年からのミッテラン大統領の時代に、ルモンド紙で国家を揺るがす数々のスクープを連発した。その当時は、自宅などに大統領命令で違法な盗聴を仕掛けられたほどだった。1994年には編集長、1996年編集局長となり、2005年に退職した。
退職後、大学で教鞭をとったり、評論活動をしていたが、「メディア(報道機関)の危機に絡めとられてしまったのでした」という。
デジタルの発達で新聞や雑誌の購読数は急激に減る一方で、情報の独占や大新聞のブランドと「コンテンツ」だけを求める大資本がメディアの買収に動いていた。プレネル氏の退社も、仕掛けられた買収に対する打開策をめぐっての路線対立だった。ルモンドのすぐ後には、リベラシオンも同様の危機に見舞われた。
「デジタル革命は、総合情報日刊紙にとって後戻りできない転換点であったと思います。それは極めて簡単な理由からでした。デジタル化することで紙、印刷、販売の費用がかからなくなったのです。日刊紙においてこの3つのコストは、定価の60~70%を占めます。テクノロジーの進化でこの3つを削減できるようになった。印刷は私たちにとって設備投資が必要な重工業です。販売には売れ残りリスクがあります。これらから解放され、紙をなくすというエコロジーにもマッチしたウェブのビジネスモデルには、必ず将来があると信じています」
ウェブ上に「新聞」をつくる
しかし、テクノロジーに幻惑されて既存メディアは方向性を見失っていた。
「メディアの危機はデジタルの発達に深くかかわっていますが、それは経営者、リーダーたちの歴史に残る大きな誤りによって増幅されました。紙の新聞は質が高く、1紙でも200人以上のジャーナリストを擁しているから極めて高い価値がある、だから有料で買われなければならないとしながらも――一方では、平気でコンテンツを無料でネットに出していたのです。やっていることがまるで精神分裂状態ですよ」
そこで改めて自宅のコンピューターを眺めながら、「一介の市民として、私はネット上でいったいどんな記事を読みたいのか? それだけを考えて、ひたすら思いつくことをメモし続けました」
そのメモをもとにして、2人のジャーナリスト仲間、それから経営のプロとともに構想を練った。
当時、無料で短い記事を流すネットメディア、リアルタイムで次から次へとニュースを流すニュースチャンネルこそ新時代の「報道」であると信じられていた。プレネル氏らは、これを真っ向から否定した。そして、「1日3回しかサイトを更新しない」という大原則を設定した。これは、「早版」「遅版」「最終版」の3版を出す新聞の伝統の踏襲でもある。
また、人々はサイトからサイトへ渡り歩くのでインターネットに固定客はいないと言われていたが、あえて固定客を求める方向性を打ち出した。
ひとことで言うと、「サイト」をつくるのではなく、むしろウェブ上に「新聞」をつくるという考え方である。
デモクラシーの体現
「サイトを無料で見せるのは、いわばテレビの視聴率モデルです。つまり、無料にするということはできるだけ多くの視聴者を集めなければならない。そのために、たくさんの情報を、しかも上っ面のものだけを、即時に流さなければならない。この"視聴率のロジック"に捉われてはいけないと考えました」
新聞の「読者」は、定期購読はもちろん、駅やコンビニでも毎日決まった新聞を買う。つまり、「私の新聞」を持っている。ただ画面から流れる情報を漠然と眺め、サイトからサイトへとアクセスをくりかえす「視聴者」とは違って、お金を出すことで「私の新聞」に積極的に参加する。
「私たちがやるべきことは、積極かつ大胆にデジタルの世界に入り込み、同時に、固く記者職の伝統を守っていくことだと信じています。その意味で、メディアパルトはむしろ草創期の新聞本来の姿に戻ったのです。1日3版、つまり朝、昼、晩という時間性があります。そして広告はなく、じっくりと読める記事、連載物、インタビューなどなど。ジャーナリズムがその創始期に果たしていたデモクラシーの体現です。メディアパルトはまさに、本来の新聞、デモクラシーを体現する新聞への回帰なのです。だからこそ、私たちのロゴマークは、昔の石版画の路上新聞売りをデザインしたものなのです。路上で『さあよってらっしゃい! ニュースだよ!』と人々に訴えかけていた姿をシンボルにしたのです」
こうして2009年、他紙で活躍していた記者十数人でメディアパルトはスタートした。
付加価値は「奥深さ」
ウェブであっても「有料」というビジネスモデルにこだわった理由を、プレネル氏はこう説明する。
「メディアパルトのキーポイントの1つは、読者=資金提供者であるということです。特定の企業や業界から限りなく自由であるという側面によって、メディアパルトはどこにも気兼ねすることなく自立しており、自己抑制する必要が先天的にないフリースピーチができるのです」
もちろん、「フリースピーチ」とは、何でも好き放題に言いっぱなしでいいということではない。あくまでも外部や内部からの事前の検閲や自粛はしない、ということである。読者の抗議や指摘は甘んじて受けるし、必要があればそれに対して真摯に弁明する。
「読者だけが私たちを買える」「報道の自由はジャーナリストだけの特権ではなく市民の権利なのだ」――これがメディアパルトのスローガンである。
「デジタルの時代、大衆はすでに多くのニュースに浸されています。その人たちを対象にするのですから、何か付加価値がなければ意味がありません」とプレネル氏は言う。
これを内容からいえば、「奥深い記事」である。いま「奥深い」と訳した「fond」という言葉には、根本、核心、実質といった意味もある。プレネル氏に具体例をあげてもらうと、
「たとえば、ドイツ銀行の破綻危機問題について、連日の出来事をいちいち短い記事にすることはしませんでした。しかし、すべての要素、図表なども使って、じっくりと読める大きな記事を書きました。この記事はその後、ドイツ銀行問題を理解するために他のメディアに参照される基本的文献になりました」
そのために記事が長くなることもある。プレネル氏は、インターネットは、文章に制約を与えたのではなく、従来新聞が持っていたフォーマットの規格を打ち破ったのだと言う。「メディアパルトにはオピニオン雑誌のようなとても長い記事もあります。紙媒体だったら、『後で暇があったら読もう』といってその時には読まないまま置かれ、結局読まれないでしょう。しかし、メディアパルトでは読まれるのです」
広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)、『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの―』(新潮選書)ほか。
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(2017年1月1日フォーサイトより転載)