6月15日から米ウィスコンシン州のエリンヒルズで開幕するメジャー大会『全米オープン』に、米ゴルフ界の国民的スター選手であるフィル・ミケルソン(46)が「出られない可能性が高い」ことを、先々週の米ツアー『メモリアル・トーナメント』の3日目に発表した。
「卒業式」か「全米オープン」か
「長女のアマンダがハイスクールの卒業式で総代スピーチをする。その姿を見に行きたい。だが、問題は卒業式が全米オープンの初日と重なることだ。卒業式はカリフォルニア(太平洋時間)の午前10時。それから(ウィスコンシンへ)移動となると、僕の初日のティタイム(スタート時間)がどんなに遅い時間だとしても、まず間に合わない」
とは言え、世の中、いつ何が起こるかわからないから、現時点で「欠場」と確定はせず、大会開幕ぎりぎりまで出欠を保留し、卒業式で娘の晴れ姿を見守った上でスタート時間にも間に合うという奇跡が起こる小さな可能性に賭けてみるのだ、とミケルソンは言った。
その直後から、「ミケルソンのために卒業式の日程を変更してあげてほしい」という嘆願の声がゴルフ界から発せられ、一般のファンを含めた署名の人数は、瞬く間に3000人に迫る勢いで増え続けている。
1人のプロゴルファーの"家庭の事情"を優先するという判断が、そうやって大勢の人々を突き動かしている理由とは何なのだろう。
「ナショナルオープン」だからこそ
全米オープンはメジャー4大会の1つだが、米国の人々にとってはアメリカ合衆国のナショナルチャンピオンを選び出す「ナショナルオープン」という意味合いが強い。
1895年の第1回大会以来、主催するUSGA(全米ゴルフ協会)は、そのプライドにかけて、「アメリカのナンバー1」を選び出すにふさわしい舞台作りに腐心してきた。
「モンスター」にたとえられる大会コースは超難関。フェアウエイは狭く、ラフは深く、グリーンは超高速に仕上げられる。「優勝スコアはイーブンパー」とは、全米オープンの難しさを表現する際にしばしば使われるフレーズだ。
その通り、過去の優勝スコアを見比べても、2000年大会(ペブルビーチ)のタイガー・ウッズ通算12アンダー、2011年大会(コングレッショナル)のローリー・マキロイ通算16アンダーの記録はあるものの、2006年大会(ウイングドフット)のジェフ・オギルビーと2007年大会(オークモント)のアンヘル・カブレラの優勝スコアは、どちらも通算5オーバー。イーブンパーでさえ、過去20年間で4度しかない。
これほどの超難関に仕上げる一方で、USGAは他のどの大会より高い賞金を用意。今年は賞金総額1200万ドル、優勝賞金216万ドルと過去最高になる。
それだけに、全米オープンではこれまで実にさまざまなドラマが繰り広げられてきた。苦闘の優勝、無念の惜敗、そうしたドラマで最も多く主人公になってきたのが、タイガー・ウッズとフィル・ミケルソンという米ゴルフ界の2大スターだった。
しかし、今年はその2人がどちらも不在となりそうで、それは世界のゴルフファンと多くの米国人にとって悲報であり、受け入れがたい状況なのだ。
勝てそうで勝てない「悲願」
そして、ナショナルオープンだからこそ、空軍パイロットだった父親の影響もあって愛国心溢れるミケルソンは、そのタイトル獲得を渇望してきた。
「全米オープン優勝は僕の究極の夢だ」
1992年のプロ転向後、全米オープンは2年後から昨年まで23年連続出場。しかし、2位に6度もなりながら、今なお優勝はない。そして、彼が勝てそうで勝てなかった数々の惜敗の場面は、大勢の米国人の胸に刻まれている。
ペイン・スチュワート(故人)と激しい優勝争いの末、惜敗したパインハーストの1999年大会は、愛妻エイミーの初産と重なっていた。
「たとえ最終日の終盤に首位に立っていたとしても、エイミーの身に何かあったら、僕は即座に棄権してエイミーの元へ駆けつける」
愛妻とのホットラインとなるポケベルをゴルフバッグにしのばせて闘ったミケルソン。結局、ポケベルは鳴らなかったが、ミケルソンは惜敗した。その翌日に生まれたのが、もうすぐハイスクールを卒業する長女アマンダだ。
ベスページでの2002年大会はタイガー・ウッズとの優勝争いに敗れたが、グランドスタンドを埋め尽くした大観衆は6月16日生まれのミケルソンのために「ハッピー・バースデー」を合唱。その瞬間は勝者ウッズを上回るほどの拍手と声援が敗者ミケルソンに贈られた。
最も印象に残っている惜敗は、ウイングドフットの2006年大会。首位で迎えた72ホール目でティショットを大きく左に曲げ、そこから無理にグリーンを狙った結果、ダブルボギーで自滅。18番グリーン上に頭を抱えながらしゃがみ込み、「オレはなんてバカなんだ」と口走った彼の言葉は、歴史に残る"迷言"となった。
ひたすら夢を追いかけ、まっすぐに勝利を目指し、敗北すればストレートに落胆し、悲嘆に暮れる。その様子を23年間、米国民と世界のゴルフファンが見守ってきた。
あんなにも一生懸命。それでもなお報われていない悲運のミケルソン――。それが米国人の受け止め方、彼らの心理なのだ。
悲願より家族
プロ転向後、10年以上もメジャー優勝を果たせなかったミケルソンだが、2004年『マスターズ』を皮切りに、2005年『全米プロ』、2006年と2010年の『マスターズ』、さらには2013年『全英オープン』も制覇し、メジャー5勝を含む米ツアー通算42勝を挙げ、世界ゴルフ殿堂入りも果たした。
全米オープンを制すれば、メジャー4大会すべてを制して生涯グランドスラム達成となる。全米オープン連続出場も「23」で途絶えさせたくない。だが、そうした記録や数字より何より、愛国心いっぱいのミケルソンにアメリカのナショナルチャンピオンになってほしいと願う人は想像以上に多い。
2009年に愛妻エイミーと実母メアリーが同時に乳がんと診断され、入院・手術となった際、「家族あっての僕、家族あってのゴルフ」と、迷わずツアーから離れ、妻と母と3人の子供たちに寄り添う選択をした。その決断を米国のファンは優しく讃えた。
そして今回。「全米オープンは僕が一番勝ちたい大会」と言いながらも、「娘の卒業式は人生を振り返ったときに素敵に蘇るシーンゆえに見逃すことはできない」と苦渋の決断を迫られ、「悲願より家族」という答えを彼は出した。
大会2日目は47歳のバースデーに当たる。ミケルソン自身は「今年の全米オープンに出られなくても、来年以降、まだ2~3回は優勝のチャンスはある」と言ったが、年齢的な厳しさが年々増していることは言うまでもない。
「だからといって、卒業式の日程の変更をハイスクール側に求めるなんてこと、僕はしたくない」
当然である、どの卒業生の家族にも、それぞれの事情があるはず。著名人の個人的事情で日程を変えることで、他の卒業生の家族に悲運が訪れないとも限らない。それはあってはならないし、ミケルソンだって、そんなことは望んでいない。
しかし、ゴルフファンばかりか、ミケルソンの悲運と悲願と愛国心を知る米国の人々は、彼の悲願が遠のいてしまわないことを願い、声を上げた。それは、ミケルソンだから、米国だから、起こった動きなのだろう。
世の中に"チェンジ"を訴えかける『change.org』というウェブサイトがある。「変えたい」気持ちを記し、同意者を募って「みんなで社会を動かす」運動を起こすサイトだそうだ。そこに1人のプロゴルファーが、卒業式の日程変更を願い出る嘆願を出した。
「卒業式を1日だけでも早めてもらえたら、僕と何百万人のファンが心から感謝します」
賛否両論あるだろう。しかし、現実に同意者は日々刻々と増え続け、一種の社会現象になっている。ひょっとすると、このムーブメントに一番戸惑っているのはミケルソン自身かもしれない。先週末の試合終了後、ミケルソンは複雑な表情でこう言った。「(全米オープン)初日のスタート時間が4時間ディレイ(遅延)してくれれば間に合う。4時間が必要なんだ。でも、予報では雷雨の確立が60%から20%に減ってしまった......」。
卒業式の日程変更ではなく、天に雷雨を祈るミケルソン。私も秘かに祈っている。
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(2017年6月12日フォーサイトより転載)