今季メジャー最終戦「全米プロゴルフ選手権」(ノースカロライナ州「クエイルホロークラブ」、8月10~13日)で首位に2打差の4位から逆転勝利を遂げ、メジャー初優勝を挙げた米国の24歳、ジャスティン・トーマスが、優勝会見で、こんな秘話を明かした。
「僕の彼女は今夜7時の便に乗る予定だった。でも、僕は優勝できる予感がしていて、僕の優勝を彼女に見逃してほしくなくて、飛行機の便を変更してくれ、遅らせてくれと頼んだんだ」
それは、不思議な自信だったとトーマスは語っていた。胸の底から溢れ出る確固たる自信。だからと言って、気持ちが先走ることはなく、「今週はずっと、今日もずっと、信じられないぐらい僕の心は静かだった」。
勝負に勝つのみならず、誰かのために勝ちたい、勝利する姿を誰かに見せたいと願う。その想いがトーマスに彼の想像をも超える不思議な力を授けたように思う。愛する女性に雄姿を披露し、熱い抱擁と熱いキス。それは、6月のメジャー第2戦「全米オープン」で悔しい敗北を喫したトーマスに、ようやく訪れた至福のときだった。
松山英樹は、そのトーマスと最終日をともに回った。一時は単独首位に立ち、優勝に誰よりも近い位置でバック9へと進んでいった松山。
誰かのために勝ちたい、勝利する姿を誰かに見せたい。その想いは、松山の胸の中にも実はあったのだろう。終わってみれば、トーマスから3打も離され、5位に甘んじた。日本メディアの取材に答えていた彼が、ついに抑えきれなくなり、肩を震わせた悔し泣き。あの涙に、ゴルフの勝敗以上のものが隠されていたことは、チーム松山などのごく一部の人々を除けば、あのときは誰にもわからなかった。
「すごく不甲斐ない」
最終日の松山のプレーの内容は、日本のゴルフファンの方々には周知のことと思うが、ご存じない方々のために、ざっと振り返ってみよう。
首位と1打差の2位で最終ラウンドを迎えた松山は、出だしの1番で1メートルの短いバーディーパットを外して、パー発進。ティショットを左ラフに入れた2番では1メートルのパーパットを外してボギーが先行した。
やや乱れ気味の出だしとなったが、3番からは落ち着きを取り戻し、6番、7番と連続してバーディーを奪った時点で、ついに首位を走っていたケビン・キスナーに並んだ。池につかまったキスナーが後退し、入れ替わって松山が単独首位へ。10番で6メートルのバーディーパットを沈めたときは、松山こそが優勝に一番近い位置に立っていた。
暗雲が兆し始めたのは11番。フェアウェイからの第2打をグリーン右に外し、ラフからウェッジで1メートル半に寄せたものの、短いパーパットはカップに蹴られた。
「あのセカンドショットが、すごく痛かった。難しくない状況からミスしてしまった。バーディーチャンスに付けられる位置からボギーにしてしまったというのが、すごく不甲斐ない」
ショックは大きく、12番、13番もボギーを叩いた。それでも諦めず、「14番、15番はバーディーをとりましたけど......。残り3ホールかなってところで、16番のティショットのミスとパットのミスが結構ききました」。
11番の第2打から、心が乱れ、ゴルフが乱れ、「立て直せなかった」。松山の全米プロは、悔しさの中で幕を下ろした。
「こんな松山は初めて」
インタビューエリアで日本メディアが見守る中、しゃがみ込んでひとしきり泣いた松山。目に涙を溢れさせたまま、囲み取材に応じていた彼の様子は、ひと昔前の彼とは、ずいぶん異なっていた。
以前の松山なら、痛恨となったミスを「あんなところで、あんなショットを打ってるようじゃ話にならない」などと言い放ち、腹立たしそうに口を尖らせていた。だが、この日は涙が溢れ出すほどの悔しさの中でも一生懸命に語っていた。
松山に明らかな変化を感じたのは、7月のメジャー第3戦「全英オープン」のときだった。その前月の全米オープンで2位になり、「今度こそはメジャー初優勝」と大きな期待が寄せられる中、メディア関係者らは「きっと松山はピリピリしている」「取材には応じないよ」などと想像していたが、声をかけてみれば、彼は今まで以上に穏やかな表情で、そしてよく話をしてくれた。
昨年の全英オープン以来の松山取材だった欧州在住の日本人記者たちは、「こんなに穏やかな松山を見たのは初めてだ」と、みな驚いていた。
そして、松山の変化は、全米プロ前週の世界選手権シリーズ「WGCブリヂストン招待」(8月3~6日)でさらに顕著になった。実戦初使用のマレット型パターを握り、好感触を得て、「オプションが増えた」と彼は静かに喜んだ。
最終日は「怒らないようにしよう」「メンタルコントロールして、ハイにならないようにしよう」「リーダーボードを見ないでやってみよう」。新しいことに挑み、自分のゴルフの選択肢を増やし、幅を広げていく姿勢。それが、ブリヂストン招待の快勝へ、世界選手権2勝目、米ツアー通算5勝目へと繋がっていった。
表彰式では、胸に抱いた優勝トロフィーを愛おしそうに眺め、少年のように無邪気に笑っていた。「応援してくださったみなさん、ありがとうございました」。感謝の言葉は、暗記したフレーズの棒読みではなく、心の底から湧き出したものに感じられた。
これまでのどの優勝のときにも見られなかった松山のそうした変化は、「成長」という2文字だけでは説明しきれない、何か不思議な変化だったが、それが何によるものかは、あのときも、わからなかった。
子供たちへの優しい眼差し
最近の松山を眺めながら、感じていたことが、もう1つある。彼は以前から子供たちに優しかったが、とりわけここ数試合は、ロープ際でサインや握手を求める子供たちに最大限、応えていた。ブリヂストン招待でも、全米プロでも、優勝争いの真っ只中にありながら、手を差し出す子供たちとロータッチを交わしていた。
よほど子供好きなのだろうな――。正直なところ、私はそう思っていたのだが、松山の視線は現地の子供たちを眺めながら、実は7月に生まれたばかりの我が子を想い、今年1月に入籍した妻を想っていたのだろうと考えたとき、彼のすべての変化に納得がいった。
トーマスが愛する彼女に自分の優勝を見せたかったように、松山も愛する妻と子にメジャー初優勝を見せたかったのだろう。あの涙には、それが叶わなかった悔しさがきっと含まれていたのだと思う。
だが、その想いが叶う日、叶えるチャンスは、まだまだこれからいっぱいある。誰かのために勝ちたい。そう想える家族を得たことは、彼の人間としての幅を広げつつある。
日本人メジャー初制覇は遂げられなかったが、松山英樹は、より一層ビッグで素敵になった。日本中が、そう感じているのではないだろうか。
舩越園子
在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。
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(2017年8月15日フォーサイトより転載)