戦争の実感を持たず「奇妙な戦争」と呼ばれた、第2次世界大戦勃発直後のフランス・パリの光景もそうだったのだろうか。
あるいは、ナチスドイツとのかりそめの宥和を達成した、チェンバレン英首相を歓呼の声で迎えたロンドン市民の雰囲気なのだろうか。
北朝鮮をめぐる情勢が緊迫の度を増すなか、東京での日常の生活は何事もなかったかのように過ぎていく。「平和ボケ」ではあるのだが、何ともうまい表現が見当たらないのが悩ましい。
金正恩が踏んだ「トランプの尾」
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)党委員長は、トラならぬトランプの尾を踏んでしまったことに、今さらながら戦慄を覚えていることだろう。
国内の団結を固め、米国をこちらに向かせよう。いわば求愛の意味を込めて行った一連のミサイル実験が、トランプ政権の逆鱗に触れてしまった。
トランプ大統領はホワイトハウスに議会関係者を集めた報告会で、北朝鮮への対処を「米外交の最優先課題」と位置付けた。「戦略的忍耐」を掲げ、アジアの問題から目を背け続けたオバマ政権との対照は明らかだ。
理由は他でもない。北朝鮮が、米国を射程に収めた核ミサイルの開発に本気になっている、と考えているからだ。
北の核開発の事実をクリントン政権は認識し、1994年春の時点では、核施設への空爆も検討していた。
その話を聞いた韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が必死で止めに入ったというが、実際は、米国民の大多数が地図のどこにあるのかも知らない国に手荒なことをしても、選挙の役には立たない。そんな算盤をクリントン氏は働かせ、カーター元大統領を平壌に派遣した。
北が核開発を断念する代わりに、米国が音頭を取り北に対する人道援助が行われた。クリントン、ブッシュ・ジュニア、オバマというその後20年余りの米政権は、北朝鮮の現実からは目をそらし続けた。
日本の企業や行政の悪しき文化とされる「先送り」は、日本独自の作法ではない。それをはるかに上回る偽善と欺瞞が北をめぐって重ねられた。
トランプ政権がこうした事態に終止符を打とうとしていることはハッキリしている。
「すべての選択肢はテーブルの上にある(All options are on the table)」。冷戦下の対ソ瀬戸際外交を思わせるこの言葉を、トランプ大統領やティラーソン国務長官は繰り返す。
選択肢のなかには軍事力の行使、それも在来兵器ばかりでなく核の使用も含まれる。その本気度は2月10~11日の日米首脳会談の際の共同声明からもうかがえる。
本気度の高い英文の「共同声明」
「両首脳は、新たな段階の脅威となっている北朝鮮の核・ミサイル開発や東シナ海・南シナ海における一方的な現状変更の試みを含め、一層厳しさを増すアジア太平洋地域の安全保障環境について議論し、懸念を共有するとともに、日米安保条約と地位協定に基づく在日米軍の存在が重要であり、日米同盟を不断に強化していく必要があるとの認識を共有した」。
外務省のこうした説明に基づいて、日本のメディアは首相会談の模様を伝えた。
それは誤りではないが、共同声明(和文)のなかには、次の文言がある。
「核及び通常戦力を使った日本の防衛に対する米国のコミットメントは揺るぎない」。「米国は、あらゆる種類の米国軍事力による自国の領土、軍及び同盟国の防衛に完全コミットしている」。
「核及び通常兵器」は英文をみれば、「the full range of U.S. military capabilities, both nuclear and conventional」であり、和文に比べて本気度が違う。
「核から通常兵器に至る、フルレンジの米軍の能力」を通じてということだが、これではマッチョすぎると思ったのだろう。外務省は「フルレンジの米軍の能力」の部分を和文ではそぎ落とした。
後の文に出てくる「あらゆる種類の米国軍事力」は、英文では「the full range of U.S. military capabilities」で前の文と同じだから、共同声明では「核及び通常兵器」を相当に強調したことになる。
日本側は当初、「あらゆる選択肢はテーブルの上に」といった抽象的な文言でやり過ごそうとしたのだが、米国側が誤解のない表現を用いるよう求め、その通りにしたのである。
「2時間で攻撃可能」
選択肢として戦争は排除されていない。その際は日本にも戦火が及びかねない――。
安倍晋三首相はトランプ大統領との会談で、深淵を覗く思いがしたに違いない。表情は明らかに険しいものだった。その後も様々な言葉が飛び交うが、気がかりなのは次の言葉だ。1つは4月27日の『ロイター通信』とのインタビューでの、トランプ発言。
(1)外交的に解決したいが、非常に困難だ
(2)最終的に北朝鮮と大きな、大きな紛争が起きる可能性はある
(3)(習近平国家主席は)精一杯力を尽くしてくれていると確信している。混乱や死は決して見たくないだろう
(4)そうは言っても習氏が愛情を持っているのは中国であり、中国の国民だ。何かを実行したいと思ってもできないということも恐らくあり得る。
(1)と(2)、(3)と(4)を合わせてみれば要するに、外交的な解決は困難なので、大規模紛争の可能性がある。中国による仲介に期待できなければ、米国が単独行動する――というメッセージとなっている。
4月26日の時点でハリス米太平洋軍司令官は、空母カール・ビンソンはフィリピン海を航行中で、必要となれば北朝鮮を2時間で攻撃できる位置にあると明らかにした。「2時間で攻撃可能」という表現が生々しい。
そして4月29日に、カール・ビンソンは日本海に入った。自衛艦との共同訓練だが、仮にカール・ビンソンがミサイル攻撃を受け、自衛艦が助太刀すれば、国会で民進党などが猛反対した「集団的自衛権」の行使となる。
なぜ森友学園問題などにかまけ、この問題を看過するのか。
トランプ瀬戸際外交の「眼目」
ところで4月28日、ティラーソン国務長官は国連安全保障理事会で明言している。
「ソウルや東京に対する北の核攻撃の脅威は現実のものだ。そして北が米本土を攻撃できる能力を開発するのは時間の問題だ」。
英文を記せば、前半は「The threat of a North Korean nuclear attack on Seoul, or Tokyo, is real」。米国は北朝鮮による東京への核攻撃の脅威を「現実」のものとみている。
日本のメディアはやり過ごそうとするが、ソウルと東京が並列に扱われていることは、「偽ニュース」ではなく現実なのである。
後半は「it is likely only a matter of time before North Korea develops the capability to strike the U.S. mainland」。米本土への核攻撃能力の開発が「時間の問題」に過ぎない、との認識を披瀝している。
とするならば、実際に北が能力を開発し終えるまでに、その動きを食い止めなければならない。ここにトランプ政権の瀬戸際外交の眼目がある。だからこそ、4月26日に上院議員たちを超党派でホワイトハウスに招き、大統領自身が対北朝鮮政策を説明したのだ。
日本攻撃の「今ここにある危機」
実はここに、日本が直面するのっぴきならない事態がある。
北の米本土への核攻撃能力の開発が時間の問題とするならば、トランプ政権の選択肢は2つ。外交手段で阻止するか、軍事力で阻止するか。当面は前者をとるにしても、後者への移行は「時間の問題」に過ぎないことになる。
ところが日本はすでに核攻撃の「現実の脅威」の下にある。北が先制攻撃ないし反撃に踏み切った場合には、日本列島は核ないしミサイルによる戦火に見舞われる。
戦後日本に初めて訪れる「真実の時」である。朝鮮半島や日本列島という米国本土からは「彼岸」の出来事も、この日本にとっては「此岸」の修羅となる。
政府が北のミサイル攻撃に備えた対処法を内閣官房のホームページに載せたのも、日本攻撃が「今ここにある危機」だと認識しているからにほかならない。それにしても、建物の窓から離れろとか地下街に避難しろといった警告は、余りにも子供だましではあるまいか。
北朝鮮からのミサイルが飛来するまでには、ほとんど時間の余裕がないのだから。政府のホームページもこう自問自答している。
問 ミサイルは発射から何分位で日本に飛んでくるのでしょうか。
答 北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、日本に飛来する場合、極めて短時間で日本に飛来することが予想されます。例えば、平成28年2月7日に北朝鮮西岸の東倉里(トンチャンリ)付近から発射された弾道ミサイルは、約10分後に、発射場所から約1,600km離れた沖縄県先島諸島上空を通過しています。
たった10分で何が可能なのか。まさに「現実」の危機とはそういうものなのである。恐らく有効な手立てがないことを承知しているからだろう。
日頃は平和や反核や護憲を唱える心優しい人々は、声を潜めている。日米政府や米軍、自衛隊を批判すれば、どちらの味方なのだ(ハッキリしているが)と指摘されるのが落ち。
北朝鮮と話し合えといえば、これまでそうしてきたのに埒が明かないどころか、事態を悪化させたではないか、と反問されるのは目に見えているからだ。腹に一物を持ちながら、沈黙は「金」を決め込んでいるのだろう。
「昭和16年の日本」と酷似
だが当事者である北朝鮮の金王朝にとっては、今は危急存亡の時である。「政治的に正しい」言い回しを捨てて事実を直視すれば、金正恩党委員長の立ち位置は、昭和16(1941)年の日本と酷似しているのではなかろうか。
近衛文麿内閣の下で日米交渉に望みをつなぎながら、欧州戦線でのドイツ軍の破竹の勢いに幻惑されて、当時の日本軍は仏領インドシナ(今のベトナム・ラオス・カンボジア)や蘭領インド(今のインドネシア)など、東南アジアの資源確保に動こうとした。
仏印(仏領インドシナ)進駐は1940年の北部と1941年の南部の2段階に分かれるが、後者の南部仏印進駐は日米関係を決定的に悪化させた。
1941年7月28日に日本軍が南部仏印に進駐を始めるや、米ルーズベルト政権は間髪を入れず、8月1日に石油禁輸を発表した。英国も追従した。南部仏印がレッドライン(越えてはならない一線)だったと思い知らされた日本側は、この強力な制裁に驚愕した。
石油は最重要軍需物資であり、しかもその大部分を米国から輸入していた。このため、陸軍に比べ戦争に消極的だった海軍のなかに、このままでは日本は「ジリ貧」になり、米国に屈服せざるを得なくなるという危機感が強まった。
米英に対して開戦し、武力によって対日包囲網を打ち破るほかないとの主張が高まったのである。当時の日本側と米英側の主張を、教科書ふうに整理すると次のようになる(鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』)。
日本側の主張:米英の日中戦争への不介入、極東において日本の国防の脅威になるような行動の自粛、日本の資源獲得への協力。
米英側の主張:日本軍の中国・仏印からの撤退、1940年に結んだ日独伊三国同盟の事実上の空文化。
こうしたなかで「ジリ貧」を打開するために、当時の日本は真珠湾攻撃に踏み切ったのである。当時の日本と現在の北朝鮮を同一視するつもりはない。
それにしても米国が引いたレッドラインに挑戦している点は同じだし、いま米国が中国に、北朝鮮に対する重油供給を絞るよう求めているのは、かつての石油禁輸措置を想起させる。
「一寸の虫にも五分の魂」
米国は北朝鮮に対し、「レジームチェンジ(体制転換)」は求めない、としている。が、北の独裁者は「剣なき約束は言葉以上のものではない」というホッブズの名言を、胸に刻んでいるはずだ。
イラクのフセインもリビアのカダフィも、核を持たなかったから殺された。シリアのアサドも核を持っていないから、米軍のミサイルのなすがままになった。ならば、米本土を射程に収められる核ミサイルを開発しないことには、安心できない、と。
米国としては中国に、「北朝鮮は任せるから何とか始末してくれよ」というところだろう。4月6~7日の米中首脳会談について、トランプ大統領が米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』とのインタビューで語った話が、すべてを物語っている。
「習主席が(米中首脳会談で)中国と朝鮮半島の歴史について話した。数千年の歴史と数多くの戦争について。韓国は実は中国の一部だった」。内心同意したうえでの発言の紹介だろう。
トランプ氏は『ロイター通信』とのインタビューでは「THAAD(高高度ミサイル防衛システム)の韓国配備のための費用は韓国が負担すべきだ」とも語っている。
もし歴史の皮肉があるとしたら、このトランプ発言が引き金となって、5月9日の韓国大統領選で、親北候補の地滑り的勝利がもたらされることだろうか。「一寸の虫にも五分の魂」という。
米中による「半島処分」の気配を感じた韓国の有権者が選んだ文在寅(ムン・ジェイン)氏が、金正恩氏の懐に飛び込むとしたら――。
米朝の対立が抜き差しならない状態を迎え、戦端が開かれた時、北のミサイルが飛来するのはソウルではなく東京となりかねない。悪夢である。
青柳尚志
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(2017年5月2日フォーサイトより転載)