タックスヘイブン(租税回避地)への偽装会社設立を斡旋する中米パナマの法律事務所モサック・フォンセカを震源に、突然世界を駆けめぐった「パナマ文書」のニュース。
習近平国家主席の親族らがかかわった財産隠しの疑いが報道されると、中国当局は関連情報の拡大を封鎖。プーチン大統領の親友絡みの資金洗浄の疑惑に対しては、ロシアからは「CIAの陰謀」説が飛び出した。
ともかく流出した情報量が膨大で、世界の著名人の名前が次々と明らかにされるが、米国の政治家や経済人らの名前がこれまでのところまったく出てこないのも奇妙ではある。
米国の民間組織「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」が南ドイツ新聞を経由して入手した資料は約1150万件、2.6テラバイトに及んだ。2010年に表面化した内部情報公開サイト「ウィキリークス」が入手した米軍のアフガニスタン・イラク戦争関連情報および国務省文書が約75万件で1.7ギガバイト。USBメモリ1本に収めて移動できたのと比較しても、圧倒的に膨大な量だ。
ウィキリークスの事件も元米中央情報局(CIA)職員エドワード・スノーデン容疑者がデータを持ち出した事件にしても、反米プロテストという動機が明確になっている。しかし、パナマ文書の事件は、一体だれが、何の目的でこれほど大量のデータを流出させたか、いまだに明らかになっていない。ネット上などで陰謀論が流れる理由はそんなところにある。
調査報道に米政府の資金
それでは順に、陰謀説を追って行こう。ウィキリークスがツイッターで流したのは、米政府機関が関連している、との情報だ。ICIJには政府機関からの直接拠出などないようだが、ICIJのパートナーとなっている「組織犯罪・腐敗報道プロジェクト(OCCRP)」に対して、実は米政府資金が贈与として提供されている。
OCCRPのホームページには金額は不明だが、資金提供元として米国際開発局(USAID)がはっきりと明記されている。このほか、国連機関である「国連民主主義基金(UNDEF)」やヘッジファンドを主催するジョージ・ソロス氏の「オープン・ソサエティ財団」も名を連ねている。
ソロス氏の財団は、中央アジアなどの旧ソ連圏で民主化を促進するため多額の資金を投じてきたことはよく知られている。
今、OCCRPのホームページでトップに掲載されているのは、パナマ文書に関するICIJの記事だ。このほか、プーチン大統領絡みの腐敗、ウクライナの汚職や治安の混乱、家具会社イケアの木材伐採やマフィア、麻薬組織などの問題が取り上げられている。
独メディアにCIAが浸透
ただ、CIAの資金流出先として、OCCRPやICIJが挙げられているわけではない。ロシア発のCIA陰謀説でも、具体的な証拠などは明らかにされていない。
抗ウイルスソフトの開発で有名で、米大統領選でリバタリアン党の指名獲得を狙うジョン・マカフィー氏が、俳優でラジオのパーソナリティ、アレックス・ジョーンズ氏と組んで「米政府の陰謀説」を拡大させようとしている。モサック・フォンセカの顧客情報を最初に得たのが南ドイツ新聞であることを指摘、「ドイツにはCIAが浸透したメディアが最も多い」などと主張している。
マカフィー氏は大統領選本選挙に出ても、もちろん泡沫候補の類だが、リバタリアン党は前回大統領選で120万票以上獲得しており、無視できない影響力がある。
モサック氏とCIAの関係
モサック・フォンセカの創始者のドイツ系パナマ人弁護士、ユルゲン・モサック氏の父エアハルト・モサック氏は第2次世界大戦中ナチの武装親衛隊員(SS)で、後にCIAへの情報提供者になった、と英紙デーリー・メールが伝えている。
父エアハルトは戦後、米国のナチ狩りでミュンヘンで捕まったが、釈放され、戦後1948年にパナマに移住した。パナマではCIAに情報提供をもちかけ、対キューバ情報工作に従事したこともあったという。ただ、パナマ人のラモン・フォンセカ氏とともにモサック・フォンセカを設立したユルゲンとCIAとの関係は明らかではない。フォンセカ氏は元々小説家だったといわれている。
CIAに協力した外国情報機関トップ
パナマ文書には、CIAに協力した元外国情報機関トップの名前が一部確認されている。ICIJによると、1人はサウジアラビア総合情報局の元長官、シェイク・カマル・アドハム氏。彼は米上院で、「1960年代から79年に至る間、CIAと中東全域を結ぶ連絡役」と指摘されたこともあった。
また、コロンビア空軍情報部長だったリカルド・ルビアノグロート少将、元ルワンダ情報機関トップのエマヌエル・ヌダヒロ准将の名前も、タックスヘイブン企業の関係者として名前が出ているという。
米大統領選絡みでは、ヒラリー・クリントン氏と民主党の指名を争うバーニー・サンダース氏が、こうした問題に元々批判的で、支持拡大のチャンスととらえている。その中で、クリントン元大統領の選挙資金提供者として知られるイラン系米国人ファハド・アジマ氏もタックスヘイブンを利用していた。
彼は、民主・共和両党に選挙資金を提供、特にクリントン政権時代にはその見返りとして10回にわたりホワイトハウスを訪問、大統領と午後のコーヒーを楽しんだという。
レーガン政権時代の1985年には、「イラン・ニカラグア秘密工作」でイランに武器を引き渡す航空機を提供したとの記録もあるとICIJの記事は記している。
ドイツ政府当局に内部告発
では、最初に南ドイツ新聞に情報提供したのは誰で、何が目的だったのか、については、まったく明らかにされていない。
同新聞に提供された原資料は、eメールが約480万件、データベース資料が約300万件、PDFが約215万件、画像が112万件、テキスト文書32万件などとなっている。
これを整理して分析、記事にするまでに約1年かかった、というわけだ。
その情報処理には、Nuix社という専門企業が無償で参加し、検索可能な資料として扱えるようにしたようだ。その分析に80カ国以上、100社以上の約400人のジャーナリストが参加した。
そこから想像できる情報提供者のプロファイルは、恐らく相当な技術を持つハッカーではあるが、情報の内容、国際情勢については疎い人物ではないだろうか。ただ可能な限りダウンロードした文書を南ドイツ新聞に無償で持ち込んだ、ということだけなのか。
実は、2年前、ずっと小規模ではあったが同じモサック・フォンセカの文書を内部告発でドイツ政府当局に持ち込んだ人物もいた、と南ドイツ新聞は伝えている。何らかのドイツ絡みの動機が2つの情報漏洩事件をつなぐヒントになるのかもしれない。
春名幹男
1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。
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(2016年4月13日フォーサイトより転載)