「重箱の隅スキャンダル」の陰で進行する「本当の危機」

内閣改造で政治的資本を高めたはずの安倍晋三政権が窮地に立たされている。小渕優子経産相と松島みどり法相の辞任を機に、野党民主党は大臣の首をとる路線をひた走る。アベノミクスの副作用を言い募る声も高まってきた。第1次安倍政権に舞い戻ったような光景が繰り広げられようとしている。
時事通信社

内閣改造で政治的資本を高めたはずの安倍晋三政権が窮地に立たされている。小渕優子経産相と松島みどり法相の辞任を機に、野党民主党は大臣の首をとる路線をひた走る。アベノミクスの副作用を言い募る声も高まってきた。第1次安倍政権に舞い戻ったような光景が繰り広げられようとしている。

思い出したくない過去

当時の安倍政権が進退窮まったのは、閣僚の辞任ドミノによる。佐田玄一郎行革担当相(辞任)、松岡利勝農水相(自殺)、赤城徳彦農水相(辞任)が事務所経費で追及の矢面に立たされた。「なんとか還元水」という苦しい言い訳に二転三転する姿や、大きなバンソウコウを貼った大臣の顔が、安倍政権の失速を招いた。

折しも社会保険庁によるずさんな事務管理によって生じた「消えた年金」問題も加わり、2007年7月の参院選で自民党が大敗。同年9月には腹痛で首相自身が退陣せざるを得なかった。この年こそは本格的な悪夢の入口だった。衆参両院のねじれによる「決められない政治」が出現し、「政権交代」の呪文がメディアを覆い尽くした。

民主党政権の3年余りは、政権交代による改革を唱えた学者や文化人にとっても思い出したくない過去だろう。一時流行った「リフォーム詐欺」のようなものだから。リフォームとはいうまでもなく、水割りした左翼的な「改革」のことである。それにしても、悪夢の種をまいたのは第1次安倍政権である。

今また「政治とカネ」の問題を突きつけられるとは、何という皮肉だろう。「何事も忘れず、何事も学ばず」。フランス革命後に亡命先から舞い戻った王侯貴族は、仏政治家のタレーランによってこう評された。一時は初の女性首相候補と持て囃された小渕前経産相の政治資金問題には、この評がそのまま当てはまるだろう。

ビザンチン帝国のような愚行

流石に安倍首相は前回の政権運営に懲りて、問題閣僚を躊躇なく更迭した。小渕氏だけでなく松島法相をも同時に更迭したことは、ポートフォリオ(運用資産)に損失を抱えたファンドマネジャーが、損失が拡大する前に思い切って「損切り」する姿を思わせる。

投資運用の世界では「見切り千両」という。この格言は政治の世界にも当てはまろうが、果断に行動に移すには非情な計算が欠かせない。前回は情が移り行動に躊躇した安倍氏も、今回は非情に行動できたことは、大いに結構なことだ。といいかけたところで、宮沢洋一新経産相のSMバー領収書問題が明るみに出た。

恐らく政治資金問題を追及していけば、同じような醜聞は次々と持ち上がるに違いない。すでにネットの世界では「祭り」の状態となっている。政治とカネの問題は政策論議と違って、対案を出す必要がない。ときの政府を攻撃するだけでよいから、知恵のない野党にとっては、もっとも安易な武器となる。

世論の支持率低迷に喘ぎ、臨時国会でも決め手を欠いていた民主党が、にわかに活気づいたのも当然だろう。だが少し頭を冷やして考えれば分かるように、今は重箱の隅をつつくような政治資金問題に現を抜かす時なのだろうか。城外をオスマン・トルコに取り囲まれ、存亡の時にありながら、「天使は男か女か」を真剣に議論していたビザンチン帝国のような愚行は、願い下げにしたいものだ。

何の役にも立たない議論

児戯に類した国内の議論をよそに、世界は一段ときな臭さを増している。22日、カナダの首都オタワで起きた議会内乱射事件はどうだろう。犯人はイスラム教改宗者で、中東渡航を希望していたという経歴から、イスラム過激派「イスラム国」との関係が取りざたされている。

戦没者慰霊塔の警護官を射殺し、議会内に乱入し、銃を乱射した後、突入した警官隊との銃撃戦の後に、射殺される。しかも議会内ではハーパー首相が会合に出席していた。単独犯とはいえ、そんな事件の展開は、国会議事堂内にテロ集団が突入する映画『SP革命篇』を見るかのようだ。

カナダは「イスラム国」に対する空爆などの制裁に加わっている有志連合の一角。「イスラム国」からはテロの対象にすると名指しされている。とはいえ、米国や英国と違って、田舎ののどかな国という印象が強い。だが、その首都の、しかも議会に難なく侵入し、凶行を働く者が出てきた。この「成功例」がテロリストたちを活気づけるのは、想像に難くない。

集団的自衛権に反対する日本の平和の徒はどう考えるのだろうか。恐らく、「イスラム国」に制裁するからこんな騒ぎになるのだ、もっとよく話し合うべきだった、などといった議論を繰り広げるのだろう。あるいは、欧米から「イスラム国」への参加者希望者が後を絶たないのは、社会の歪みや格差の拡大を映している、といった社会批評を展開するかもしれない。

だが、こうした文明論は、今そこにある危機に対し、何の役にも立たない。問われているのは、「イスラム国」内で行われている残虐行為から目を背けるかどうかであり、彼らの勢力をどうやって押し返し、テロ行為をいかにして封じ込めるかだ。そのために日本は何が出来るかが、国会で正面から議論されるべきテーマなのではないか。

ロシアへの「原油価格」制裁

10月20日夜のモスクワの空港で起きた事故についても、日本ではほとんど関心が持たれていないようだ。仏エネルギー大手、トタルのトップを乗せたプライベートジェットに除雪車が追突し、機体もろとも大手企業トップが死亡したというものだ。除雪車の運転手が酒に酔っていたと言われたが、弁護士は酒飲み運転を否定した。

これまた何やらミステリー映画めく。トタルのドマルジュリー最高経営責任者(CEO)は、モスクワで開かれた会議に出席するために、1人ロシアを訪問していた。死亡後にロシアのプーチン大統領が直ちに哀悼声明を出したことから分かるように、トタルとロシアとはズブズブの関係にある。折からの原油価格の下落で、石油・ガスの共同開発の行方にも黄信号が灯っていた。

生前最後のモスクワ訪問で、どのようなことが話し合われたのか。11月に北京で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)の席では、日ロ首脳会談が予定されている。ロシアは資源開発に日本を巻き込みたくて仕方がない。安倍首相としてもロシアとの関係は重要な外交カードとの認識は強いのだろう。

ただし、夏場以降の原油急落は、いかにも唐突である。米国側からシェールガス革命の進展に伴う米国の産油量増加の発表が繰り返され、サウジアラビアと組んで、原油価格の下押しを煽っているようにもみえる。最大の標的は石油とガスを主な外貨獲得源とするロシアだろう。単なる経済制裁よりも、原油安はロシアに対する仕打ちとしては格段にきつい。

そのさなかに、日本がロシアとの共同開発にアクセルを吹かすことはあるまいが、用心に越したことはない。ロシア経済は着実に減速しつつあり、外資の流出が加速している。ようやく制裁が実を上げつつあるところへ、日本が助太刀したりすれば、政府専用機炎上などということになりかねない。

韓国への"お仕置き"

このほか、中国経済の減速がもたらすドミノ現象にも警戒が怠れない。習近平政権は無理に景気を吹かさないとしているが、本音は不動産バブルには対処の方法がなくなったということだろう。7-9月期の実質成長率は前年同期比で7.3%と、政府の2014年の成長目標である7.5%を下回った。

エコノミストの間では、実際の成長率は7%をも下回り、6%台との指摘が多い。中国経済の病根が過剰生産と過剰供給にあり、いま景気刺激に乗り出してもこの矛盾を深めるだけ。中国指導部はこの不都合な事実をよく承知していよう。

もっとも、景気が底割れしそうになったとき、本当に食い止められるかどうかは誰も分からない。そんな中国に対して、幸いなことに日本はここ2年ばかり距離をとってきた。尖閣摩擦のおかげで、言い換えれば進出企業に対する理不尽な放火や破壊行為のおかげで、日本企業は対中直接投資にブレーキを踏んできた。

その分、中国にのめり込んだのは、お隣の韓国である。直接投資にアクセルを踏み、今や中国は最大の貿易相手国。その中国経済が変調を来したのだから、韓国経済の行方は火を見るより明らかだ。国家を代表する巨大企業、サムスンが在庫を持ちこたえられなくなり、赤字決算に陥るときが、経済全体も維持できなくなるときだ。

日本をスケープゴート(身代わりの山羊)にしながら、しゃにむに日本の戦後成長モデルをコピーしてきた、かの国がつんのめると、その先に控えているのは日本型の長期停滞であろう。すでに外国人投資家は、韓国の株式や債券を売りに回っている。韓国政府としては、自然なウォン安にして経済を立て直したいところだろうが、そうは米国という問屋が卸さない。

これまでだったら、新興国ということで自国通貨売りの介入に対しても、大目に見てもらえた。だが、先進国の入口に立ったと宣言したのは当の韓国である。いつまでも新興国時代のような通貨操作ができると思ったら、大間違いだ。米財務省が年2回、議会に提出する為替政策報告は、時を追うごとに韓国に対する風当たりを強めている。

その背景には、同盟国である米国への恩義を忘れて、韓国が中国に傾斜していることに対するお仕置きの意味もあるだろう。ともあれ、中国が減速すれば韓国は失速し、中国が失速するなら韓国は腰折れする。そんな隣人たちの姿をにらみつつ、日本は経済運営に取り組まなければならない。

カド番に立たされた安倍政権

正直言って、相当に難儀である。デフレから脱却し、経済を持続的な成長軌道に乗せる。そんなアベノミクスは、いま胸突き八丁といってもよい。日本経済が停滞し競争力を失うと、エコノミストの一角は、希釈された左翼の心情を共有しているとみえ、経済の失速に胸を躍らせる。

その彼らのペットアイテム(お気に入り)は、再び格差問題のようだ。デフレを脱却し緩やかなインフレとなったところへ消費税の引き上げが重なったことで、実質所得が低下した。低所得層への打撃は深刻で、消費の腰折れを招いている。大企業が輸出の好転で潤っているかも知れないが、中小・零細企業は人手不足と原材料費の値上がりで青息吐息だ――。

どこかで聞いた感じがする指摘だ。そう、小泉・竹中改革による格差が声高に指摘された2000年代後半の雰囲気だ。第1次安倍政権は結局のところ、こうしたルサンチマン(怨念)に押し潰されたといえる。問題は自民党政権を倒した民主党が合理的な経済政策を持ち合わせていなかったことにある。

格差をなくすためと称して、財政を無視したバラマキを繰り返す一方、成長を促す手立ては何も持っていなかった。野に下って2年近く、民主党は何か経済政策を用意したか。聞くだけ野暮というものだろう。安全保障問題と同じく、党内がまったくまとまっていないのだ。

いま問われているのは、安倍政権がデフレ脱却と経済再生という目標をぶれずに追求できるかどうかだ。格差問題には適切な手を打つ必要はあろうが、肝心の政策目標が見失われるようなことがあれば、日本経済は再生のラストチャンスを失ってしまう。2007年の悪夢の再来を防げるかどうか。

Abe at bay.――。

アベ・アット・ベイ。回文ではない。政権がカド番(at bay)に立たされているということだ。

青柳尚志

ジャーナリスト

【関連記事】

(2014年10月27日フォーサイトより転載)

注目記事