神話と「凡人」の物語:井上雄彦『SLAM DUNK』--高井浩章

『週刊少年ジャンプ』で始まった『SLAM DUNK』(井上雄彦)の最初の数回を読んで、高校3年生だった私はウンザリした気分になった。
バスケットボールのイメージ写真
バスケットボールのイメージ写真
Matt_Brown via Getty Images

1990年秋、『SLAM DUNK(スラムダンク)』(井上雄彦)の連載が『週刊少年ジャンプ』(集英社)で始まった。最初の数回を読んで、高校3年生だった私はウンザリした気分になった。

「ああ、また、打ち切り必至のバスケマンガが始まったな......」

鬼門だった「バスケマンガ」

私は、小学校から大学まで「バスケ小僧」で、小学校に上がる前から『リングにかけろ』(車田正美)に夢中の「ジャンプ少年」でもあった。当時、バスケットボールは打ち切りの山を築く鬼門のテーマだった。作者の井上もヒット後のインタビューで、編集部から同様の警告を受けたと語っていたと記憶する。

『スラムダンク』は過去の失敗作と同じコースに乗っていた。中途半端なラブコメ成分とヤンキーバトル要素、ダンクという派手な技をプレイアップするバスケシーン。陳腐なジャンプマンガの定型をなぞる新連載は、当時夢中になっていた米プロバスケ、NBAの面白さと比べて「問題外」に映った。

1980年代から90年代はNBAの黄金期だった。私がNBAを見始めた頃、あの伝説のセンター、カリーム・アブドゥル・ジャバーはまだ現役で、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、カール・マローン、ジョン・ストックトンなど、歴史に名を刻むプレイヤーが名勝負を繰り広げていた。

私の一番の贔屓はBad Boys、デトロイト・ピストンズで、司令塔のアイザイア・トーマスを「神」と崇めていた。当時、名古屋では丸善だけが置いていた米『Sports Illustrated』誌を読み漁り、27チーム(当時)の全メンバーはもちろんのこと、主要プレイヤーについてはシュートやフリースローの成功率まで数年分記憶していた。

そんなNBAオタクの私が湘北高校のキャプテン・赤木剛憲の登場シーンで抱いた印象は、「髪型はケニー"スカイ"ウォーカーがモデルか。作者も一応、NBAは見てるんだな」という冷めたものだった(赤木のモデルはパトリック・ユーイングとされているようだが、赤木は当初、やや細身で髪型はスカイウォーカーそのものだった)。

『スラムダンク』にウンザリしたのは、まだバスケが圧倒的にマイナーなスポーツだったことと無縁ではなかった。高校や実業団の決勝だけがニュースやテレビ中継で流れるぐらいで、「1軍」の野球やサッカー、バレーと比べて「3軍」以下の扱いだった。マイケル・ジョーダンが世界的なアイコンになって、日本にもNBAブームが及ぶのはもう少し先のことだ。『ハスラー2』がビリヤードブームを呼んだような「何か」を期待しているのに......。

だが、『スラムダンク』はそこから化けた。陵南高校との練習試合あたりから、「バスケをリアルに描き、そこにプレイヤーのヒューマンストーリーを乗せる」という正攻法の面白さが前面に出るようになった。陵南のエース、仙道彰のノールック・パスには、「お、マジックのあのプレーだな、これ」とニヤニヤさせられ、ゲーム展開やプレイヤーの心理描写は、バスケ小僧を納得させるリアリティがあった。主人公・桜木花道の上達プロセスはバスケ経験者の「あるある」満載で、しかも、その上達が湘北が勝ち残るカギを握るという見事な筋立て。これこそ、まさにスポーツマンガの王道だろう。

リバウンダー桜木のプレイスタイルが我がピストンズのデニス・ロッドマンに近いことも好感が持てた(作者はモデル説を否定しているそうだが、山王工業高校戦で安西光義先生が身震いする、素早いジャンプを繰り返してボールにタッチし、リバウンドを取る「リピート・ジャンパー」ぶりはロッドマンに酷似している)。

連載が進むにつれ、最初のウンザリ感は吹き飛び、「本物のバスケ」を描くマンガが徐々に人気を得ていくことが、我が事のように嬉しかった。

平凡なプレイヤーたちへの賛歌

名場面、名セリフを挙げればキリがない本作だが、日本中のバスケ小僧とバスケ少女を泣かせたのは、控え選手の木暮公延が陵南戦で決定打となるスリーポイントを決める「メガネ君」のエピソードだろう。陵南のコーチ、田岡茂一が漏らす「あいつも3年間がんばってきた男なんだ」「侮ってはいけなかった」という独白は、「バスケが大好きで続けているけど、大してすごくはない」という私のような大部分の平凡なプレイヤーへの最大の賛辞だ。こんなシーンを夢見て何万本というシュート練習を繰り返した自分を想い出して、何度読んでも胸が熱くなる。

「高校のころはバスケ部でした。すげー弱い学校(とこ)だったけど、バスケットはおもしろくて、おもしろくてしかたなかった」

単行本1巻のカバー見返しにこんなコメントを付けている作者・井上も、そんな1人だったのではないかと想像する。

少しだけNBAに話を戻そう。

1980~90年代にNBAが黄金期を迎えたのは、無論、ジョーダンという史上最高のプレイヤーの存在が原動力だった。

だが、「バスケの質」だけ見れば、「ジョーダン以降」の方がプレイヤーの身体能力やテクニック、ゲーム展開のスピードなど明らかにレベルは上がっていたのだ。父親の不幸な死の後、いったん野球に寄り道したジョーダンはNBA復帰後、「わずか数年でリーグのレベルが格段に上がった」と驚きを隠さなかった。

だが、プレーには驚嘆させられても、ひところのNBAには心を揺さぶる感動が欠けていた。1番の違いはドラマ性、物語性にあったのだと思う。1980~90年代、移籍がほとんどなかった主力選手は同じチームに居続けたからこそ、チームカラーと「顔」がはっきりしていた。

そして、その「顔」がドラマを背負っていた。

高校バスケのスターだったマジックが、強豪ミシガン大学ではなく地元のミシガン州立大学に進学してチームをNCAA(全米大学体育協会)決勝に導く。その相手が、都会のインディアナ大学になじめず、中退して「ゴミ収集車の兄ちゃん」を経てインディアナ州立大学に再入学したラリー・バードだった。卒業後も、マジックはロサンゼルス・レイカーズ、バードはボストン・セルティックスと東西カンファレンスに分かれてNBA入りし、ファイナルで3度もチャンピオンシップを競うという壮大な叙事詩。

バード率いるセルティックスに何度も煮え湯を飲まされたピストンズがようやくチャンピオンリングへのチャンスをつかんだ1988年のファイナル。親友のマジック率いるレイカーズ相手にデトロイトが王手をかけた第6戦、捻挫したアイザイア・トーマスが足を引きずりながら、1クオーターのNBAファイナル記録となる25点をあげ、それでも1点差で敗れ、試合後の検査で足を骨折していたと判明するという超人的な執念とパフォーマンス。

ピストンズの「ジョーダン・ルール」と呼ばれたえげつないディフェンスの壁を破れなかったジョーダンが、名将フィル・ジャクソンのもとでチームプレイに目覚め、ワンマンチームが史上最強のチームへと変わる、バスケの奥深さを雄弁に語るストーリー――。

当時のNBAはまるで『スターウォーズ・サーガ』のように、世代交代のバトンを受け取る主役たちがそれぞれの運命に導かれる、神話的なエピソードがあふれていたのだ。

だが、NBAはその後、カネにモノを言わせたスター選手の移籍の多発や、万能型プレイヤーの増加で癖のあるプレイヤーの居場所がなくなるといった、ブームとレベルアップの「副作用」が強まった。神話は解体され、興をそがれた私は距離を置くようになった。

神話をなぞった流川の「パス」

『スラムダンク』には、こうしたNBA黄金期の神話性が巧みに取り込まれている。その代表例がジョーダンをモデルとする流川楓の変貌だろう。

全国大会前、流川に1対1の勝負を挑まれた後、夕暮れの公園で仙道は「お前はその才能を生かしきれてねえ」と告げ、個人プレーに頼る限界を指摘する。山王のエース、沢北栄治という壁に阻まれ、流川はパスプレーというオプションの重要性に目覚め、その流川の変貌が試合の流れを変える。その姿は、シカゴ・ブルズが導入したトライアングル・オフェンス・システムのもと、ビル・カートライトという不器用極まるセンターにまでシュートチャンスを譲るようになったジョーダンと綺麗に重なる。

そしてクライマックス。その流川からのパスを受け、桜木が習得したばかりのぎこちないジャンプシュートで、高校バスケの絶対王者・山王にとどめを刺す。『スラムダンク』というタイトルのマンガは、全国のバスケ小僧とバスケ少女の誰もが身につけている基本技のジャンプシュートで幕を閉じた。意図したものではないだろうが、私が「陳腐」とウンザリした連載当初のダンク偏重のバスケ描写は壮大な伏線となり、ラストの平凡なシュートシーンで逆説的に回収された。

こうして『スラムダンク』は伝説的な怪物マンガになり、日本人のバスケ観を変えた。

今年5月、運営に一役買っている大学時代の友人の誘いで、私はプロバスケB.LEAGUEのファイナル、「アルバルク東京」対「千葉ジェッツふなばし」戦を横浜アリーナで観戦した。コートサイドの特等席から見た「それ」は、私がかつてマイナー感にいらだった日本のバスケとは別物だった。プレーのレベルや演出だけでなく、チームのグッズに身を包んだファンが歓声を飛ばす風景には、NBAと変わらない熱気があった。会場に「ホリエモン」など有名人の姿があったのも、レイカーズのコートサイドの風物詩ジャック・ニコルソンほどではないけれど、メジャー感を醸し出していた。

『スラムダンク』から四半世紀。バスケは横浜アリーナを埋める人気スポーツへの道を歩んでいる。リーグ分裂など紆余曲折やイザコザもあった。それでも、ここまで来た。

そしてこの「日本のバスケ」の変化は、最初のころのラブコメヤンキーマンガが、本格バスケマンガへと「化けた」ところから始まったのだった。

ここからもう「ひと化け」するのに必要なのは、おそらく神話性だろうと私は思う。

私と同世代の長谷川誠や佐古賢一、折茂武彦といった選手には、バスケファンを引き付ける「物語」があったし、田臥勇太というスターの軌跡はバスケへの関心を一般層にまで広げた。次世代の八村塁、田中力といった選手はさらに別次元に飛躍する可能性を秘めている。

政治家などリーダーやスターを丸裸にする情報過多の「神話無き時代」の現代にあっても、我々は神話を求めている。スポーツはその欠落を埋める力を持った力強い営みだ。

そしてあるスポーツの隆盛、神話の形成には、競技者層の厚み、言い換えれば数知れない平凡なプレイヤーたちの存在が欠かせない。野球やサッカーを見ればそれは明らかだ。

スラムダンクは神話と「平凡」の間に橋をかけ、バスケの裾野を広げた稀有なマンガだった。個人的には本作はほぼパーフェクトな形で完結しており、続編は望まない。

新しい世代にとって、神話と自分が地続きだと感じられるような、「次のスラムダンク」が登場してほしい。次こそは最初から、陳腐なラブコメ・バトル要素なしで。

高井浩章 1972年生まれ。経済記者・デスクとして20年超の経験があり、金融市場や国際ニュースなどお堅い分野が専門だが、実は自宅の本棚14本の約半分をマンガが占める。インプレス・ミシマ社の共同レーベル「しごとのわ」から出した経済青春小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』がヒット中。 noteの連載はこちら https://note.mu/hirotakai

関連記事
(2018年12月28日
より転載)

注目記事