「SMAP解散」は本当にアジアに「ショック」を与えたのか?

木村拓哉はSMAPの中では群を抜いてアジアで知名度が高い。その理由は、アジアに輸出されたテレビドラマにたくさん木村拓哉が出ているからだ。

SMAP解散のニュースが流れた8月14日以降、日本のメディアは「アジアでもショックが広がった」という角度からこのニュースを報じた。世耕弘成経済産業相も「コンテンツのアジア展開にとって痛手」とし、日本のクールジャパン戦略にマイナスになるとまで語っていた。

しかし、中国、台湾、香港などのリアクションをざっと見渡してみたところ、確かに解散報道は流れているのだが、その取り上げぶりから「ショック」であることがあまり伝わってこないのである。

「スーパースター」ではない

その最大の理由は、SMAPはアジアで必ずしもスーパースターというわけではないからではないだろうか。そう書くと日本人は意外に感じるかもしれないが、そもそもSMAPはアジア展開をそこまで重視してはこなかったし、アジアでの知名度がとことん浸透しているとは言いがたい。

もちろん日本のトップアイドルをこれだけ長く張ってきたのだから、SMAPの名前は広く知られてはいるけれども、タレントとして顔と名前が一致した形で広く認知されているのは木村拓哉ぐらいだろう。SMAPは中国でもコンサートや番組に何度か出ているし、ファンもいるのだが、おおむね若い年代に限定されており、中国人全体の幅広い年齢層に知られているとは言いがたい。

一方、SMAPのメンバーである木村拓哉はSMAPの中では群を抜いてアジアで知名度が高い。その最大の理由は、アジアに輸出されたテレビドラマにたくさん木村拓哉が出ているからだ。アジアにおいて、日本の芸能情報はJ-POPよりドラマの影響力がはるかに強い。バラエティになると、ほとんど見られていない。その点、木村拓哉が主演を務めた「ロングバケーション」や「HERO」などのドラマはみんなそろって観ていた。だから一気に有名になったのだ。

しかし、ほかのメンバーはそこまでコンスタントに人気ドラマには出ていないので、「香取慎吾」や「中居正広」らの名前まではみんな思い浮かばないのである。SMAP全体として出演してヒットしたドラマや映画があったわけでもなく、楽曲についてもアジアの人々みんなが口ずさめるような影響力を持ったものはほとんどない。

その意味では、SMAPは日本というローカルのマーケットで圧倒的人気を誇ったタレントなのであり、その解散に対して「アジアにショックが広がる」というのはいささか言い過ぎではないだろうか。

「高倉健」「山口百恵」は別格だが......

その人気や知名度は、中国においては、往年の高倉健や山口百恵にはとうてい及ばないし、今日的にもAKB48のほうがよほど注目度はあるだろう。酒井法子の覚せい剤事件での逮捕や飯島愛の死去の際にアジアに広がった怒濤のような大きな波紋とも、今回の解散騒動は比べ物にならない。また、中国マーケットに独自の人気を打ち立てている蒼井そらも知名度という点では別格の存在である。

それは単に有名かどうかではなく、その存在が現地の人々の生活や日常に入り込み、1つの現象として共同記憶に残っているかどうかという問題であり、SMAPにはそれがなかった。そのため、言い過ぎかも知れないが、SMAPが解散、へー、だから? というような感じである。

別にメンバーが引退するわけではないし、木村拓哉は今後も活動する。だったら、それはそれでいいのではないか、という受け止め方だろうか。アジアの人々は、SMAPの各メンバーに愛着はあっても、グループとしてのSMAPにはさほど愛着はなさそうである。

また、興味深かったのは、中国や台湾、香港ではメディアが解散の理由について「木村拓哉と香取慎吾がけんかした」「木村拓哉のコメントだけが浮いていた」「事務所の反応が異常に冷たい」「なぜ解散するのに事務所を辞めないのか」「日本の芸能界の保守性がSMAPを壊した」などといった、かなり問題の本質を突いたポイントを、普通にどんどん報じていたことだ。

確かに、解散がニュースだとしたら、真っ先に掘り下げなくてはならないのは、1度は建て直しを図ったはずのグループがなぜ半年で瓦解することになったのか、というところなのである。

ファーストタッチで解散の裏事情まで知ろうとするアジアの関心の向け方はある意味で健全であり、ジャニーズの影響力に怯えて解散の裏側まで報じきれない日本の大手メディアの芸能報道のアブノーマルさがかえって浮かび上がったようにも思えた。

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野嶋剛

1968年生まれ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2016年8月16日フォーサイトより転載)

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