ミケルソンが「レジェンド」である所以--舩越園子

上手いゴルフ選手だからこその栄冠だったが、それだけでは「国民的スター」「レジェンド」とは呼ばれない。

かつて「ビッグ3」と呼ばれたアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤーが引退して以降も、ゴルフの世界にグッドプレーヤーは次々に現れた。

世界ランキング1位に登り詰めた選手、メジャー大会を制した選手、米ツアーのフェデックスカップで総合優勝に輝き、ボーナスの10ミリオン(1000万ドル=約11億円)を手に入れた選手。みな強い選手、上手い選手だからこその栄冠だったが、それだけでは「国民的スター」「レジェンド」とは呼ばれない。

ビッグ3以降のゴルフ界において、レジェンドと見なされてきたのは、タイガー・ウッズ(41)とフィル・ミケルソン(47)の2人だけだと言い切っていいだろう。彼ら2人には長期的で圧倒的な強さがあった。目を見張るような勝ちっぷりでファンを魅了したかと思えば、傷心の出来事を糧に立ち直ってメジャーを制するカムバックぶりも披露。老若男女、年齢を問わず、広範囲の人々に夢と希望、そして勇気を与えてくれた。

愛に溢れて

ウッズが無敵の強さを誇示していた傍らで、ミケルソンはその人間味が魅力。そう、ミケルソンにはいつも愛が漂う。試合会場で握手やサインを求める大勢のファンに、勝ったときも負けたときも、30分でも1時間でも対応し続ける。それをプロ入りから現在までの25年以上もの間、笑顔でやり続けている選手はミケルソン以外には1人もいない。

究極の目標はメジャー優勝としながらも、強いゴルファーである前に1人の良き人間でありたいとミケルソンは言う。家族を大切に思い、良き夫、良き父親でありたいと願う。その姿勢もこの25年間、一貫している。

愛妻エイミーの初産と重なった1999年の全米オープンで「たとえ最終日の終盤に首位に立っていたとしても、エイミーの身に何かあったら、僕は即座に棄権してエイミーのもとへ駆けつける」と言い切った彼は、すでにヒーローだった。

そして、自身の言葉通り、優勝争いに絡み、ペイン・スチュワートに惜敗。その翌日、長女アマンダが生まれ、出産に立ち会ったミケルソンが「命が誕生する瞬間は素晴らしい」と興奮気味に語る姿がテレビ画面に何度も映し出された。メジャー惜敗の悔しさより人生の喜びに笑顔を輝かせたあのときのミケルソンの家族を愛する姿は、大勢の人々の心に響いたように思う。

2009年に愛妻エイミーと実母メアリーが同時に乳がんと診断され、入院・手術となったときも、ミケルソンは迷わずツアーから離れ、妻と母と3人の子供たちに寄り添った。

ツアーや大会関係者、メディアに対しても常に真摯な対応をする。顔なじみの親しい記者やカメラマンには自ら声をかけ、挨拶もする。外国人メディアの私にさえも――。

人間愛に溢れるミケルソンだからこそ、人々も愛を込めて彼にエールを送る。選手と人々がそんなふうに温かい愛でつながっているのは、私が知るゴルフ界においては、ミケルソンだけだと思う。

最大の話題の人

47歳の誕生日を迎えたばかり。若年化に拍車がかかる近年のゴルフ界において、47歳は「Old」と呼ばれるが、それでも「フィル・ミケルソン」の名前は毎週のようにヘッドラインに登場し続けている。

全米オープンより長女アマンダの高校の卒業式を優先すると発表したのは6月上旬のメモリアル・トーナメントの3日目だった。メジャー5勝を挙げながら、全米オープンだけは未勝利で過去6度も惜敗してきたミケルソンが、勝利を渇望しているその全米オープンを「欠場する可能性大」という発表は驚きだった。ミケルソンの出場を願う運動が全米で沸き起こり、社会現象にまでなった一連の経過は、この連載第1回目でお伝えした(2017年6月12日「『国民的スター選手』メジャー欠場で沸き起こった社会現象」参照)。

その翌週。全米オープンウィークを迎えた開催地エリンヒルズはミケルソンの話題で持ち切りだった。初日のスタート時間の午後2時20分ぎりぎりに滑り込みセーフでティオフするミケルソンの奇跡が起こるかどうか。それは大会開幕前の最大の注目を集めていた。

ミケルソンの長年の相棒キャディ、ジム・"ボーンズ"・マッケイは、奇跡に備えて早々にエリンヒルズ入りし、コースチェックに余念がなかった。準備は万端。あとは、マザーネイチャーに祈るだけ。

月曜夕方から火曜早朝にかけて、エリンヒルズは激しい雷雨に見舞われ、一時的にコースがクローズになった。「これなら、もしかして?」と希望を膨らませたファンは多かった。だが、天気予報が伝える木曜日の雷雨の確率は「下がってしまった」「4時間のディレイ(遅延)が必要なんだ」とミケルソン。そんな彼の言葉は、アップデートされるたびにウェブニュースのヘッドラインに躍った。

そして、エリンヒルズ上空は終日快晴の予報が出ていた初日の早朝。ミケルソンは朝一番で欠場を決意し、大会を主催するUSGA(全米ゴルフ協会)にそれを伝えた。自分が欠場すれば、補欠選手が出場できる。その補欠選手がきちんと準備できるようにという気遣いから、ミケルソンはカリフォルニア時間の未明からアクションを起こした。

エリンヒルズの午前7時。メディアセンターでミケルソン欠場が伝えられると、世界のメディアの間から「オー!」と落胆の声が漏れ、すぐさま「ミケルソン欠場」がヘッドラインになった。

かくして、今年はミケルソンの姿がない全米オープンとなったが、姿がないのに開幕前から初日の朝までミケルソンは最大の話題の人だった。

「祈り」に込められたもの

さらに翌週。全米オープン終了から2日後の6月20日、ミケルソンと相棒キャディの"ボーンズ"がコンビを解消するというビッグニュースが流れた。

ミケルソンとボーンズと言えば、米ツアーきっての長期コンビ。2人はアリゾナ州立大学時代からの親友で、ミケルソンのプロ転向以降のこの25年間、彼のキャディと言えばボーンズただ1人だった。メジャー5勝も米ツアー通算42勝も数々の惜敗も、ゴルフ以外の面でも2人はすべての苦楽を共にしてきた。

そんな2人が別れると聞いて、巷には「仲たがい?」という憶測も広まった。だが、ミケルソンもボーンズも不仲説を笑顔で否定。

「いいときも悪いときも、コース上でもコース外でも、ボーンズと一緒だった25年間を僕は心底、大事に思う。僕とボーンズの関係はゴルフにおける関係を超えて、本物の友情になった」(ミケルソン)

それなのに、なぜ別れを決めたのかと問われたミケルソンは、「そういう時が来た」と答えた。

「これからは、それぞれが今までとは違うことに挑んでいく。そのためのチェンジが必要になった」

全米オープン前週に出場したフェデックス・セントジュードクラシックをプレーしていたとき、それが一緒に戦う最後の大会になるであろうことを2人はすでに覚悟していた。

本当はミケルソンもボーンズも、全米オープンを2人のラスト・トーナメントにしたかったそうだ。2人が初めて一緒に戦ったのが25年前の全米オープンだったから、始まりも終わりも全米オープンにしたい。ミケルソンの雨乞いには、そのための祈りも実は含まれていた。

だが、雨は降らず、マザーネイチャーは微笑まず、ミケルソンは全米オープン欠場を決めた。エリンヒルズでミケルソンを待っていたボーンズのそのための努力は報われずに終わり、全米オープンをラスト・トーナメントにという願いも叶わなかった。

しかし、ミケルソンもボーンズも、その決断、その結果に対して、相手を責めることは一切しない。

「僕の喜びとなり続ける」

今季の残り試合では、ミケルソンの弟ティムが兄のバッグを担ぐ。ティムはアリゾナ州立大学ゴルフ部コーチを5年ほど務めていたが、昨夏に辞任。現在は米ツアーの期待の新鋭、スペイン人のジョン・ラームのマネージャーを務めており、当面、ティムはラームのマネージャー業と兄のキャディ業を兼務する。

ボーンズはこれからどうするのかと言えば、バッグを担ぐ次なる"ボス"はまだ決まっていない。だが、「ボーンズは素晴らしいキャディだ。トッププレーヤーが彼を欲しがらないはずはない。すぐにいい選手とタッグを組むことになる」とミケルソンは太鼓判を押す。

そして、ミケルソンの元を離れるボーンズの言葉が、なんとも印象的だった。

「フィルのすぐ傍らで彼のキャリアをこの目で見てきたことは、これからも僕の喜びとなり続ける。これからもフィルにはベストを尽くしてほしい。彼のゴルフは今でもエリートレベルだ。彼が再びメジャーで勝つとき、全米オープンを制して生涯グランドスラムを達成するとき、僕は1番に駆け付けて祝福する1人でありたい」

ミケルソンからボーンズへの愛があったからこそ、別れを決意したときでさえ、ボーンズからミケルソンにも愛がある。ミケルソンとファンの間にも、きっと同じことが当てはまる。フィル・ミケルソンがゴルフ界のレジェンドと呼ばれる所以は、そこにある。

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舩越園子

在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

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(2017年6月30日「フォーサイト」より転載)

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