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2018年08月30日 14時42分 JST | 更新 2018年08月30日 14時42分 JST

ボクがセクハラを意識したとき

自分の体験を女性に置き換えると…

Getty Images/iStockphoto

2017年、ハリウッド界の大物であるハーヴェイ・ワインスタイン氏が複数の女性からセクハラや性的暴行の疑いで告発されていた事件により、セクハラに関するニュースがよりオープンに報じられるようになった。その事件をきっかけに始まった #MeTooキャンペーンも今も続いている。

女性活躍、働き方改革、国籍、性的指向、障がい等...ダイバーシティをビジネスや社会で推進する立場として日々考えることがある。それは「日常において何かしらのマイノリティである体験・自覚することなく、他の違いを受け入れる、尊重することができるか」ということである。

職場におけるダイバーシティについて話す私

交通事故が起きてからカーブミラーを設置する、自殺者が出てからいじめ防止対策をする、病気になってから摂生する、それではなんとなく遅すぎる。誰かが「嫌だよ、つらいよ」と声をあげる前にそれが性差別だと気づけないか―今回は自分の経験を踏まえ、性による差別について自戒の念もこめて書く。

女性のネイルを褒めたら、女子力高い?

私はこれまで一貫して外資系企業で勤務をしてきた。概して海外経験がある日本人も多く、英語を使い本社の同僚とコミュニケーションし、非常に刺激的な職場環境で日々充実していた。性別、人種、国籍にかかわらず個人を尊重してくれる企業文化も魅力だった。女性社員が比較的多く、女性の管理職も多く活躍している。

昨今のセクハラに関するニュースを見たときに、当時の自分の経験を思い出した。

私が以前勤務していた部署は私以外ほぼ全員が女性だった。平均年齢は40代半ばぐらい。週次の会議はいつもこういう話題から始まった。「Aさんのネイル、可愛い!どこのネイルサロン行っているの?」「Cさんのスカートいいね。」「そのピアスどこで買ったの?」...盛り上がる会話についていけなかった。

仕事を円滑に進めたい、どうにかして皆の輪に入りたいと思い、いつのまにか想定リアクションを事前に考えるようになった。

次のミーティングで同じネイルの話題が出た。「Aさんの新しいネイル可愛い!」確かに良い色だったので、「本当に。季節感があってとても素敵ですね。」とコメントした。無難といえば無難なコメントだが、それに対して一人が「ネイルとか見ているの?女子力高いね。」

別に高い女子力を目指しているわけではないのに...あまり気持ちが良いコメントではなかったが、悪気はないし、輪に入りたいと思っていた私は、こういったコメントを幾度か我慢した。

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これってもしかして「セクハラ」なのか?

ある日の会話ではこんなことがあった。私が上司に「この間のプロジェクトの件ですが、数字をまとめてきました」と報告しようとすると「あぁ、あれDさんに担当お願いしたからもう大丈夫だよ」と言われたことがある。

この間までのミーティングではそんな話はなかった。そしてこの一件から私以外のメンバーでちょくちょく食事に行き仕事の話もしているに気づいた。そう、いわゆる「女子会」だ。

性別で仕事で損するってこういうことなのかと思った。落ち込んでいても仕方がない、自分が企画さえすれば「女子会」にはならないはずだ。自らチームでの食事を企画することにした。

仕事の話でも盛り上がる。チームミーティングの延長のように多少の意思決定もその場でされていった。

お酒が進んでくると「XXさんは結婚しないの?」「XXさんのタイプは?」といった話題で盛り上がっていた。するとチームの一人が私に言った。「(当時)社内で独身の男性は少ないなぁ...あなたもそうか。でも私はイケないなぁ。そういう目では見られない。」

言葉を失った。事前に考えてきた想定リアクションから探すも、適当なものが見つからず「そんな言い方ないじゃないですか、ひどいなぁ」と笑って言うことしかできなかった。周りもにやにや聞いているだけだった。

これってセクハラかな...その一言から私は一連の流れをしばらく引きずっていた。社内のハラスメント窓口も労務担当者も女性でなんとなく相談しづらかった。

同じ会社の女性の同僚に相談したことがあった。決まって言われたことは「私はそんなふうにはとらえない」「考えすぎじゃないの?」「意外と小さいこと気にするんだね。女々しいって言われるよ」-女々しいだなんてかえって言われるぐらいなら...男性にさえ相談することもためらい私は我慢して忘れることに決めた。

私は我慢していたことを最近思い出した。イギリスBBCで放送された「日本の秘められた恥」という伊藤詩織さんのドキュメンタリー番組を見たことがきっかけだった。番組の途中で杉田水脈衆議院議員がBBCレポーターの「セクハラや性差別を経験したことはあるか」という質問に「はい、そりゃ社会で生きていたら山ほどありますよ。はい、でも、まあ、それはそういうものかなと思って」と回答していた。

ただ本当に社会で生きてきたら仕方がないのだろうか、「この程度の性差別だったら...」と逆の立場で私と同じように我慢してしまっている女性も多いのではないか、と考えるようになった。

Yagi Studio via Getty Images

自分の体験を女性に置き換えると...

厚生労働省の統計によると女性管理職は11~12%、この数字を見ても10人未満の管理職会議では女性は1名のみ。もしここで男性がゴルフやキャバクラの話をしていたり、どの女性社員が可愛いかという話題で盛り上がっていたりしたら。女性禁制のボーイズクラブ、三次会まで続く飲みニケーションで仕事が決まっていたとしたら。少なくともこういった状況はゼロではないと思う。

私がネイルの話についていこうとしたように女性が男性の輪に入っていこうとしたらどうなるだろう。キャバクラに同行したり下ネタにも加わったりするのだろうか。「中身がおっさん」「サバサバ系のあいつは女を感じない」と言われているのだろうか。声を上げたら「ピーピー言ってるぞ」「これだから女は...」と言われるからぐっと飲みこんでいるのだろうか。

このように状況に応じて誰しもがマイノリティになりうる。女性が生きづらい社会は男性も生きづらい、なぜならば性という「枠」に押し込められ、それと付き合って生きていかなければならないからだ。「男性で育休取るなんて出世あきらめたの?」育休を取る女性は絶対聞かれない。「早く結婚しないと行き遅れるよ」少子化問題とは別に、結婚が勝ち組という考えはまだ残る。

どうしたら自分らしく生きられるか?

性別に関係なく「〇〇さんらしい」と言えたらいいのだけれど。今こそ性別にかかわらず自分らしく生きよう、と声をあげたい。

どうしたら自分らしく生きられるか?それは自分の幸せや充実の軸をもつ強さでもある。SNSの「いいね!」の数で人生の「リア充」度を測ってはいけない。。いいね数が少なかろうが、他の人に自分の幸せが伝わらず多少の批判をされようが耳を傾けすぎないことだ。

自分らしさにも枠はあると思う。人は可能性のかぎり自分らしくありたいしそうあれる社会であるべきである、ただしその限界・境界線は少数派を含む他人の自由やその人らしさを侵さない限りである。

私たち多数派が自由であるが故に、無意識に誰かにつらい嫌な思いをさせているとしたらと常に考え行動することが重要である。自分が病気したら、家族に不妊治療する人やLGBTがいたら...自分や家族がマイノリティになることもある、明日は我が身だ。

9月8日(土)11時に日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムに登壇する。「性別って何ですか?」というお題をいただいた。男性のダイバーシティ推進者として。これを自発的アクションに組み替えるとしたら「性別という『枠』をXXする」-なくすのか、超えるのか、あるいはコントロールするのか、参加者と一緒に議論したい。

パネルディスカッションにて