沖縄県で、4月28日以来行方不明になっていた女性が5月19日、遺体で発見された。容疑者は米国人軍属。この事件の波紋は今、沖縄全土を重苦しく覆っている。
何より、その手口があまりにも残酷であった。被害者は真面目な若い女性であり、容疑者には沖縄県民の妻と生後間もない子供がいる。事件の残虐性とは裏腹に、容疑者の日常生活には特段の異常性は見受けられない。
この事件の被害者は、名護市出身である。辺野古移設問題で揺れる名護市だが、これまで若い市民の多くは基地問題に関心を持たなかった。だが、この突然の惨劇によって、若い世代に「米軍基地」が異様な存在に見え始めている。
この事件の重苦しさの背景には、沖縄の濃密な地縁・血縁社会という要因もある。被害者の家族が報道機関に取材を控えるよう求め、21日から22日にかけて、各社とも被害者の実名を伏せ始めた。一方、容疑者の妻が沖縄県民であることから、彼女の実家や親族に対する激しいバッシングを懸念する声もある。小さな島に逃げ場所は少ない。
ピリピリと緊張した空気の中で、記事をどう書くべきか、悩む記者も少なくない。
今後、G7サミットやオバマ大統領の広島訪問に続き、沖縄県議選、参議院選など、政治スケジュールが立て込んでいる。日米首脳や立候補する政治家たちが、今回の事件にどう向き合うか、厳しい視線が注がれている。
例えば、オバマ大統領は、日本滞在中の演説や記者会見で、この件について謝罪するかどうか。
また、辺野古基地を推進、あるいは容認してきた保守系政治家は、選挙運動の中で今回の事件をどう扱うであろうか。現時点で、「粛々と、着実に辺野古移設を進めるべし」とか、「日本の安全を守るためには辺野古移設が必要だ」などと言える状況にはない。若い女性を守れない日米同盟を強化してどうなる、という声が噴出しつつあるからである。
辺野古移設に反対してきた翁長陣営の政治家たちにとっても、この事件への対応は容易ではない。なぜなら、重い悲しみに沈み、静かに死を悼みたいという被害者の遺族の気持ちをくみ、「全基地撤去を」などの激しい政治スローガンを声高に叫ぶのは控えたいとする一般県民の意向がある。しかし、一方で、翁長陣営の中には、この事件を基地反対運動や間近に迫る選挙につなげようとする動きもある。
選挙や辺野古移設問題で頭が一杯の政治家や一部の関係者等と、事件でショックを受けた一般県民の間の感情的、感覚的ギャップは大きい。そのギャップを感じ取れない政治家は、疎んじられ、大きなしっぺ返しを受けるであろう。
若い沖縄県民のやり切れない思いの矛先は、基地の存在よりも、日米地位協定に向く傾向がある。
この協定によって、日本に駐在する米国軍人や軍属の公務中の犯罪は、米国側の裁判権が優先される。沖縄では、この協定に阻まれ、泣き寝入りする犯罪被害者が多かった。今回は、公務外の事件であり、日本側に刑事裁判権がある。しかも、容疑者が基地外に住んでいたため、沖縄県警は取り調べがしやすかった。しかし、県警の捜査が地位協定に阻まれなかったのは、偶然であったとも言える。もし公務中の事件であったり、容疑者が基地内に住んでいれば、状況は全く異なっていたであろう。
米国防総省の報道官は、容疑者について「米軍人でも、軍が雇用した者でもない」、地位協定上の軍属ではないとして、米軍の責任ではないことを示唆している。このような発言は沖縄現地の人々を不快にさせるだけである。
痛ましい死体遺棄事件は、「沖縄基地問題」にとって、大きな転機となる可能性がある。
今は、死亡した女性を悼むことこそ優先されるべきであり、「基地問題」の行方を議論するのは不謹慎かもしれない。しかし、今回の事件の波紋はじわじわと広がるであろう。ひとりの女性の平穏な日常生活を奪った米国人軍属のイメージが、基地に対する嫌悪感を増大させたからである。
このおぞましい事件によって、沖縄の雰囲気は一変した。焦点が「普天間・辺野古問題」から日米地位協定へと移る可能性もある。「沖縄基地問題」はますます複雑な様相を見せてきている。