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2018年06月17日 09時46分 JST | 更新 2018年06月17日 09時46分 JST

沖縄県読谷村~「日本最大の村」の挑戦~①

沖縄は、今や日本有数の観光地となり、訪れる人の数は年間一千万人に迫る。首里城や美ら海水族館、本島西海岸の恩納村・石垣島のリゾートホテル群に加えて、平和学習の拠点となっている平和記念公園やひめゆりの塔など、観光名所が目白押しである。

この記事で紹介する読谷村(よみたんそん)は、交通アクセスの面では不利である。沖縄自動車道(高速道路)のルートから遠く外れるため、観光客の多くは、那覇空港から読谷村を素通りして、北部の美ら海水族館へ向かってしまう。

だが、この村は工夫を凝らし、リピーター獲得に成功している。村外からの移住者も増えてきた。以下、行政が村の魅力をどのように作り上げてきたのかを見てみよう。

読谷村の人口は4万人を超える。が、町への昇格は目指さない。石嶺傳實(いしみね・でんじつ)村長は、「町になったところで特段のプラスはない。『日本最大の村』の方が、はるかにインパクトがある」と言い切る。「村」であり続けることはブランド戦略の一環なのだ。

村長の名刺を見ると「知産地笑」とある。「地産地消」ではない。「知恵を出し合って特産品を作り、村民が幸せになる」という意味である。このような「遊び心」の中に本音を込める。それが読谷風である。

目黒博
読谷村・石嶺傳實村長 村長室にて目黒博撮影

石嶺村長が始めた「村外保障協会」――これは、本土を含めた村外からの移住者(新村民)と村民の交流会である。村長は、「新村民は大歓迎」と語る。多種多様な人間同士のコミュニケーションから、新しいアイディアが生まれると考えるからだ。

役場の幹部人事にも同様の発想が見られる。4年前に副村長に就任した田島利夫氏は東京出身である。都市計画コンサルタントであった同氏は、長い間、基地の跡地計画などに関わる内に読谷村、特に「やちむんの里」(後述)に惚れ込み、11年前に自宅を建て、移住した。陶芸の腕前は今やプロ級である。

田島利夫
田島利夫氏制作・シーサー・ヌーボー(新獅子) 写真提供:田島氏

読谷村の行政の中でも注目されるのは、「むらおこし」の取り組みである。その重点政策の一つがスポーツコンベンションだ。

ラガーマンであった石嶺村長のスポーツへのこだわりは強い。2010年(平成22年)、村長に就任すると、直ちにスポーツキャンプの誘致に動いた。冬も温暖な気候、サンゴが作り出す身体に優しい海水、練習会場と宿泊施設の近さ、おいしい食事、豊かな文化、ストレスフリーの環境など、読谷の利点をフルに活かして広報と営業を展開した。

同時に、平和の森球場、残波岬ボールパーク、陸上競技場、多目的広場などを整備していった。現在、サッカー・ラグビー用プロ仕様の天然芝コートだけでも2面ある。野球1チームの他、サッカーやラグビー2チームが同時にキャンプを張れる体制が整っている。

効果が現れるのは早かった。それまでも、中日ドラゴンズの二軍キャンプが毎年2月に行われていたが、2013年には、サッカーJ1に昇格したばかりのサガン鳥栖の冬キャンプ招致に成功。2015年には、同じくJ1ヴィッセル神戸のキャンプも始まった(超一流のイニエスタ選手の神戸加入は読谷にとっても朗報である)。

さらに、世界トップクラスの女子ソフト日本代表、男子15人制ラグビー日本代表、男女の7人制ラグビー日本代表、パラリンピック陸上日本代表などの日本代表クラスを始め、企業や大学の多数の強豪チームのキャンプ・合宿が次々と読谷村で行われるようになった。

加えて、昨年と今年(2018年)の2月には、スポーツ庁の委託事業として、女子7人制ラグビー国際大会(OKINAWA SEVENS)が残波岬ボールパークで開催された。来年日本で開催されるラグビー・ワールドカップでは、アメリカ代表チームが事前合宿を同村で行うことが決まっている。

読谷村観光協会
残波岬ボールパーク 写真提供:読谷村観光協会

読谷村は、スポーツキャンプや合宿を「スポーツコンベンション」と称している。キャンプ歓迎会だけでなく、選手や監督・コーチによる、地域指導者や子供たち、保護者への指導・クリニックや講演など、さまざまな関連プログラムを組む。スポーツ好きの観光客に対する広報も積極的に行い、村外から多くの人が観光を兼ねて練習を見にやって来る。それ故、単なるキャンプ・合宿でなく、コンベンションと呼ぶのである。

教育効果もある。普段はのんびりしている読谷の子供たちも、一流選手の練習ぶりを目の当たりにし、著名な選手やコーチの指導・講義を直接受けると、目を輝かせるという。また、選手にとっても、子供たちや村民、観光客との交流、熱い声援はうれしいはずだ。

スポーツコンベンション以外にも、読谷村の行政は実績を上げている。例えば、広大な米軍飛行場跡地の70%は農地として活用。農業生産法人に土地を貸し付け、紅芋、菊、ニンジンなどの生産を奨励し、今や、村の特産品にまで育てた。特に紅芋は、地元企業が生産する有名な「紅いもタルト」の原料にもなる。読谷は、最近よく言われる農業の六次産業化(栽培だけでなく、加工、販売の全行程を行う)のパイオニアでもあるのだ。

文化を重視する姿勢も際立つ。その一例がやちむん(陶芸)である。1972年に、陶芸の大御所であった金城次郎氏(後に沖縄初の人間国宝)を那覇から読谷に招いた。その後、若手の陶芸家たちが集まり、「やちむんの里」が形成される。今や「里」に19、村全体では60を超える工房があり、読谷村は那覇市の壷屋と並ぶ沖縄陶芸の中心地になっている。

読谷村観光協会
読谷村やちむんの里・登り窯 写真提供:読谷村観光協会

村内には15世紀に築かれた世界文化遺産・座喜味城跡があるが、役場はその入口に建つ歴史民俗資料館・美術館の大改修工事を2年かけて行ってきた。本年6月23日には、「座喜味城跡ミュージアム」(略称)として新装オープンし、読谷文化の発信基地にしたいと考えている。

目黒博
座喜味城跡 目黒博撮影

その他、一時途絶えていた伝統工芸・読谷山花織(ゆんたんざはなうい・織物)を復活させ、琉球ガラス工房を支援し、琉球古典音楽始祖を祀る赤犬子宮(あかいんこぐう)も整備した。文化重視は観光戦略であると同時に、村民の誇りの礎を構築することでもある。

さまざまな工夫を凝らす読谷村であるが、問題も抱えている。かつて広大な米軍基地が村の中心部を占有していたため、住宅地が分散して形成された。その後次々と基地が返還された事情も重なり、道路や下水道施設の整備の遅れが目立つ。しかし、財政上の制約から、インフラ整備を短期間に進めることは難しい。

種々の課題を抱えながらも、読谷村は、村が持つ優位性をフルに活かし、潜在的な可能性を掘り起し、着々と成果を上げてきた。それは、役場の努力の賜物でもあるが、同時に役場と民間セクターとの連携が機能してきた結果でもある。

次回の記事では、読谷村役場と民間の連携に焦点を当てる。