もうほっとけばいい

1点だけ、声を大にしていいたいことがある。この件に関して、「30代の若い研究者は未熟」という趣旨の発言が学界の権威者からなされた点だ。

STAP細胞の件については分野ちがいだし、正直あまり関心がないので、ここで取り上げるつもりはなかったのだが、思うところがあってごく手短に書いておくことにした。基本的な考え方は当初から変わっていない。これは当該分野の専門家の扱うべき問題であり、そうした人々のコミュニティでの議論に任せるべきだ。他の分野の専門家やマスメディアも含め、外野が騒いでいいことは、少なくとも今はもうないと思う。という前提で、ちょっとだけ。

件の研究者が泣いてたとか入院したとかそういう話はどうでもいい。割烹着とかそういうのもあんまり興味ない。重要なのは、「過去数百年に及ぶ細胞生物学の歴史を愚弄にしている」と評された研究がその後権威ある学術誌にアクセプトされ、「画期的な研究」として称賛されたが、別の実験の画像の使い回しや画像の切り貼りといった数々の問題が指摘されているという問題だ。

当該論文で指摘された問題は、当該分野の研究者の方々が「学術論文としてありえない」と評価している以上、それ以上論ずる価値もない。そもそも「STAP細胞なるものが存在し作ることができる」との主張を証明するのが当該論文の存在意義だろうから、その根拠が示せていない以上、それが故意だろうがミスだろうが、当該論文の価値がないことに変わりはない。証明されていないのであるから、現時点では、STAP細胞なるものはこの世に存在しないと考えてよい。

もしどうしても存在すると主張したいのであれば、「つべこべいわずにさっさと作ってみせろ」「できたとする証拠や求められてる資料をとっとと出せ」というだけのことで、これまでそれをやらなかったのは、世界中の研究者による追試験が1つも成功していないことを併せ考えれば、できないからだろうと考えるのが自然だ。「200回成功した」かどうか知らないが、できるなら示せばいいし、存在するなら見せればいい。そもそも「簡単に作れる」というのがウリだったはずで、今さら「コツがある」とかいわれても知らんよそんなこと。「これから論文に書く」というなら件の論文を取り下げるのが先だろう。

STAP細胞はできたのか、作ることができるのかについては、専門家の検証を待つしかない。記者会見で素人の記者たちがいくら問いただしても埒があかないのは自明だし、実際そうだった。もちろん、弁護士付きの記者会見で主張するような話でもない。学界での話なのだし、学界でやってくれればよい。理研がこれからそれを行うとしているのだから、それを待てばよいし、ほんとに有望なら世界中の研究機関がほっておかないだろう。

件の研究者本人にやらせればいい、という考え方もありうる。できるというなら公開の場でやってみせてくれ、というわけだが、それも今となっては意味がない。なぜか。件の研究者自身については、博士論文において事実上言い逃れしがたい剽窃の証拠がみつかっているからだ。それに今回の問題もあるから、そもそも信用してくれという方が無理だろう。

ふつうに考えれば、この人物に今後研究者としてのキャリアが開けることはないと思う。博士論文における剽窃というのはそういう類の問題だ。それでも雇いたいと思う機関があるならそれはそれでいいが(最近当該研究者の守護霊にインタビューした方がいるらしいが関連の大学ができるそうだから雇ったらどうか)。まあ冗談はさておき、数年前に東大で起きたセルカン事件の顛末を思い出すとよい。仮にSTAP細胞が実は存在するのだとしても、その検証や今後の研究は他の研究者が行うべきであろうし、実際そうなるのではないか。

その意味で、この問題自体については、もうほっとけばいいのではないかと思う。確かに、疑惑をこれが指摘されたのはネットで、ひょっとしたら専門家ではない素人だったのかもしれない。もしそうなら、この点に限っては、部外者の功績を認めざるをえないが、もうこれ以上できることはほとんどないだろう。マスメディア的にはiPS芸人以来の「おいしい」素材で(特に今度は絵的にも都合がいい)徹底的にしゃぶり尽くしたいところだろうが、素人がそうやっていじくりまわすネタではない。弁護士を入れた不服申立ては研究そのものではなく雇用をめぐる争いだとする見解が多くみられるが、もしそうだとしても、博士号を前提としたポストに居続けることは難しいだろうから、これもほっとけばいい。理研や早稲田大学を始めとする組織の体質の問題については別途議論があってしかるべきだろうが、それはまさに別途行うべき議論であって、この問題とは切り離すべきだ。

というわけで、世間的な関心事にはあまり興味がないのだが、1点だけ、声を大にしていいたいことがある。この件に関して、「30代の若い研究者は未熟」という趣旨の発言が学界の権威者からなされた点だ。「未熟」といっても文脈によるが、もしこれが、剽窃やありえない画像修正などといった研究倫理の欠如に対してのコメントであるならば、日本のみならず世界中の若手研究者の皆さんは怒っていいのではないかと思う。研究ノートのつけ方のまずさのようなものを指しているのだとしても、ほとんどの人はそんなことはないだろうから、やはりこれは失礼だ。実際にそうだとするなら、そういう「未熟」な人間に博士号を与えること自体がまちがっている。

博士論文にコピペは当たり前だとか、理系は文系とちがうとか言っている人もいるようなので、知り合いの理系の博士の幾人かに「本当か」と聞いたら「そんなことはない」と否定された。たぶん気分を害されたであろう。たいへん申し訳なく思う。もちろん私の知っている分野でもそんなことはない。引用とコピペの区別もつかない人がいたらしいが論ずるにも値しない。

もちろんこの「未熟」発言も、件の研究者個人に対する批判として述べられたものだろうと思うのだが、ただでさえポストの少なさにつらい思いやら悪戦苦闘やらをしている若手研究者の中には、こうした一連の流れが、若手研究者のキャリア形成に悪影響を及ぼすのではないかと危惧している人もいる。今回の問題は、基本的には件の研究者個人の資質の問題であり、若手研究者全体に一般化されてはならない、と強く主張したい。もちろん、女性研究者全体に一般化されていい話でもないし、理系研究者に限った話でもなかろう。もちろん、最も責められるべきなのは、こんな状況を招くに至った、当該研究者であることはいうまでもない。

そういえば最近、こんなニュースもあった。ちなみにこのケースは若手でも女性でも理系でもない。

「意図的ではない...」が、論文の一部無断引用で懲戒処分 奈良教育大の准教授」(産経新聞2014年3月28日)

学会に投稿した論文の一部に無断引用があったとして、奈良教育大(奈良市)は28日、大学院教育研究科の男性准教授(50)を同日付で停職3カ月の懲戒処分にした。准教授は「自分の考えと混同していた。意図的ではなくミスだった」と反省しているという。

というわけで、まじめにやっている若手の研究者の皆さんは、こんなつまんない話に惑わされることなく、ぜひがんばっていただきたい。マスメディアの皆さんは、もっと他に大事なニュースがあるだろうと思うので、ぜひそちらに力を注いでいただきたい(スポーツ紙みたいなところはここが稼ぎどころだろうけどまあそれはそれだ)。

(2014年4月10日「H-Yamaguchi.net」より転載)

小保方晴子さん記者会見

小保方晴子氏の記者会見画像集(2014年4月9日・大阪)

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