"義足のジャンパー"マルクス・レーム選手が、「IPC陸上世界選手権(障害者の陸上大会)」男子走幅跳びで8m40cmを跳び、金メダルを獲得した。ロンドン五輪・金メダリストの記録は8m31cmだから、レーム選手が義足を着用して「五輪に」出場すれば、金メダルを獲得できてしまう公算が高い。
実際、レーム選手は、昨年7月のドイツ陸上競技選手権で8m24cmを跳び、健常者も出場する大会において優勝した。大会優勝者は、翌月開催される欧州陸上選手権に出場することとなっていたが、「義足は有利だ」といった批判が巻き起こり、結局、欧州選手権への出場は見送られることとなった。
たしかに、レーム選手の飛躍的な記録更新には、少なからず義足による効果もあると考えるのが自然だ。通常、トップアスリートが自身の記録を11cmも更新することは考えにくい。今回、レーム選手がそうした偉業を実現できたのは、彼自身の日々の鍛錬と、義足の機能向上という相乗効果によるものだと考えるのが自然だろう。
そうした状況を考えれば、「義足着用は有利に働く」「健常者と同じ土俵で戦うべきではない」という声があがることはいたって自然だし、この問題について、広く、理性的な議論が行われることには私自身も賛成だ。ただ、私が着目したいのは、こうした議論が沸き起こるようになったタイミングだ。
"義足のスプリンター"オスカー・ピストリウス選手は、ロンドン「五輪」の陸上男子400mに出場。見事、準決勝にまで進出した。この時、国際社会は感動的な美談として彼の偉業を取り上げた。それは、おそらく、彼が「準決勝で敗退した」からだろう。あの時、もし、彼がメダルを獲得していたら――。
オリンピックとパラリンピック――この両者がいずれは統合され、ひとつの大会として開催されることを私は熱望している。たとえば柔道が体重別の階級で覇を競っているように、100m走にもウサイン・ボルトが出場する「健常の部」のほかに、「車椅子の部」「義足の部」「視覚障害の部」といった区分けがあっていい。
ピストリウス選手やレーム選手の活躍によってこうした議論が巻き起こることを、私は歓迎したい。義足のアスリートの活躍は、「ズルい」のか、「感動的」なのか、はたまた――。おそらく、多様な意見が出されるだろう。しかし、様々な声があがり、意見をぶつけ合うことが、何より大切であると思う。
その結果、私が望むようにオリンピックとパラリンピックの垣根が次第になくなっていくかもしれないし、逆にその境界線がより強固なものとなっていく可能性もある。結論がどのようなものとなるかはわからないが、しかし、そうした議論ができる時代となったことに、私は大きなよろこびを感じている。
(2015年10月25日 乙武洋匡オフィシャルサイト「OTO ZONE」より転載)