ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌの兄弟監督は、近年最もカンヌに愛される映画監督と言える。1996年の「イゴールの約束」ではじめてカンヌ国際映画祭監督週間に招待された後、以後全ての作品がカンヌのコンペティション部門に選ばれている。すでに2回最高賞であるパルムドールを獲得し、世界的な巨匠として名を馳せている。
現実をそのまま切り取ったかのようなリアルな筆致で、市井の人々の苦難を描くことに定評があるダルデンヌ兄弟。今回は今までの作品とは少し趣向を変え、小さな診療所の医者を主人公が、アフリカ系の移民の少女の死に間接的に関わってしまったことで自責の念に駆られる様をサスペンスの要素を織り交ぜて描いている。
一方で、その現実の写し鏡のようなリアルなタッチは健在、人生のささいな瞬間の決断によって葛藤する人物の描写は相変わらず健在だ。そんなダルデンヌ兄弟にインタビューする機会を得た。昨年には次回作はテロを題材にするというニュースが流れたが、それに関する意外な事実も語られた。
(C)LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)
医者を主人公にしたいとずっと思っていた
――今回の映画の主人公が、いわゆるホワイトカラーの職業である医者ですね。これはお二人の作品にとっては珍しいと思いますが、なぜ医者を主人公にしようと思ったのでしょうか。
ジャン=ピエール・ダルデンヌ(以下ジャン):私たちは医者を主人公にした映画をずっと作りたいと思っていました。本来人間を死から遠ざける役割である医者が、一人の少女の死に関わってしまったということで、責任を感じてしまう、その時に医者は果たしてその罪を償うのか、償わないのか。そんな葛藤する様を描きたいと思ったんです。
――主人公のジェニーはその死なせてしまった少女、アフリカ系の少女でしたが、これは移民が多い欧州社会を反映しているのでしょうか。
リュック・ダルデンヌ(以下リュック):もちろんそうです。今の欧州は移民の大量流入という問題を抱えています。映画の中の少女はアフリカから来ていましたが、多くの移民が地中海で死んでいくように、この名も無き少女もムーズ川の岸で亡くなります。そして彼女の名前もわからなければ彼女の身元もわかりません。映画の中では彼女の死体を見ることもありません。ジェニーが彼女の亡くなった川岸に行って血痕を見る、それだけです。
この映画の中で名も無き少女の存在は、唯一写真によってのみ語られます。この映画の中で、この少女が存在しなければしないほど、観客には写真のイメージの彼女が強く印象づけられると考えました。主人公のジェニーにとってそうであるように。観客の脳内に幽霊が現れるかのように、彼女の死に関して責任を感じる人は、そのイメージが頭の中に残るのです。
移民問題は欧州だけでなく、アメリカやオーストラリア、そしてそのうち日本にも関わってくる問題だと思います。グローバル化は進んでいますし、世界中で人々が移動しています。生粋の日本人や生粋の欧州人というのはいなくなるかもしれませんね。
――この映画は、診療所の扉を開けるか、開けないかという日常生活でも、特別に意識しないような選択から人の運命が決まっていきます。お二人の映画はいつも、こうした些細な事柄から物語が転がっていくところがすごく上手くできているのですが、普段物語の着想はどんなどころから得るのでしょうか。日常生活をヒントにすることが多いのでしょうか。
ジャン:私達は映画という芸術において、ささいなディテールはとても重要なものだと思っています。それはチャップリンの映画でもバスター・キートンの映画でも、ちょっとしたディテールから物語が始まっています。
ですから、そうした小さなものを普段からよく観察する、例えばアクセサリーとか身体の一部など、あらゆるものに普段から注意を向けています。
具体的には、今回は扉や監視カメラが重要になっています。気が付いたでしょうか? 少女が叩いていたドアは、ガラス戸になっています。向こう側が見えるんですね。監視カメラが外についているので、あれがガラス戸である必要はないんです、ただ少女がいなくなった後に、そのガラスの扉が何度も出てきます。多くの人が病院を訪れ、その扉の前に立つのですが、観客もそのガラスを通してそれらの人々を見つめられるようになっています。
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――物語の中で、扉というものが、扉を開けることが受け入れるということの暗喩になっていたりだとか、心の動きを象徴しているのかなと感じました。
リュック:そういう解釈もできますね。あとは国境の扉ということもあるかもしれません。欧州の移民の受け入れるべきか、受け入れるべきでないかという問いもあるかもしれませんね。
――ジェニー役のアデル・エネルは等身大で非常に素晴らしい演技でした。彼女の演技についてはどのように評価していますか。
ジャン:トレビアンの一言です。
リュック:素晴らしい女優です。彼女自身の動き方を抑制しつつ、周囲に合わせるように柔らかい動作ができるのです。例えば医者として患者の肩に手を載せたり、同じ目線になるように身を屈めたりという、医者としての細かい動作も5週間のリハーサルの間にマスターしてくれました。
そしてもう一つよかったことは、彼女はとても長身なんですが、大きい身体を患者の目線に合わせてかがんだり、患者に寄り添った動きもしています。子どもと接する時も子どもの目線に合わせて話をしますが、そうした動作がさまになりましたね。彼女の身長がキャスティングの決め手になったわけではありませんが、結果として良かったですね。
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次回作の話はメディアのでっち上げ
――次回作はテロをテーマに撮っていらっしゃると聞きましたが、それは本当なのでしょうか。
ジャン:それはメディアの噂が独り歩きしたもので、事実ではないです。
リュック:我々の映画の回顧展がペルーで開かれていたので、私が一人で南米のペルーに行ったんですが、ジャーナリストとの間のインタビューで、パリとブリュッセルで起こったテロの話が出ました。とてもショックを受けた、私もこのような事件が起きて考えさせられる、というような発言をしただけなんです。スペイン語の通訳を介して話していましから、どこかで齟齬が生まれた可能性もあります。
ジャン:ちょうどその時期に私はバカンスでイタリアに行っていて、そこで新聞を開いてみたら、ダルデンヌ兄弟がテロについての映画を撮ると見出しが出ていて、しかもその記事には私たち2人の写真が添えられていて、いかにも2人でペルーに行ってインタビューを受けたかのようにその記事は書かれていました。
これは完全にメディアのでっち上げです。さらには我々がフランスのメディアに対してテロの映画を作ることを否定したら、今度はダルデンヌ兄弟はテロの映画は作るのが恐ろしいので諦めた、と書かれましたよ。(笑)