欲望が個性を作る様を描きたかった。『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』ソフィア・コッポラインタビュー

作家としての成熟を感じさせる仕上がりになっている。
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ソフィア・コッポラ監督の最新作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』が2月23日より公開される。

本作でカンヌ国際映画祭で、女性として56年ぶり、2人目の監督賞を受賞したソフィアが挑んだのは、南北戦争時代の男女の愛憎を描いたトーマス・カリナンの小説「The Beguiled」。かつてドン・シーゲル監督&クリント・イーストウッド主演で『白い肌の異常な夜』のタイトルで映画化されたこともある作品だ。シーゲル版とは異なり、女性側に力点を置いて描かれた今回の映画化は、これまでソフィア・コッポラのイメージを覆すようなスリラーであるが、同時に彼女ならではの女性への視線を見いだすことができ、作家としての成熟を感じさせる仕上がりになっている。

監督に作品の狙い、日本への愛着、そしてアメリカにおいて「政治的正しさ」の時代の問題について話しを伺った。

欲望によって引き出される個性を描きたかった

ソフィア・コッポラ監督

――この物語のどんな点に惹かれたのでしょうか。

ソフィア・コッポラ(以下ソフィア):この小説は現代の我々でも共感できる普遍的な男女の力関係を描いています。 彼女たちは世間から隔絶された存在なので、そのぶん強い欲求を持っています。彼はそれぞれの世代の女性が求めているものを的確に察知して提供したんだと思います。子どもたちには守ってくれる兄のような面、エドウィナに対しては恋人、マーサはあの中で最も大人な存在なので、同世代の頼れる人といったような。

――少女から大人の女性まで、この映画はいろんな世代の女性を描いていますが、あなたも2人の娘を持つ母親ですが、子育ての経験は映画に役立ちましたか。

ソフィア:娘は11歳と7歳でまだ小さいので、この映画を作る時に影響があったとは思いません。ただ、唯一言えることは、ニコール・キッドマンが演じたマーサには特別に共感できました。彼女には母性があります。生徒たちを守らなければならないという責任感を強く持っているので、私はそこに共感しました。

――マーサは彼に対して肉体的な欲望はあったんでしょうか。

ソフィア:彼女は敬虔なカトリックなので欲望を強く抑えています。それに生徒たちを守る存在ですので、自分を強く持っているのでしょうね。ただそれでも、彼の身体を拭いているシーンなどでは、女性としての欲望を感じているとは思います。

――女性の欲望の描き方でこだわった点はありますか。

ソフィア:私は彼女たちが誘惑を始めたのではなく、彼が誘惑したのだと考えて演出しました。彼の誘惑に対して女性たちが反応しているのです。 それと忘れてはいけないのは、彼女たちは南部の女性だということです。当時の南部の女性は、男性のために生きる存在でした。男性のために家事をし、男性のために美しく優雅でいるというような。しかし、そうやって育てられたにも関わらず、彼女たちの周囲には男性がいない。その反動が過剰に出ているのです。

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――衣装がこれまでの作品と違い白っぽいものが多いですね。それだけにマクバニー(コリン・ファレル)を囲んでの食事のシーンでの衣装が際立ちます。

ソフィア:彼女たちが彼のために着飾る時に個性の違いがよく出るという風にしようと思いました。彼女たちは欲望を意識することによって、個性が生まれていくという様を描きたかったんです。戦時下ですから、布も十分にあるわけではないので、何度も洗って色あせたものを着ているという事情もありますね。

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今はアーティストにとって危険な時代

――あなたの日本好きもご両親の影響が強いのでしょうか。

ソフィア:7歳か8歳くらいの時に家族旅行で日本に初めて来ました。アメリカでは見られないカワイイものがたくさんあってはしゃいでいたのを憶えています。上手く説明できませんが、私は日本とフランスに懐かしさを感じますし、居心地がいいんです。 日本の伝統的なエレガンスさとポップでカワイイ文化が私は大好きで、ガーリッシュカルチャーも盛んで、アメリカではそうしたものが当時あまりなかったので、とても刺激を受けました。

――カンヌ国際映画祭で女性としては2人目、56年ぶりの監督賞の受賞となりましたが、あなたは偉大なコッポラファミリーに生まれて、お父さんの影響もあってこれまでキャリアを築けてた部分もあるかと思いますが。

ソフィア:もちろん偉大な映画監督を父に持つということは、アドバンテージもディスアドバンテージもあります。恩恵もたくさん受けていまし、比較からくる厳しい評価も受けています。それは仕方のないことです。少なくとも、自分にできることは自分らしい作品を作って語っていくことだけです。

――この作品をわずか27日間で撮影されたとのことですが、それはどのように可能だったのですか。

ソフィア:正直に言うと、短い期間で撮らざるを得なかったのです。最初の予算がどんどん削られていって、選択の余地はありませんでした。どうすべきか考えて、とにかく撮影前の準備を入念にしました。とてもチャレンジングでしたが、この映画に関してはそうするほかありませんでした。

――この映画のアメリカでの反応についてお伺いします。高い評価を得た一方、一部からいわゆる「ポリティカル・コレクトネス」からの批判もありました。アメリカではこうした政治的正しさを求める声が高まっています。この状況に関してクリエイターとしてどう思われますか。

ソフィア・コッポラ監督

ソフィア:アーティストにとって、やって良いこと、ダメなことを決め付けられるのはとてもつらいことです。今はアーティストにとって非常に苦しい時代になっています。

今回は、南北戦争時代の物語なのに奴隷制を描いていないことに対して批判を受けましたが、それを描いていたら、これは完全に別の作品になってしまいます。私の狙いは別のところにあったので、今回はそういう要素は必要ないと判断したのですが、批判者はそれは政治的に正しくないのだと主張します。インターネットの台頭で、皆が簡単に批判できるようになったことは、とても危険なことだと思いますし、そのせいでアーティストは不自由を強いられています。今はアーティストにとって非常に危険な状況です。

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