チャド: 独裁者ハブレ氏による人権侵害の詳細が明らかに

ハブレ前大統領は、自らの名で行われている大規模な虐殺行為を気にも留めない、冷酷な支配者だった。ハブレ前大統領は秘密警察を完全掌握し、反体制派であったり「不適切な」民族であるというだけで、拷問・殺害を行っていた実態を、この研究は明らかにしている。

© 2005 Stephanie Hancock/Human Rights Watch

■ 最新の研究で独裁者ハブレ氏による人権侵害の詳細が明らかに

ハブレ前大統領は、自らの名で行われている大規模な虐殺行為を気にも留めない、冷酷な支配者だった。ハブレ前大統領は秘密警察を完全掌握し、反体制派であったり「不適切な」民族であるというだけで、拷問・殺害を行っていた実態を、この研究は明らかにしている。

オリヴィエ・ベルコー、本研究論文の主な執筆者

(ンジャメナ)-イッセン・ハブレ前大統領時代にチャド政府は、政治的動機に基づき、多数の殺害や組織的な拷問、何千もの恣意的逮捕、そして一部の民族を標的に激しい迫害を行った。ヒューマン・ライツ・ウォッチはその実態と責任を明らかにした研究論文を本日発表した。

13年にわたる調査を基にして発表された研究論文「死の荒野」(全714ページ)は、独裁者であるハブレ前大統領が1982~90年の任期中、直接的に人権侵害を犯していたことを明らかにするもの。前大統領は当時、人びとの恐怖の対象だった秘密警察「文書管理・保安局」(DDS)を完全に掌握し、これら人権侵害に関与していた。本論文はフランス語で出版されるが、英語の要約も用意されている。セネガルの特別法廷が、人道に対する罪・戦争犯罪・拷問のかどでハブレ前大統領を訴追してから5カ月が経過した今、本論文発表の運びとなった。法廷は現在、ハブレ前大統領の事件の公判審理を開始するために必要な証拠の収集をしており、判事団は第2回目となるチャドでの現地調査を遂行中である。

本研究論文の主な執筆者であるヒューマン・ライツ・ウォッチのオリヴィエ・ベルコーは、「ハブレ前大統領は、自らの名で行われている大規模な虐殺行為を気にも留めない、冷酷な支配者だった」と述べる。「ハブレ前大統領は秘密警察を完全掌握し、反体制派であったり『不適切な』民族であるというだけで、拷問・殺害を行っていた実態を、この研究は明らかにしている。」

本研究論文は、ヒューマン・ライツ・ウォッチが発見した何千もの「文書管理・保安局」文書の詳細な分析と、被害者や目撃者、そして同局の元関係者300人超への聞き取り調査を基にしている。なお、聞き取り調査は国際人権連盟(FIDH)との共同実施。本研究論文はハブレ前大統領の有無罪については結論しておらず、これは特別法廷によって下されることになる。

本報告書にも引用した文書によると、ハブレ前大統領は法令「文書管理・保安局」を設置、大統領の直接管轄下に位置すると定めた。彼の任期中に同局の長官を務めた個人はすべて前大統領の内輪出身で、うちひとりは甥にあたる人物だった。発見されたあるメモには、局をめぐる長官の誇りに満ちた考えが残されていた。そこには、(同局が)「共和国大統領の目や耳となり、その指示を仰いで活動を報告する」機関であり、「国家全土に張り巡らされたクモの巣により、特別に優れた治安の管理が維持されていることに感謝する」とある。

人権データ分析グループ(Human Rights Data Analysis Group)による記録文書の分析によって、被害者1万2,321人の氏名が明らかになったが、うち1,208人は被拘禁下で殺害されたか、死亡している。ハブレ前大統領は、被拘禁者898人の状態について局から直接的に報告を受けており、その数は1,265回に及ぶ。

2013年2月8日にアフリカ特別法廷がセネガルの首都ダカールに設置された。判事はセネガルとその他のアフリカ連合加盟国の出身者で構成され、チャドで1982年6月7日~1990年12月1日に起きた国際犯罪に最も責任を負う「人物あるいは複数の人物」を訴追する使命をおっている。同法廷の捜査判事らは7月2日、ハブレ前大統領を人道に対する罪・戦争犯罪・拷問で起訴し、身柄を審理前拘束した。審理前捜査はいぜん進行中だ。検事陣は、ほかに前大統領に仕えていた5人の被疑者の氏名を発表。うち2人はチャド国内で訴追・拘束されており、残りは逃亡中だ。

本研究論文結論の一部抜粋:

● 人権侵害はハブレ前大統領が1982年に権力を掌握し、当時反体制派が拠点としていたチャド南部に政府軍を展開した時から始まった。弾圧が頂点に達したのは1984年の「黒い9月」事件で、多くの村落が攻撃・略奪・焼打ちを受け破壊された。その時、南部チャドの知識層が組織的に逮捕され、処刑されている。

● 「文書管理・保安局」は刑務所間の連携を維持した。もっとも悪名高いのはチャドの首都ンジャメナにあるLa Piscine (仏語でプールの意)刑務所で、施設は植民地時代のプールを区切って房にし、セメント製の厚板で覆ったものだった。囚人たちは過密状態の地下房で栄養不足と病に倒れ死んでいった。息も詰まる夏の暑さは特にひどく、看守たちは時に囚人が複数人死亡するまで死体の処理をしないこともあった。

● ある民族集団のリーダーがハブレ政権に対する脅威とみなされると、多くの場合その民族全体に対する逮捕や拷問、処刑、強制失踪を行ってもよいとされていた。1987年に前大統領は民族集団Hadjaraïの弾圧を監督する委員会を設置。Hadjaraï村落は焼打ちにあい、何百人もの人びとが拘禁されたり、殺害された。1989年にイドリス・デビー現職大統領を含むザガワ族(Zaghawa)がハブレ政権との連帯を解消すると、前大統領は同様の委員会を設置してザガワ族の取締りも敢行。同年、40以上の地域に逮捕の波が押し寄せ、何百人もの人びとが殺害された。

● ハブレ前大統領は1990年8月、政府の元高官たちを、反体制ビラを秘密裏に配布したかどで逮捕するよう命令。拘禁された人びとが非人道的な環境で拷問され、時に死亡するさまは刻々と報告され、前大統領自身が無線を通じて尋問の様子を見守ることさえあった。

前出のベルコー調査員は、「ハブレ前大統領は、直接命令した場合以外であっても、進行中の侵害行為を把握していた」と指摘する。「最悪の残虐行為を犯した前大統領の関係者たちが処罰されたことはほとんど全くなかったどころか、多くが昇進を果たしたことが、今回の調査結果から明らかになっている。」

本研究論文に協力したそのほかの団体には、「人権推進と擁護のためのチャド協会」(Chadian Association for the Promotion and Defense of Human Rights 、ATPDH)と「イッセン・ハブレ政権による犯罪の被害者の会」(Association for Victims of the Crimes of the Regime of Hissène Habré 、AVCRHH)がある。

(この記事は、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のサイトで12月3日に公開された記事の転載です)

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