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2014年04月07日 01時12分 JST | 更新 2014年06月05日 18時12分 JST

中央アフリカ共和国:民兵組織セレカによる村落の攻撃 フランス軍、アフリカ連合軍は警備体制を強化すべき

セレカの部隊がボッサンゴア一帯に再び姿を見せており、攻撃で地元住民が今も犠牲になっている。フランス軍とアフリカ連合軍はこの地域に部隊を配置し、セレカの攻撃を防ぐべきだ。
ピーター・ブッカー、緊急対応部門ディレクター

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(バンギ)重武装したセレカの部隊はムスリムのフラニ民族の牧畜民と共に、2014年2月26日、ボッサンゴア北東のボワイ村を攻撃して死傷者を出したと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。攻撃により8人が死亡し、銃撃で少なくとも10人が負傷した。負傷者の大半は小さな子どもだ。民間人が村から逃れると、部隊は村内の多くの建物に放火した。逃げ遅れたため、火のついた家に閉じ込められる人も出た。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、民間人に対するセレカの攻撃が今後も続くと警告し、フランス軍とアフリカ軍に対し、ボッサンゴア北東60kmに位置する一帯の警戒強化を求めた。フランス、アフリカ連合、ヨーロッパ連合と関係国は、民間人の効果的保護の取り組みを緊急に増強すべきだ。部隊増派や現地に展開済のアフリカ連合軍部隊の強化などを行うべきである。

「セレカの部隊がボッサンゴア一帯に再び姿を見せており、攻撃で地元住民が今も犠牲になっている」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチ緊急対応部門ディレクターのピーター・ブッカーは述べた。「フランス軍とアフリカ連合軍はこの地域に部隊を配置し、セレカの攻撃を防ぐべきだ。」

ヒューマン・ライツ・ウォッチが集めた複数の目撃証言と、人道援助団体消息筋からの内部情報によれば、重武装したセレカ兵の大集団が、フラニ民族牧畜民の支援を受けて、2月26日昼頃にボワイ村を包囲し、逃げ惑う住民に無差別発砲した。フラニ民族はほとんどがムスリムで、西アフリカと中央アフリカの家畜売買を取りしきっている。

イノサン・ダイベナムナさん(44)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、午後1時頃に攻撃が始まったときは自宅にいたと述べた。

「セレカとフラニ民族が攻撃を行い、家々に火をつけて回った。徒歩でやってきたが、武装はしっかりしていた。100人以上はいた。まず村を包囲したので、われわれは逃げようがなかった。セレカ兵は軍服を着て赤と緑のベレー帽をかぶっていた。しかしフラニ民族は伝統衣装を着ていた。カラシニコフ銃、ロケットランチャー、大口径銃、マシンガンで武装していた[中略]。銃撃が始まると、われわれは恐怖に駆られて茂みに逃げ込んだ。すると向こうは村に入ってきて、すべての家に火をつけた。われわれの知るかぎりで8人が死亡した。負傷者10人はボッサンゴアに運んだ。しかし行方不明の子どもがまだいる。茂みで死んでいるかもしれない。」

セレカとフラニ民族はマキシム・ベアムコマさん(35)の足を撃ち、自宅に閉じ込めておいて火を放った。氏はこの攻撃から生還した。

「私は攻撃があったときに自宅の外で座っていた。射撃が始まったので家に逃げ込んだ。すると銃撃を受けて足を負傷した。兵士は私を閉じ込め、屋根に火を放った。外に出れば殺されることはわかっていたので、燃えさかる家の中にいるしかなかった。」

ホルタンス・ダンシオさん(21)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、1歳の娘アミナタ・ベアムコナちゃんを抱いて攻撃から逃れた、と話した。しかし娘はセレカ兵士の銃撃を両足に受けた。

「セレカとフラニ民族の襲撃では赤ん坊を両手で抱きかかえながら逃げた。そのうち一人から銃撃を受けた。セレカの軍服を着ていた。われわれを狙って発砲し、アミナタの両足に銃弾があたった。私は逃げ続けるしかなかった。」

生き残った村人はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、負傷者の半数以上が小さな子どもであり、死者のうち3人も子どもだったと述べた。ドボヌール・ベアムコナちゃん(4)は銃撃で両足を負傷したが、同じ弾で、ドボヌールちゃんを抱えて逃げていた母親のヤスミン・ンガナッセムさん(24)は死亡した。祖母のカトリーヌ・グドンゴイェ氏(54)さんも死亡した。イルマ・ベアムコマちゃん(4)は逃げようとして射殺された。ディヴィナ・ベアムコマちゃん(7)は、逃げるときに足に銃弾を受けた。10人以上の子どもと大人が現在も行方不明で、死亡した恐れがある。ジラベル・バッサングアナムさん(13)、ジェラルディン・ベアムコマちゃん(7)も行方不明だ。

「セレカの兵士は相変わらず残虐だ。ボワイ村の攻撃での死傷者の大半が逃げ惑う女性と子どもだった」と、前出のブッカー・ディレクターは述べた。「セレカの兵士は、この凶悪な犯罪の責任を問われるべきだ。」

2月26日のボワイ村への攻撃は、セレカによるボッサンゴア一帯への大規模な攻撃としては数カ月ぶりだ。フランス軍部隊は2013年12月にボッサンゴアのセレカ兵を包囲し、1月半ばに兵士はボッサンゴアから退去していた。しかしセレカ兵はボッサンゴア北西にあるボギラ村を2月28日に、ナナ・バリア村を3月7日に攻撃した。この2つの攻撃の際、セレカ兵は人道団体の物資を略奪し、自動車を奪った。兵士は民間人の家に放火し、住民に発砲して、村から退去させた。

ボッサンゴア周辺地域にセレカの部隊が引き続き存在し、移動を行っていることは、近隣の多くの村にとって脅威だ。

ボワイ村は2013年8月23日にも攻撃を受けた。ナナ・バカサ担当のセレカ司令官ウスマン隊長が村を包囲し、村の長老11人を拘束した。ただしムスリムの長老は拘束しなかった。拘束された長老は手足を背中の方に折った状態で縛られた。これは苦痛を伴う拷問法で、腕と足が長い間しびれることがある。ウスマン隊長は長老1人あたり5万CFAフラン(1万円)の身代金を要求した。長老の身を案じ、村人は身代金の支払いに応じた。長老は釈放されると村から脱出した。

(2014年3月11日「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」より転載)