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ヒッチハイカーは絶滅したか

ヒッチハイクの人を見かけたのは、何年ぶりだろう。
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先日、市場へ行こうとして近畿道を走っていて、地道に降りたところで、若い男性が「高槻」と書いた看板を持って立っているのを見かけた。

ヒッチハイクである。

残念ながら僕は高槻方面には行かない。そのまま通り過ぎた。

ヒッチハイクの人を見かけたのは、何年ぶりだろう。

僕は、大学時代、ヒッチハイクで京都から札幌まで1週間かけて往復したことがある。

1980年頃の話である。

もちろん、その頃だって、日本でヒッチハイクが一般的だったわけではないが、道端に行き先の看板を持って立っている人を時々はみかけた。

その後、そんなヒッチハイカーも激減し、先日見たのも、たぶん、7年か8年ぶりである。

もうヒッチハイクは絶滅したんだろうか。

そんなことを感慨深く思っていたら、Mediumに、「Where Have All the Hitchhikers Gone?」 (ヒッチハイカーはどこへ行った)という記事を書いているアメリカ人の方を見かけて、興味深く読んだ。

ヒッチハイクの本場のアメリカでも、ヒッチハイカーは激減したらしい。そして、ヒッチハイクの楽しさを書いているその方も、ちょうど、僕と同じ55才だった。

アメリカでは、ヒッチハイクは、「いつでもどこへでも、好きなところへ行ける」ということ、つまり「自由」のメタファーでもあったという。

そして、そこには、お互いの助け合いの精神と信頼、さまざまな境遇の人が互いに知り合うチャンスがあったとも。

大学2年生の僕を乗せてくれたのも様々な人たちだった。

長距離トラックの運転手は人生哲学を語ってくれたし、秋田で乗せてくださった農家の一家の方々は、陽気な方でたくさん話してくださったのだが、方言がきつく、ほとんど話が理解できなかった。

たしかに、様々な人たちが、運転の退屈を紛らわせるために、その助手席を提供してくれ、そこで、世間に対する窓の狭い大学生には知らない世界の窓を開いてくれたのである。

そして、どこで降りても ― ほとんど車が通らないと思われるような田舎の一本道でも、車が怒涛のように流れる東京の環状道路のようなところでも ― 不思議なことにおおむね待ち時間は30分から45分で、かならず次に乗せてくれる人が現れるのであった。

僕は肌身で、人々の好意というものがどういう風に人を助けるのかを学んだ。

1980年と2015年。

アメリカはヒッチハイカーが絶滅に瀕するほどその社会と人々の意識を替えてしまったのだろうか。

あるいは、日本はどうだろう。

日本のヒッチハイカーは、僕の体感ほど減ったのだろうか。それとも、もともと、ヒッチハイクするひとはとても少なかったのだろうか。

ヒッチハイクは誰かにいただいた好意を誰かに返すことで成り立っていた。

乗せてもらえば、運転手が眠くならないように気を配ったり、ナビゲーターの役目が必要な時もあった。

そして、自分が車を運転している時に、誰かがヒッチハイクをしているのをみつければ快く乗せてあげる。

そうやって、見知らぬ人と好意をやりとりして続いていくのだ。

残念ながら、僕が大学時代にいただいたヒッチハイクの恩を、同じように誰かにヒッチハイクで返すのは無理な時代になってしまったようだ。

こんな話は、55才のおやじのつまらない「昔は良かった」話に過ぎないことはわかっているのだが、ちょっと残念ではある。

(2015年3月18日「ICHIROYAのブログ」より転載)