私はついに生きる道をみつけた
いままでは行けなかった道を
私はみんなに与える多くのものをもっているわけではない
でも、どんな扉も開けることができる
みんなが秘密を知っている
みんなが真実を知っている
私はついに生きる道をみつけた
主の臨在のなかで
若かったころに大好きだった曲をふと耳にするのは、とても味わいのある体験だ。
とくに、その曲をほぼ完全に忘れてしまっていて、ひょんな拍子に何十年かぶりに再会した時の喜びは大きい。
古いカセットテープを取り出してみたり、レコードの埃をはらわなくても、今ではYoutubeがあるので、曲名さえわかればたいてい探し出して聴くことができる。
今朝、20年か30年ぶりにエリック・クラプトンの『Presence of the Lord』を聴いた。
1969年のBlind Faithのたった一枚のアルバム「スーパー・ジャイアンツ」の一曲だ。
Blind Faithは、クリームが解散したあとに、クラプトンがスティーヴ・ウィンウッド、ジンジャー・ベイカーなどとともにつくったバンドで、僕もこのアルバムを今ももっている。
アルバムとしてはもうひとつだったが、『Presence of the Lord』は大好きでカセットテープに入れて何度も聴いた。
アルバムの発売は1969年で、僕はまだ小学校高学年である。
中学時代にギターを買ってもらい、当然のなりゆきでクラプトンに出会い、少ない小遣いを何か月か貯めて、3、4年後に買ったに違いない。
ちなみに、クラプトンの日本初来日は1974年で、高校1年の僕は生まれてはじめてお金を払ってコンサートに行った。
クラプトンはすでに「461オーシャン・ブールバード」を発表していたのだが、日本のファンには、クラプトンはあくまでクリームやデレク・アンド・ドミノス時代のクラプトンでもあり、曲間のたびに誰かが「レイラ!」と叫んで、クラプトンが苦い顔をしていたのを覚えている。
さて、上に書いたのはその『Presence of the Lord』の主要部分の翻訳である。
この曲は信仰による悟りを描いた歌詞のように思える。
ただ、クラプトンがとくに信心深かったという話は聞いたことがないし、彼がこの曲をつくり、多くの人の胸を震わせながら、その後の彼の人生が、静謐で幸せに満ちた一本道だったのかというと、まったくそんなことはない。
その後、ヘロイン中毒に苦しみ、アルコール依存症にもなり、女性関係でも様々な問題を起こした。
クラプトンは1945年生まれだから、この曲を書いたのは、まだ24才の時である。
そういえば、大学を卒業したばかりのころ、僕もなんとなく、世の中のことや、人間のこと、自分のことはたいていわかったと不遜な気持ちでいた。
そのころの僕の心境とこの曲の歌詞は重なるところがある。
もちろん、「私の生きる道」を、「私のなかのブルースを追求する道」と解釈すれば、24才のクラプトンがそれを自分のミッションとしたということは、腑に落ちるし以降の彼の人生も納得ができる。
だけど、この歌が呼び起こす感動は、もっと普遍的なもののように思えるし、彼がこの歌を書いた時に伝えたかったものは、そのことを含んでいるかもしれなが、もっと大きな確信や生きるうえでの芯のようなもののように思えるのだ。
が、そのわりには彼のその後の人生は苦悩と波乱に満ちている。
彼の場合も、もがき苦しみながら「ついに(finally)発見した」と思えた道は、いつもいつの間にか、茨の道に変わっていたのではないだろうか。
しかし、その道をなんとか歩き抜き、一種の悟りを開いたような気持ちとなり、「私がほんとうに生きる道をついに(finally)発見した」と高らかに歌いたくなる。
が、その道も実は・・・
クラプトンはこの曲をずっと歌い続けているようだが、彼がこの曲を歌う時、そのときどきによって、彼が脳裏に描く「ついに(finally)発見した私がほんとうに生きる道」はかなり異なるものなのではないかと思うのだ。
何歳になってもそれは上書きされて、きっとこれからも、上書きされていく。
だからこそ、この曲、『Presence of the Lord』は、これからもずっと、歌い続けられていくのではないだろうか。
(2015年4月15日「ICHIROYAのブログ」より転載)