パブリックスピーキングが得意な人と苦手な人

パーティでの挨拶をどうしようかと、悩みの真っ最中である。言いたいことは決まっているのだが、ためしにやってみたら、それがスラスラと言葉になって出てこない。

 パーティでの挨拶をどうしようかと、悩みの真っ最中である。

 言いたいことは決まっているのだが、ためしにやってみたら、それがスラスラと言葉になって出てこない。

 それはいつものことなんだけど、挨拶の時間は短く、パーティの雰囲気を決定づけてしまうかもしれないので、それではまずい。

 結婚式の主賓の挨拶とか、すらすらやっている人を見て、いつも感心するのだけど、原稿に目を落とさずにそういうことができる人というのは、やはり生まれ持ったハートの強さがあるのだろうか。

 僕にはそもそもその内容を暗記する自信がない。途中で詰まってしまい、頭が真っ白になるのではという恐怖が先に立つ。

 いつも読ませていただいているGeofferyさんは、20-20ルールというハックを紹介されていたが、それは、「スライドは20枚以内、練習は20回以上せよ」ということであった。

 パブリックスピーキングのプロとも言えるかたの記事にも、いかに練習しているかということが書いてあった。部屋にとじこもり、架空の聴衆に向けて、話を部分にわけて、部分部分を何度も練習するそうだ。その記事の中には、「一度目や三度目の話を聴衆に聞いてもらうのはセルフィッシュなことだ。練習を重ねて磨いたものを聞いてもらうほど寛容になれてはじめて、聴衆はあなたを愛してくれるだろう」という引用もあった。

 しかし、主賓の挨拶をすらすらやっている人、あの場で堂々として喋っている人は、その日までに、毎夜、パジャマ姿で、割り箸をマイク替わりに、奥さんの前で「新郎の◯◯くんは~~」と練習をしているのだろうか。

 いや、絶対していない。

 そういう人は、たいして練習しなくても、軽々とそれをやってしまうのである。

 僕はそんな人を何度か見ている。また、会社員時代の研修で新任所長としてのスピーチをするというロールプレイングがあった時、僕は深夜までずるずると練習していたが、仲間の何人かはさっさと練習を切り上げて酒宴に突入しており、それでも翌朝の彼らのスピーチは感心させられる出来だった。

 きっと、僕のようなそれが苦手な人は、こっそりと練習しているのではないかと思う。

 その挨拶やスピーチをうまくこなそうとして、恐れを抱き、うまくやりぬくために、連日深夜に練習を重ねる。でも、そのことを告白するのはカッコわるいから、人には言わない。

 かくして、そもそもそれができる人はなんの苦労もなくスラスラと喋っているように見えるし、それが苦手な人も、練習の成果で(それを感じささせないほどの練習の成果のおかげで)、また、なんの苦労もなく喋っているように見えるに違いない。

 そして、そこで失敗するのは、僕のように苦手とわかっているくせに、周囲が練習しているようではない、練習なんかしなくても、自分のパーソナリティで伝えることができることを伝えるだけだと、いなおってしまう人ではないかと思う。

 パブリックスピーキングには、チャンスは一回しかない。

 挨拶も、一回しかチャンスがない。

 いつかのように失敗はしたくない。

 ということで、記事を書いているより、練習、練習。

 うまくいくかな。どきどき。

 では!

(2015年4月23日「ICHIROYAのブログ」より転載)