『中国化する日本』中国語版の序文

西洋化という「理想」を、軍隊や資本の力さえ借りればたやすく実現できるという軽率さも、中国化という「現実」を、これ以上改善の余地のない理想の秩序そのものだと思いこむ傲慢さも、「われわれ」は共に回避しなければならない。

拙著『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋、2011年11月)の中国語版が、広西師範大学出版社より2013年5月に刊行されましたので、新たに附したその序文(日本語原文)を掲載します。

中国の読者のみなさんへ

私の著書『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』が中国語に訳されると聞き、心より嬉しく思うとともに、少し戸惑いも覚えています。私は日本の大学で日本史を教える、日本人の教師として、この本を基本的には「日本人向け」に書きました。したがって、この中国語版に登場する「我門」〔正しくは人偏に門。中国語で「われわれ」〕もまた、翻訳前の原文の趣旨としては「日本人」を指しています。

はたしてそのような書物が、中国でどのように受け入れられるだろうか。いや、そもそも「われわれ」日本人向けに描かれた、日本人にとっての自画像について、中国の人々が果たして興味を持ってくれるのだろうか。もし、他の国の言葉に訳される可能性があると知っていたなら、「われわれ」や「わが国」のような言葉を用いずに、第三者の視点で淡々と歴史的な事実のみを叙述しておいた方が、よかったのではないだろうか?――しかし、かような逡巡を繰り返すうちに、この「我門」という代名詞を、「日本人および中国人」を指す言葉として用いることができるかどうかという問題自体が、まさしく本書の主題であったということに気がつきました。

私がこの本で示そうとした歴史観は、いわば二重の構造を持っています。第一に、一見すると共に「東アジア」や「儒教文化圏」に属しているかのように見える日本と中国の伝統社会が、実は一八〇度正反対の特質を持っており、これが今日にまで至る相互の無理解や、摩擦の原因になっているということ。そうであるとすれば、中国人と日本人とはまったく「異なる」人々である、ということになりますから、当然ながら「我門」という言葉で両国の国民を指すことは、原理的に不可能でありましょう。

しかし私が本書で示そうとしたことの第二は、そうであるにもかかわらず、日本社会は定期的に「中国に似た社会」を建設しようという傾向を示すことがあり、その動きが歴史上常に、日本の内側にも外側にも大きな変動をもたらしてきたということでした。この「日本社会が中国社会と似た状態に移行すること」が、私のいう「中国化」の概念になります(逆に、それに比べると歴史上まれではありますが、「中国社会が日本社会と似た状態に移行しようとした」時代もあったこと、に関しても記されています)。そうだとすれば、日本人と中国人の双方が「我門」と名乗り得るような、両国で共有される歴史的な体験もまた、確かに存在するはずだということになります。

私が「中国化」という概念を日本人に向けて示した目的のひとつは、一般的な日本人の多くが抱いている、日本は「西洋化」してきた(逆に、中国は「西洋化」していない)という歴史認識を覆すことにありました。日本人は、議会制度や民主主義、法治国家と人権の理念、資本主義による経済成長などを欧米から輸入して「西洋化」することに成功し、それに失敗した中国を打ち負かすことで、アジアの強者として台頭したのだと長らく信じてきました。しかし、このような歴史観は二つの意味で、事実ではないのではないか。一つには、経済成長や軍事的な強国化に関しては、「西洋化」できないと言われていたはずの中国も、今日すでに達成してしまったという意味で。二つには、議会政治や法の支配、個人の自由の尊重という点では、日本はいまだに「西洋化」などできておらず、むしろ(外見上の相違に反して)中国の方にこそ近い状態にあるのではないか、という意味で。

私は個人の思想信条としては、近代の西洋が生みだした政治的な自由の理念を、人類が目指すべき価値として信奉するものであります。しかしながら歴史研究に携わるものとしては、「西洋化」はユーラシア大陸の極西部でのみ、奇跡的な偶然によって可能となったローカルな現象であって、それ以外の地域が安易に模倣できるほど、たやすいものではないことを理解しています。たとえ理想としての「西洋化」がどれほど美しいものであったとしても、現実の日本や中国の歴史はそれとはまったく別の原理で動いてきたことを、知らなければならない。それが、本書を執筆した動機でありました。

かつて日本はその軍事的行動によって、中国に甚大な被害をもたらし、そして敗戦という形で、その報いを自ら受けました。当時の日本人に国を誤らせたものは、果たしてなんであったか。そこには、アジアのなかでは日本のみが「西洋化」を達成し、それ以外の国にはどうせ同じことができないという、驕りがありました。そして(一見すると矛盾するのですが)、欧米列強のなかでは日本のみが、中国をはじめとするアジア諸国と共通の文化や価値観を持っており――私流にいえば、「中国化」の体験があり、したがって西洋文明とは異なるアジアに相応しい秩序を築きうるのだという、また別の驕りがありました。

西洋化という「理想」を、軍隊や資本の力さえ借りればたやすく実現できるという軽率さも、中国化という「現実」を、これ以上改善の余地のない理想の秩序そのものだと思いこむ傲慢さも、「われわれ」は共に回避しなければならない。ここでいう「われわれ」は、本書を執筆した際には日本人のことでありました。しかし、それはひょっとすれば、中国の人々も含みうるものになるのかもしれない。もちろん、それを決めるのは私ではなく、いまこの本を手にされている、ひとりひとりのみなさんであります。

本書の中国語訳を担当してくださったのは、日本の山口大学の何暁毅先生です。中国の読者のために各ページの下部に新たにつけてくださった丁寧な脚注も、何先生の手によるものです。また私は中国語を解しませんため、代わりに完成した訳文をご校閲くださったのは香港中文大学の張イクマン先生でした。記して、感謝申し上げる次第です。

日本がかつてもたらした巨大な惨禍のために、中国とのあいだに生まれた歴史認識の溝は、数年や数十年という歳月で埋めることができるものではないでしょう。しかしながらやがていつか、両国の人々がともに「我門」として、互いの自主と独立を尊重しながら、ひとつの歴史を共有することができる日が来るかもしれない。もし、本書の翻訳がその先触れとなることができるのであれば、これに勝る喜びはありません。

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