「NYタイムズ初の女性編集トップはなぜ〝クビ〟になったのか」で紹介した、ニューヨーク・タイムズの前編集主幹、ジル・エイブラムソンさんの突然の更迭劇に、女性ジャーナリストたちが激怒している。
「編集局の運営の問題」とされる更迭理由がはっきりしないことに加えて、性別による給与格差や、能力評価の〝二重基準〟といった問題の象徴として受け止められているようだ。
英ガーディアンでデジタル担当役員などを務めたコロンビア大学ジャーナリズムスクールのデジタルジャーナリズムセンター所長、エミリー・ベルさんが、この更迭劇への怒りの理由を、こう表現している。
「(女性が評価されるには)ベストの仕事では足りない(Excellent performances are never enough)」
●前任者との給与格差
今回の更迭劇で、詳細な内幕報道を続ける雑誌「ニューヨーカー」のベテランメディアライター、ケン・オーレッタさんは、エイブラムソンさんとタイムズ経営陣との対立の理由の一つとして、給与格差問題を指摘していた。
前任の編集主幹、ビル・ケラーさんよりも、給与が低いことをめぐり、エイブラムソンさんが弁護士を立てて金額の見直しを求め、それがしこりとして残った、と。
これに対し、オーレッタさんは具体的な数字をあげて、その金額の違いを説明している。
エイブラムソンの2011年着任時の給与は47万5000ドルで、対して(前任者の)ケラーのその年の給与は55万9000ドルだった。その後、50万3000ドルに昇給したが、彼女からの抗議を受けた後、さらに52万5000ドルに昇給した。
それ以外にも、編集局長、ワシントン支局長としての給与も、男性と比べて低かったことも判明したという。
データジャーナリズサイト「538」は、米国勢調査局の統計データから、米国の編集者の年収を男女の中央値で比較すると、女性の方が7934ドル低い、と報じている
調査機関「ピュー研究所」も、インディアナ大学が米国の1080人のジャーナリストを対象に調べた結果として、女性の年収は男性に比べて17%低かった、としている。
また、バイラルメディア「バズフィード」では女性スタッフ4人が、約900人の社内外のジャーナリスト対象に給与アンケートを緊急実施。昇進するごとに、男女の給与格差は開いていく、と報じた。
●「強引」な性格
サルツバーガーさんは当初、エイブラムソンさん更迭の理由を「編集局の運営の問題」とだけ述べていた。
だが、わかりにくいとの批判に対し、サルツバーガーさんは更迭発表から3日後の17日、あらためて、更迭の判断理由についての声明を出した。
彼女の在任中、編集局の男女を含む同僚たちから、独断的な決定、相談や連携の欠如、コミュニケーション不足や公然と行われる侮辱的な扱いといった一連の問題を、私は繰り返し耳にしていた。これらの問題について、私はジル本人と何度も話し合い、対処できないようなら、社の幹部や編集局の信頼を失うことになる、と注意もした。彼女はそれらの問題点を理解し、解決に向けて努力する、と約束した。私たちは皆、彼女がうまくいくことを願った。だが、不信は埋めようもなく大きいことが明らかになり、その結果、私は、彼女が社の幹部の支持を失ってしまい、それを取り戻すことは不可能だと判断した。
この声明でも、理由としてあげられたのは、具体的な〝失政〟といったことではなく、あくまで仕事のスタイルや性格的な特徴だった。
エミリー・ベルさんは、これについて「業績ではなく、性格や人当たりに基づく評価」だという。そして、今回の更迭理由の〝二重基準〟を指摘する。
サルツバーガーは、男性と同じように、女性が更迭されることもある、と述べているようだ。ニューヨーク・タイムズの発行人としてのサルツバーガーの横顔を描くときに、他人への思いやりの欠如とか、自らの行為が他人の感情に与えるインパクトを無視できる、そのお気楽な性格について、取り上げられることはないだろう。だが、初の女性編集主幹に対するこの仕打ちは、他のいかなる編集者への扱い、いかなる更迭のケースとも違っている。男性の場合、十分な暖かみや親しみがないからといって、それで非難されることはないだろう。彼らにはそんなことは求められていないからだ。そんなことは、〝男の仕事〟とは関係ないのだ。
ケン・オーレッタさんの記事によると、エイブラムソンさんのスタイルを評して、「プッシー(強引 pushy)」という表現も使われていたようだ。
●「女性同盟支部長」
ページにそんな画像を掲げてエイブラムソンさん擁護の論陣を張ったのは、ニュースベンチャー「リコード(re/code)」の共同創設者でジャーナリストのカーラ・スウィッシャーさんだ。
ニューズ・コーポレーションのルパート・マードックCEOをして、「クレイジーなほど恐ろしい(crazy scary)」と言わしめる。テクノロジー業界では、スウィッシャーさんはそんな際立った人柄で知られる。
スウィッシャーさんは、この「クレイジーなほど恐ろしい」「声高(Loud-mouthed)」「居丈高(Bossy)」(そして、最悪なものとして「強引(プッシー)」)などの表現が女性に向かって使われる場合、「過度に、不愉快なほどに我が強く、野心的」との意味を持ち、暗に〝女性らしさ〟を要求する社会的圧力を含んだ言葉だ、と解説する。
そして、サルツバーガーさんによる更迭理由を、スウィッシャーさんはこう翻訳する。
彼女は苛つくんだ、だから辞めさせた(She was a real pain in my ass and so she had to go)。
そして、この更迭劇についての記事を書くとするなら、知りたいことがまだ山ほどある、と。
不満を抱いていたという社員は誰と誰? サルツバーガーは何人と話をした? その人たちに直接話を聞かせてもらえる? エイブラムソンを評価する声はないのか?
●「ガラスの天井」と「ガラスの崖」
エイブラムソンさんの更迭が発表された14日、パリでは老舗紙「ル・モンド」初の女性社長、ナタリー・ヌゲレードさんの辞任が発表された。
デジタル強化など、組織改革に取り組む中で、幹部らとの軋轢が深刻化していたようだ。
外交誌「フォーリン・ポリシー」の前編集長で、ニュースサイト「ポリティコ・マガジン」の編集長、スーザン・グラッサーさんは、くしくも米仏で相次いだ女性トップの退任について、こう述べている。
今や状況は変わった、と私たちは思い込みたがっていた。(大統領候補と目される)ヒラリー・クリントンが、〝ガラスの天井〟を粉々に砕いたのだ、と。でもそうではなかった。米国のどこを見渡しても、トップに立つ女性の数は驚くほど少ない。特にそれが著しいのがジャーナリズムの世界だ。そしてジャーナリズムの女性リーダーは、際立って特異な存在で、ほぼ例外なく苦境に立たされている。
創刊180年という「シドニー・モーニング・ヘラルド」で、かつて初の女性編集長を務めたアマンダ・ウィルソンさんは、デジタル化の激変に揺れるジャーナリズム業界と、女性トップの登用(と更迭)は無縁ではない、と見立てる。
状況が厳しい時に限って、女性が〝初〟のチャンスをつかむのは、よく知られた話だ。最近まで、女性を幹部に登用する報道機関などほとんどなかった。そんなオファーが舞い込むのは、経営陣に打開策が見えず、変革の担い手を探している時だ。なら女性にやらせてみればいいじゃないか、と。私が編集長に就いた時も、売り上げ、部数などほとんどの数字が厳しい状況だった。そして、女性に許された持ち時間は短い。
コンサルティング会社「ストラテジー・アンド(旧ブーズ・アンド・カンド・カンパニー)」が世界2500の大企業で過去10年のCEOの交代について調査したところ、女性の新任CEOは全体の3%しかいなかったが、一方で、女性CEOは男性に比べてより短期間で更迭される傾向があった、という。
女性トップの足場のもろさを表現する、いわゆる「ガラスの崖(glass cliff)」が、この調査でも示されたということのようだ。
●ファイティングポーズ
エイブラムソンさんの更迭発表の翌日、医師のコーネリア・グリッグスさんが、インスタグラムに投稿した写真が話題を呼んだ。
グリックスさんの〝ママ〟、エイブラムソンさんが、Tシャツ姿でボクシングのグローブをはめ、サンドバッグの前でファイティングポーズをとっている。
更迭については、タイムズのリリース以外に、公式のコメントはしていないエイブラムソンさん。19日朝には、以前から予定されていたウェイクフォレスト大学の卒業式で講演に立ち、こう述べたという。
「逆境の時こそ実力を示せ(show what you are made of)」
そして更迭から1週間の21日、エイブラムソンさんはハフィントン・ポストにブロガーとして登場した。
1980年代後半、ニューヨーク・タイムズで編集局長を務めたアーサー・ゲルブさんが20日に亡くなったことを受けて、追悼記事を書いている。
ただ、今回の騒動には一切触れていない。
(2014年5月21日「新聞紙学的」より転載)