新聞はいかにして、紙主体のビジネスモデルからデジタルへと移行していくのか――。
メディアに関心を持っている人なら、誰もがひと言ありそうな議論だし、新聞社にとっては最重要の戦略課題だ。
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だが、デジタル時代のメディアをめぐる代表的な論客たちが、なぜか斜め上をいく論争を繰り広げている。
「有毒な無料PR記事の垂れ流し」とブログで指弾する論客に対して、名指しされた論客はツイッターでこう返答する。「ファック・ユー」
実りの多そうな論争だ。
●グリーティングカードと新聞
口火を切ったのは、ニューヨーク大学教授で『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』などの著書でも知られる著名ブロガー、クレイ・シャーキーさんだ。
特に、デジタル時代に適応したジャーナリズムの変革についての論考も多く、2年前には「脱工業化ジャーナリズム―現在への適応」という共著の提言レポートをまとめ、業界関係者必読の内容として話題を呼んだ。
そのシャーキーさんが、17日付けで自身のブログに「ノスタルジーと新聞」というタイトルの投稿を掲載した。
取り上げているのは、投資家・起業家のアーロン・クシュナーさんがCEO(最高経営責任者)を務め、ロサンゼルス周辺で複数の日刊紙を発行する「フリーダム・コミュニケーションズ」のことだ。
クシュナーさんは、2002年に買収したグリーティングカードの「マリアン・ヒース」で成功。一時、ボストン・グローブの買収に動いたことでも知られる人物だ。
2012年に今のフリーダム・コミュニケーションズを5000万ドルで買収し、メディア経営は全く未経験ながら、新聞業界に参入した。
●〝プリントファースト〟戦略
クシュナーさんが、メディアの論客たちの話題にのぼったのは、独自の経営戦略による。
クシュナーさんが掲げたのは、ネット対応に主眼を置く「デジタルファースト」ではなく、紙の新聞のための徹底した投資と人員増強を行う「プリントファースト」だったのだ。
その理由も単純明快。「収入の9割が紙だからだ」
フリーダムの主力紙である「オレンジ・カウンティー・レジスター」を中心に170人以上ものジャーナリストを新たに雇い入れ、ページ数も1.5倍に増やす。
昨年8月には新たにロサンゼルス南部で「ロングビーチ・レジスター」を創刊。10月にはロサンゼルス東部リバーサイドの「プレス・エンタープライズ」を2700万ドルで買収。さらに今年4月には、名門ロサンゼルス・タイムズの牙城に勝負を挑む形で「ロサンゼルス・レジスター」を創刊した。
また、紙に読者を呼び戻すため、ウェブ版への課金によるアクセス制限を強化した。
「デジタルファースト」が新聞経営陣の世界共通の合言葉となっている中で、この逆張り戦略は大きな注目を集めていた。
地元オレンジ郡にある「OCウィークリー」の「紙のハーメルンの笛吹き男」という記事のイラストが、業界の受け止め方の雰囲気を伝えている。
●ページ数とスタッフの大幅削減
オレンジ・カウンティー・レジスターで編集長以下32人、プレス・エンタープライズで40人、とリストラが始まる。前年10月には、オレンジ・カウンティー・レジスターの前の所有会社から買収額の未払い分1700万ドルを求める訴訟まで起こされていた。
紙を増強しても部数は思ったように伸びなかったようだ。さらに、ウェブのアクセスが減るだけだったという。
ロング・ビーチ・レジスターは創刊から1年足らずで単独発行をやめ、ロサンゼルス・レジスターの別刷りとして発行。全社的に2週間の一時帰休を7月いっぱいまで実施。記事ページは25%減。自主退職とリストラで編集局スタッフ100人を削減するという。
この2年間の拡大路線の巻き戻しであり、プリントファースト戦略の明確な赤信号だ。
●〝児童虐待〟としてのノスタルジー
今のジャーナリズムにおける最も重要な戦いは、記事のスタイルが短文か長文か、速報重視か徹底した取材か、既存メディアかベンチャーか、といったことじゃない。最も重要なのは現実主義者とノスタルジー(懐古)主義者の戦いだ。クシュナーはノスタルジー主義者のための伝道集会を開いていたようなものだ。『インターネットなんてそんな大したことはない! デジタルの読者も離れず、ちゃんと金を払ってくれる。紙への投資はどう見てもいいビジネスだ!』
「ノスタルジーと新聞」の中で、シャーキーさんはクシュナーさんのプリントファースト戦略を、ノスタルジーを説く〝古くさい宗教〟と表現する。
そして1年ほど前、ニューヨーク大学のジャーナリズムコースの説明会で体験したエピソードを紹介する、
私に話を聞くために1人の学生がやってきた。2~3の質問をする中で、彼女はこんなことを聞いてきた。『どうやったら紙を救うことができるでしょう?』。私は一瞬言葉を失い、そして爆発した。紙は末期的な衰退のさなかにある。このクラスを取って、ジャーナリズムを専攻するなり、ジャーナリストになろうと思うなら、まずそのことを理解しなきゃだめだ。学生はショックを受けていた。学生たちのほとんどは、これまでそんな風に言われたことがないのだ。
なぜ若い学生たちが〝紙を救う〟などと言い出すのか。シャーキーさんは言う。
その答えは、〝大人が彼らにウソをついてきた〟からだ。
そして、実名をあげて、こう指弾する。
事情をよく理解しているはずの、コロンビア・ジャーナリズム・レビュー(CJR)のライアン・チッタムとニーマン・ジャーナリズム・ラボのケン・ドクターのような人々が、クシュナーの追従記事を書いてきた。クシュナーを怪しげな物売りのように扱うのは忍びなかったのだろう。まさにそうなのに。(中略)何より最悪なのは、チッタムもドクターも最初からクシュナーの計画が大失敗することがわかっていたことだ。彼らはそれを読者にはっきり説明しようとしなかったのだ。
批判のボルテージはさらに振り切れる。
CJRとニーマンから垂れ流される有毒な無料PR記事は、19歳の心をむしばんでいる。(中略)古き良き時代をはかなんで、ビール片手にむせび泣くなら勝手にやってくれ。ただ、思い出にふける間、決して子どもたちには近づくな。バカげたビジネスモデルが急にうまくいき始めるなどというホラ話は、感傷を通り越して、児童虐待の域だ。
●名指し批判への逆襲
「ニーマン・ジャーナリズム・ラボ」は、ハーバード大学で2008年に立ち上がったジャーナリズムの将来像を研究するプロジェクトだ。
全米2位の新聞グループだった今はなきナイトリッダーに20年以上在籍し、ウェブ部門ナイトリッダー・デジタルの副社長などを務めた。
クシュナーさんのプリントファースト戦略を詳細にウオッチしてきた1人でもある。
一方、「コロンビア・ジャーナリズム・レビュー」は、ピュリツアー賞の事務局も務めるコロンビア大学ジャーナリズムスクールが1961年から発行するジャーナリズム専門誌の代表格。
ライアン・チッタムさんは、ウォールストリート・ジャーナル記者などを経て、新聞業界を担当する同誌の副編集長だ。
いずれも、メディアに多少とも関心があれば必読のメディアだし、必読のライターだ。
そして、当然のように逆襲(と追撃と、さらに逆襲)が始まった。
●「それでも紙は重要」
シャーキーさんによる名指しの翌日、早速反撃を開始したのはドクターさんだった。
2500語を超す長文の反論「紙はなお重要だ、そんなはずはないと信じたい人間がいたとしても」をニーマン・ジャーナリズム・ラボに掲載する。
未来はデジタル、もちろんそうだ――だが今のところ、紙が生み出す収益は、地方の新聞社を支えるために極めて重要だ。紙の戦略に目を向けるのは、意味のあることなのだ。
ドクターさんはそう述べる。
ニューソノミクスで業界分析を始めた当初、新聞業界は現実的でジャーナリスティックな私の分析を〝ペシミスト〟だと苦虫をかみつぶしたものだ。私は〝見たまま〟を伝える。
さらに、こんな具合にドスを効かせる。
(クレイ、警告しておく。私の心の奥底を忖度しようなどというのは、かなり危なっかしいやり口だ。私はずっとこの業界にいる。西海岸からのささやかなアドバイスをしておこう:自分の内面を見つめよ、友よ)。デジタル・ファースト・メディアのマーケット的な失敗について、シャーキーを引き合いに出すのは、意味のあることか、あるいはフェアなことだろうか。彼がアドバイザーを務めてきた同社は、もうすぐバラ売りされようとしているが。まあやめておこう。
このドスの効かせ具合には、少し説明が必要だ。
4月初め、デジタルファースト戦略の赤信号といえる〝事件〟が起きた。
デジタルファースト戦略の代表格として世界的に知られる全米第2位の新聞チェーン「デジタル・ファースト・メディア」が、デジタル化の目玉プロジェクト「サンダードーム」を中止し、50人を超す担当チーム全員を解雇することが明らかになったのだ。
そして、同社のデジタルファースト戦略を支えるアドバイザリーボードの1人が、ドクターさんの言うように、シャーキーさんだった。
つまりシャーキーさんに対して、「デジタルファーストはどうなった? 吐いたツバ飲むなよ」と言っているわけだ。
そして、こう続ける。
「私は自分の記事について弁解をするつもりは一切ない」
●「ファック・ユー」
一方のチッタムさんは、ちょうど休暇中のタイミングだったようだ。
私は休暇中だ。クレイ・シャーキーの中傷にはすぐ反論するつもりだが、とりあえず:ファック・ユー、クレイ。
この「ファック・ユー」に対し、シャーキーさんがすかさず追撃する。「新聞業界を取材しながら手心を加える:ライアン・チッタムへの返答」
まさにタイトルがすべてを物語る、今度はチッタムさんに的を絞った批判だ。
その翌日、チッタムさんはCJRに「クレイ・シャーキーへの返信 紙への投資とジャーナリズムへの投資の区別がついていない男へ」と題した記事を掲載する。
ドクターの反論はドクター自身にまかせるが、私たちは2人とも紙が直面する問題点も(シャーキーもよくわかっているように)、新聞業界がなお紙に依存していることも、極めて明瞭に理解している。(中略)クシュナーのプロジェクトについて、私とCJRが評価したのは、紙への投資ではなくて、ジャーナリストたちに巨額の投資をしたことだ。それを弁明するつもりはない。ただ、シャーキーは、紙にジャーナリズムを見て取ることはできないようだ。
そして、チッタムさんは、シャーキーさんのかつてのブログ投稿を引きながら、こう続ける。
『うまくいく方法なんてどこにもない。ただあらゆることに可能性がある。今は実験の時だ。いくつもの実験を』とシャーキー自身がかつて述べていた。『ただし』と彼はつけ加えるべきだった(私がデスクワークをするならそうする)『私がうまくいかないと思うものは除く』。
●そして主役が言い放つ
渦中の本人、クシュナーさんはどうしているのか。
ハリウッドのニュースサイト「ザ・ラップ」が19日付けでタイムリーなインタビューを掲載していた。
この中で、クシュナーさんは、リストラ計画についてこう述べている。
チームのメンバーが離れていくのを目にしなければならないのは、いつだってとても辛いし難しい判断だ。だが、コストと成長のレベルは、見合うようにする必要がある。
そして、プリントファースト戦略とリストラへの批判については、こう言い放っている。
(笑)専門家同士が、どっちがより悲観的になれるか言い合っているんだろ。新聞業界ついて、我々ロサンゼルス・レジスターについて、その他何についてでもいいが――それは当人たちにまかせておけば。
なるほど。
●紙のボートでデジタルの海をゆく
ちなみに、シャーキーさんの投稿の数日前、ニューヨーク・タイムズのパブリックエディター、マーガレット・サリバンさんが、やはりこんなタイトルで記事を掲載している。「紙のボートでデジタルの海をゆく」
さらなる発展のためには、タイムズはラジカルな変革を加速度的に進める必要がある。収益を紙に大きく依存しながら、未来はデジタルに賭ける企業にとって、それは生やさしいことではない。だが必須の課題だ。なぜなら、読者にとって大切なのはタイムズのジャーナリズムなのだから――フォーマットが問題ではなく、生き残ることが問題だ。
ずっと落ち着いたトーンの書きぶりは、気を静めるのにいいかもしれない。
(2014年6月22日「新聞紙学的」より転載)